僕の好きな尾形亀之助『色ガラスの街』の「或る少女に」についての考察
或る少女に
あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです
もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
(改頁)
私は好きでたまらないにちがひない
[やぶちゃん注:この最後の行が次のページにあるところなんざ! 私は好きでたまらないにちがひないんだ!
しかし、今回の作業で困惑するのが、こういう部分なのだ。どういうことかと言うと、基本的に『色ガラスの街』の一ページは詩本文のポイントで11行分である。詩の題名がややポイントが大きいので、すべてがそれでカウントできるわけではないが、題の前後を含め3行計算でいくと、だいたい11行計算で齟齬が生じない。ところが、この場合は、その計算でいくと右ページは10行しか数えられない。即ちその計算と、実際のこの見開きページを見た印象の双方から、この「或る少女に」は、従来知られているように、
或る少女に
あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです
もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
私は好きでたまらないにちがひない
なのではなく、
或る少女に
あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです
もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
私は好きでたまらないにちがひない
である、ということなのである。この一行を独立させることはあってもおかしくない。
――じゃあ、お前は何故、冒頭の表示で「(改頁)」の前に一行空きを入れてないんだ――
と言われるであろう。それは、こうである。右ページをよく見ると透けて見える前々ページの詩「たひらな壁」のタイトルは、一行左に黒々と見えるのである。即ち、このページ全体が極端に右にずれて印刷されていることが分かるのである。そこで一行分、左にスライドした映像を想起すると、視覚印象では一行空いているようには読めないのである。計算上の矛盾は解消できないが、その仮想した視覚印象を優先して、今回のテクストでは独立行としてとらなかったのである。]
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