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2009/09/22

耳嚢 下風道二齋が事

どうもちゃちな洒落の狂歌では、花が、ない。一槍の舞いの花を添えて、今日のテクストの終わりとする。

「耳嚢」に「下風道二齋が事」を追加した。

 下風道二齋が事

 

 道二齋は寶藏院の末弟子にて、鎗術修練、大猷院(だいいふゐん)樣の達御聽に、被爲召(めさせられ)於御前に、其此浪人にて素鑓(すやり)の達人一同に試合被仰付候節、御前にての儀故、高股立(たかももだち)并に懸聲等制止の儀御側向より沙汰有之、双方畏候旨にて立合故、勝負に望て、素鎗の浪人は右制止に隨ひ、道二齋は高股立にて懸聲も十分にいたしける故、御近邊より時々制止有之候得共不相用、難なく道二齋勝に成ければ、跡にて右制止を不用譯御尋有しに、道二齋愼で、御尋の趣御尤に奉存候。隨分共相愼み候存心(ぞんしん)には候得共、勝負に望みてはやはり稽古の心にて十分に藝を盡し、御前をも不恐樣に相成、制止を不用には無之、右不屆を以如何樣被仰付侯共是非に及び不申趣御答におよびければ、大猷院樣にも尤に被思召、殊の外御賞美にて、下風は名人の由上意有て御褒美被下けると也。

 

□やぶちゃん注

・「下風道二齋」は「おろしだうにさい」と読む。下石(おろし)平右衛門三正。始め山田瀬兵衛と称して宝蔵院流二世胤舜(いんしゅん)に鎌鎗術を学ぶ。松平家に仕えた後、江戸に出て下石道二と称し、無敗の鎗術師として知られた。槍術であってみれば、槍遣い際のブウンブンという音から「下風」とも名乗ったのであろうか。

・「寶藏院」江戸前期の僧にして武道家であった胤舜(天正171589)年~正保5(1648)年)のこと。奈良興福寺の子院宝蔵院の院主であったからこう言う。宝蔵院流槍術の十文字鎌槍の完成者。宮本武蔵との手合せでも知られる。

・「大猷院」三大将軍徳川家光(慶長9(1604)年~慶安4(1651)年)の諡(おく)り名。

・「達御聽に」は「御聽(おきき)に達し」と読む。

・「於御前に」は「御前に於て」と読む。

・「素鑓」槍の穂先が真っ直ぐな通常の槍。穂の形状により十文字槍・鎌槍等の別種がある。

・「高股立」動きやすくするために袴の股立ちを高く取って素足をむき出しにすること。また、その姿を言う。

・「御側向」は「おそばむき」と読む。将軍の側近、近習。

・「存心」心中に正しく正に思うところ。考え。

・「是非に及び不申趣」の後半は「申さざる趣(おもむき)」と読み、「異義は御座らぬという趣旨の」という意。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 下風道二斎のこと 

 

 道二斎は、かの槍術の祖、宝蔵院胤舜の最後の弟子であって、その槍術の修練の神技が、大猷院家光様のお耳に達して、御前に召され、当時、素槍の達人の呼び名が高かった浪人達なども一同に会し、試合の儀を仰せ付けられた。

 さて、御前のこと故、高股立ちや掛け声など下品なる振る舞いは禁ずる旨、事前に御近習からお達しがあって、対戦する双方共に畏まって承知の上、立ち合いの段となった。

 ところが、勝負が始まると、相手の浪人は先の禁に従って粛々とにじり寄ったが、道二斎はといえば、ざっと袴の裾を高くからげるや、遠慮会釈ないたっぷりとした大音声(だいおんじょう)を挙げて闘う始末。ために、大猷院様御付の者達が度々制止致いたが、道二斎は何処吹く風、あっという間に、難なく道二斎の勝ちと相い成った。

 さて、試合の後、御近習の者を介して大猷院様より、何故に制止に従わざる、とのお尋ねがあった。すると道二斎は、畏まって平伏すると、

「お尋ねの儀、尤も至極と存じ上げ奉りまする。拙者も勿論、随分、お達し従い、慎み致さんとの誠心は御座ったのではありまするが、事、勝負に臨んでは、やはり、平素の稽古の一期一会の心を大切に致し、技芸の力を十全に尽くさんと致せし故に、御前であることをも恐れざるように相い成り申した。――方々の制止は聞き入れなかったのでは御座なく、その声も最早、耳に入らざればこその仕儀。――この度のこの不届き、如何様(よう)の御仕置仰せ付けられ候とも、是非に及ばず。」

との大猷院様へのお答えに及べば、大猷院様は、

「尤もなること。」

と思し召しになられ、殊の外、お褒め遊ばされた上に、

「下風(おろし)は正に名人なり!」

との上意のお言葉と共に褒賞を下賜された、とのことである。

短い話しながら、名人の槍が撓る音、そして溌溂とした大音声(だいおんじょう)が、聴こえてくるではないか――

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