絶対に演じることは出来ないが故に演じてみたい役というものがある
――芝居をやったことのある者なら、必ず秘かに、絶対に演じることが出来ないが故に演じてみたい役というものが、ある――
――僕は――思い出せば、その最初は中学生に遡る。その頃に見た、あのローレンス・オリビエの映画「ハムレット」の、ハムレット、であった。そうである。あの近代的知識人としての画期的に内省的な、あの、かっちょいい「オリビエのハムレット」、を演じてみたいと思ったのである。そのためには「オリビエ自身」でなくてはならないのだ――オリビエとなってハムレットを演じること――それは実際に「シチーグロフ郡のハムレット」として生きることよりも遙かに魅力的である――僕の「絶対に演じることが出来ないが故に演じてみたい」という謂いが、お分かり頂けるだろう――
――後は――そう、タルコフスキイの「惑星ソラリス」のクリスだ。いや、ロシア語どころかあの撮影の頃、僕はまだ中学生だ。ビデオ回想シーンのクリスの息子時代の役ぐらいしか出来ない(あれはクリス役のドナタス・バニオニスの実の息子が演じていて、当たり前のようによく似ている)。本当は冷徹な内的変態であるサルトリウスをやりたいが、演じているアナトーリ・ソロニーツィンはタルコフスキイ組で絶対無理だから、役を降ろされそうになったドナタスしか、ないのだ――タルコフスキイの映画に端役としてでも出演して夭折すること――それは愚劣な人生を生きることよりも遙かに魅力的である――おまけに相方ハリー役のナタリア・ボンダルチュクはチョー魅力的だしね――遺憾ながら彼女の現在の写真だけは見ない方がよいことだけは付け加えておこう
――
――閑話休題。実は僕がやりたいがやれない役の話をここで持ち出したのは――ほかでもない――その役は、今日、リニューアルした芥川龍之介の「淺草公園」の、あの少年の役、なのだ――僕は抱きしめたくなるくらい、この少年が愛しい。そうして僕は、この少年の役をやりたくて、やりたくて仕方がないのである――
*
――因みに僕はもう、自身の台詞の記憶力のなさに絶望的になっており、この右手の不具合も、演技者としては致命的である――しかし――しかし、それでもやってみたい役は、実は一つだけ、ある――それは正しく今のこの老いさらばえ、身体もぼろぼろの僕に相応しい――台詞も長台詞の殆んどは録音テープだしな――サミュエル・ベケットの――「クラップ最後のテープ」――なのである――
――クラップ――69歳の誕生日――独身にして老人ボケにしてアル中にしてインポテンツ(バナナを銜えるのはその暗示であろう)――彼は若い時から自分の誕生日になると、過ぎた一年を回顧して小型のリール・テープへメッセージを吹き込むことを習慣としていた。老いさらばえた薄汚いクラップは、薄汚れた自分の部屋で、30年前のテープを引っ張り出して聴く。そこで生臭い精液の匂いをプンプンさせる若き日の自分自身の自信に満ちた、希望と傲慢に満ち満ちた饒舌――しかし、今のクラップはもうその饒舌を自分自身が語ったことさえも――分からなくなっているのである――断絶するクラップとクラップ――断ち切れた現在と過去――前衛劇・不条理演劇の神様、あの「ゴドーを待ちながら」のアイルランドのベケットの、僕が1歳の時、1958年に初演された一人芝居である――
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