耳囊 金精神の事 / 陽物を祭り冨を得る事
「耳嚢」に「金精神の事」及び「陽物を祭り富を得る事」を収載した。
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金精神の事
津輕の豪士の語りけるは、津輕の道中にカナマラ大明神とて、黑銅にて拵へたる陽物を崇敬し、神體と尊みける所あり。いかなる譯やと尋問ければ、古老答て、いにしへ此所に壹人の長ありしが、夫婦の中にひとりの娘を持、成長に隨ひ容顏美麗にして風姿艷なる事類ひなし。父母の寵愛斜ならず、近隣の少年爭ひて幣(へい)を入、妻にせん事を乞ひ求めけるが、外に男子もなければ聟を撰て入けるが、いか成故にや、婚姻整ひ侍る夜卽死しけり。夫よりあれこれと聟を入けるに、或ひは卽死し又は逃歸りて、閨園空しくのみなりし故、父母共に驚き大方ならず。娘に譯を尋れば、交りの節或は卽死し又は怖恐れて逃歸りぬれど、我も其譯知らずと人して答へければ、父母も因果を感じて歎き暮しけるが、逃歸りし男に聞し者の語りけるは、右女の陰中に鬼牙ありて、或は疵を蒙り又は男根を喰切りしといふ。此事追々沙汰有ければ、娘もいぷせき事に思ひける。或男此事を聞て、我聟にならんとて、黑銅にて陽物を拵へ、婚姻の夜閨に入て交りの折から、右黑銅を陰中に入れしに、例の如く霧雨に乘じ右黑銅物に喰つきしに、牙悉く碎散て不殘拔けるゆへ、其後は尋常の女と成りし由。右黑銅の男根を神といわひて、今に崇敬せしと語りけり。
□やぶちゃん注
・「金精神」「こんせいしん」と読む。木製・金属製の男性の陽物(リンガ)の形をした御神体を祀古いる性器信仰の一つ。以下、ウィキの「金精神」によれば、全国的に見られるが、特に東日本の東北から関東地方にかけて多くみられ、その起源は『豊穣や生産に結びつく性器崇拝の信仰によるものから始まったとされている。子宝、安産、縁結び、下の病や性病などに霊験があるとされるが、他に豊穣や生産に結びつくことから商売繁盛にも霊験があるとされている。祈願者は石や木や金属製の御神体(男根)と同じものを奉納して祈願する』とある、また、『金精神を祀る神社としては、金属製の男根を御神体としていた岩手県盛岡市巻堀の巻堀神社や、巨根として知られる道鏡の男根を御神体として祀ったのが始まりとされる栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境の金精峠に鎮座する金精神社などが有名で』、更に『古来より温泉は女陰であるとされていることから、温泉が枯れずに湧き続けるように男根である金精神を祀っているという温泉も多い。金精神を祀っている温泉としては、岩手県花巻市の大沢温泉や秋田県鹿角市の蒸ノ湯温泉などが知られ』る、と記す。この岩手県盛岡市玉山区巻堀字本宮にある巻堀(まきぼり)神社(グーグル・マップ・データ。以下同じ)なるものが、この話のモデルとしては相応しい気がする。古いネット記事によれば、この神社は長禄三(一四五九)年に創立されたと伝えられ、古くは「南部金精大明神」と呼ばれていた。御神体は高さ約六十センチメートルの金色の金属製金勢大明神で、古来より縁結び・子宝・安産の神様として信仰されており、境内には至るところに金勢様が祀られている(但し、御神体は宮司の自宅にあり、本社にはないらしい)。また、本祠を東北地方の金精信仰のルーツとする説もある。――ただ、これが本話のモデルとすると、これ、やや、デカ過ぎる気がする(但し、ここの旧社は慶応ニ(一八六六)年に焼失したとあるので、現在の御神体が本話柄当時のものであるとは私には思われない)。但し、底本で鈴木氏は『津軽のそれでは、東津軽郡平内町狩場沢の金精様が有名で、懐妊を祈願する』とある。それはここの熊野宮である。但し、語り手は津軽藩士ではあるものの、道中と言っているから、必ずしも津軽藩に限定する必要はない。
・「黑銅」黒銅鉱という銅酸化鉱物があるが、ここは単に黒光りした銅製の意であろう。
・「幣を入」贈物をすること。結納を結ばんとするための進物を送ること。
・「閨園」底本には「(閨縁カ)」という右注が附くが採らない。岩波版では「閨闥」(けいたつ)とあり、「夫人のねや。」と注する。しかし、私には(このような熟語は未見であるが)素直に意味が分かる。「園」という字は、ある特定の場所・地域を指す接尾語でもあるから、特に違和感はないのである。いや、まさに文字通り、夫婦の「愛の園」である所の「閨」(ねや)の意でよいではないか。
■やぶちゃん現代語訳
金摩羅大明神の事
津軽弘前藩のさる武家が語ったこと――津軽帰藩の道中に、金摩羅大明神と称し、黒光りした、銅で拵えた陽物を崇め奉り、御神体と尊(たっと)んでおる場所がある。どういう謂われがあるのかと訊ねてみたところ、土地の古老が答えて、
「――昔、この地に一人の長者がおったが、その夫婦には一人娘が御座って、成長するに従い、見目麗しく、その風姿の上品な艶っぽさと言うたら、比ぶるものとてない。夫婦の寵愛も一方ならず、また、近在の若者も、数多(あまた)競って進物を送り、是非とも我が妻にと請い求めたのじゃった。夫妻には息子もおらんかったから、沢山の求婚者の中から選り取り見取りで婿を選んで、目出度く婿入りとはなった――じゃが、一体、何が起こったものやら――婚礼の儀式を致いた、まさに、その晩のこと――婿は――ぽっくり――いってもうたんじゃ――それからというもの、さても何人も何人も婿入り致いたのじゃが――悉く――その、まさに初夜の晩――ある者(もん)は、同じようにいてまい、また、ある者は実家へ逃げ帰る――愛の園となるべきその閨は、空しく娘独りきり――父母の驚き嘆きも一方ならず――思い余って娘に訳を尋ねてみるも、
『……あの、交わりの折り……あるお方は俄かにお亡くなりになり、または何やら……ひどく懼れ戦いて、逃げ帰ってしまわれます……が、私も……何故かは存じませぬ……』
という答え。父母はこれも因果の法によるものかと、嘆き暮らしておった――じゃが、逃げ帰った男に聴いたという者の話によると、実は、
『……あの女の火登(ほと)の内には……鋭く尖った犬歯のような牙が……両側にずらりと生えておっての……あの、折りには……一物にひどい疵を受けるか……でなければ、男根を丸ごと喰い千切っちまうんじゃ……』
とのことであった。あっという間にこれが噂となって、娘自身の耳にも入り、もはや誰(たれ)とも添い遂げられぬと悲嘆に暮れるばかりじゃった。
ところが、ある男がこの噂を聞きつけて、
『私が婿になろう。』
と名乗りを挙げよった。親は勿論、ありがたくは思うて受けはしたものの、あの折りにはまたしても……と思うと喜びも半ばじゃった――しかし、その男は事前に黒く硬い銅を以って陽物を拵えると、さても婚礼の夜、閨に入り、交わらんとする、まさにその折り――手にしたその黒い銅造りの張形を娘の火登にぐいと挿し入れたところが――いつものまぐわいと同様に――ガッ!――とかの一物に喰いついた――ところが――それらの牙はすっかり砕け散って残らず抜け落ちてしもうた――故に、その後(のち)は普通の女となった、ということじゃ。……爾来、この黒い銅造りの男根を神と言祝ぎ、今に崇め奉って、おる……」
と語った、ということである。
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陽物を祭り冨を得る事
或商人西國へ行とて、中國路の旅泊にて、妓女を相手として酒抔呑みけるが、夜中と思ふ頃、彼のはたごやの亭主片陰なる神棚やうなる所に至り、燈明を燈し神酒(みき)を捧げて一心に祈るやうなれば、俱に臥したる妓女に其譯を咄して、何を祈ると尋れば、さればとよ、あれはおかしき神也、此家の主じ元は甚貧しく朝夕の煙もたヘだへ成しが、或時途中にて石にて拵へたる男根を拾ひ歸りしが、男根は陽氣第一の物にて目出度(めでたき)ためし也(や)といゝし由、夫より朝夕右男根を祈り渇仰してけるが、日增に富貴と成て、今は旗籠屋をいたし、我ごときの妓女も百人に餘る程也と語りければ、可笑しき事に思ひて臥たりしが、夜明前に眼覺て風與(ふと)思ひけるは、右の神體を盜取らば、我又富貴ならんと伺ひけるに、下も寢鎭り相ともなふ妓女も臥しける故、潛に右の神棚を搜、かの男根を奪ひ隱し、知らぬふりして翌朝暇を告て歸りしに、實(げに)右神のしるしにや、日ましに身上(しんしよう)殊の外宜(よろしく)、富貴に成しとかや。
□やぶちゃん注
・「陽物を祭り冨を得る事」前掲「金精神の事」の「金精神」の注を参照されたいが、金精神は古くから遊郭や旅宿に、通常、神棚と別に縁起棚と称した神棚に似たもので祀られた。遊廓の場合は、まさにそのものズバリの「商売繁盛」を願ったわけである。
・「西國」近畿から以西を言うが、この場合は九州を指している。
・「夜中と思ふ頃、……」このシーン、男が階下に下り、主人の行動を実見しているのであるが、本文はその辺りがうまく説明出来ていない。そこで現代語訳では便所に起きたという設定を恣意的に設けた。
・「神棚やうなる所」前注で言った縁起棚である。
・「たヘだへ」は底本では踊り字「/\」の濁点附きであるが、正字に直した。
・「ためし也といゝし由」の「いゝし」はママ。底本ではこの部分の右側に『(尊經閣本「ためし也迚)』とある。「迚」は「とて」。
■やぶちゃん現代語訳
陽物を祀り富を得る事
ある商人が西国へ向かう途次、泊った山陽道の旅籠(はたご)で、妓女を相手にして酒を飲んだりし、さても雲雨の交わりと相成った……後に、とろとろと眠って、丁度真夜中かと思う頃おい、手水(ちょうず)の帰り、階下の部屋をふと覗くと、その旅籠屋の亭主が家の片隅に設けた神棚のようなものの下に参り、お灯明を点し、お神酒を捧げて、何やらん、一心に祈っている様子――一男が部屋に戻ったその音に、添い寝していた妓が眼を醒ましたのに、今し方見たことを告げて、
「ありゃ、何の神様を祈っとるんや?」
と訊いた。すると妓女はにっと笑って、
「……ああ、あれね。あれはね、おかしな神さまでね……この家(や)の主人は、もとはそりゃひどく貧乏でさ、朝夕の飯の炊く煙りも途絶えがちって言うざまだったんよ……ところがね、ある時、道端に誰かが石で拵えたらしい男の一物が落ちててさ、そいつを拾って帰っきたんさ……おっさん、『こいつぁ、陽の気、第一や! 目出たいお印やがな!」とか言っちゃって……それから毎日、朝晩、その一物にさ、お祈りしてさ、仏さまを崇めるように奉ちゃってるわけ……でも、そしたらさ、ほんとに日増しにふところぐあいが良くなってさ……あっという間に大金持ち!……今じゃ、この旅籠を生業(なりわい)にして、あたいみたいな遊び女(め)も百人に余るほど抱えてるって、わけ!……」
と話した。男は、けったない話やな、と思ったぎり、また寝込んだ。
――それから数刻の後(のち)である。夜明け前に目を覚した男は、ふと考えた。
『……あのご神体、盗みよれば、俺も大金持ちになれるやも知れんて……』
男は――暫くの間、凝っとして伺ってみる――階下はしんとして寝静まり、隣の妓も静かな寝息を立てている――男はそうっと起き出すと、階下に下り、密かにあの神棚の奥を手探りして、例の一物を奪い取ると、おのれの荷物の中に押し隠した上、そ知らぬ振りで、翌朝、亭主に別れを告げると、旅籠を出たのであった。
誠(まっこと)――その御神体の効験ででもあろうか――日増しに男の商売はうまく行き、財物いや栄えに栄えて、美事大金持ちと相成った、とか言うことである。