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2009/10/11

耳嚢 奇術の事

「耳嚢」に「奇術の事」を収載した。

 奇術の事

 土浦侯の家士に内野丈左衛門と申者あり。其甥を同家中の名跡(みやうせき)に遣しける、若氣の心得違にて土浦を一旦家出しけるよし、丈左衛門方へ申越ければ、大に恕、所々心懸尋けるに行衛しれず。品川の邊に老婆の右樣の事を占ひなどせる奇術の者ありと聞て尋問ひければ、老婆答て申けるは、我等壇上にて修法(ずはう)の上品々申候内、甥子の身の上に似寄、言語も似て候はば右の所を押て段々聞糺し可被申(まうさるべし)。併(しかしながら)住所知れ侯ても咎(とがむ)る事は遠慮有べしと申しける故、承知の挨拶しける其時、老婆修法なして頻に獨言(ひとりごと)を申ける内、果して似寄の事出し故、いか成譯にて立退けると尋ければ、若氣にて風與(ふと)心得違ひ立出し由を演(のべ)ける故、人の家督を繼(つい)で不埒至極の心底かなと憤り罵りければ、幾重にも免し給へといへる故、少しも早く可立歸、當時は何方に居候(いさふらふや)と尋ければ、いまだ何方にも住所を不極、江戸よりは南の方に居候よしを申故、老婆に一禮を演て立歸り、頻りに南の方を尋けるに、深川の末にてはたと行逢、段々と申宥(まうしなだめ)引戻し、事なく相續をなしけるとかや。其後程過て咄しけるは、家出いたし兩三人連にて道を行、並木の茶やに立寄り、草臥(くたぶれ)しまゝ暫くまどろみし内、丈左衝門に逢て殊の外叱りを受、甚難儀せし夢をみてうなされけるを、連の者に驚(おどろか)され、遅くなりぬれば日も暮侯とて、引立られし事のありし由語りしが、右時日を考合(かんがへあは)すれば、老婆へ行衛を尋貰ひし日時に引合(ひきあひ)ける。不思議の事もあるもの也と丈左衛門物語の由、同家中の者語りけるなり。

□やぶちゃん注

・「土屋侯」常陸国土浦土浦城(亀城)城主。城は現在の茨城県土浦市中央1丁目にあったものが復元されている。城主が度々変わったが貞享4(1687)年に土屋氏が再度城主(先々代も同族)となって以降、安定した。

・「名跡」家督相続人。

・「修法」本来は密教で行う加持祈禱の法を言い、壇を設けて本尊を安置、その仏前にて護摩を焚き、印を結び、真言を唱え、各種の祈願調伏を成す。ここではそれを真似た民間呪法の謂いである。古くは「すはう(すほう)」と読んだが、ここでは「しゆはう(しゅほう)」と読んでも構わない。

・「風與(ふと)」底本のルビ。

・「演(のべ)」底本のルビ。

・「並木の茶や」固有名詞。岩波版長谷川氏注その他によれば、浅草寺の雷門から南の駒形へ伸びる道の両側を並木町と言い、料理茶屋や食い物店が並んでいたという。しかし、果たして浅草寺から駒形辺を「江戸よりは南の方」と言ったであろうか? また丈左右衛門が甥を発見した当時の「深川」を「江戸よりは南の方」と言ったであろうか? 当時の深川が現在の江東区より遙かに広い地域を指していた事実をもってしても、私にはそれが「江戸よりは南の方」であるとは思えないのである。「江戸より」の謂いと「南」という謂いのダブルでおかしい気がするし、そもそも「江戸よりは南の方」と言われて丈左右衛門が深川を探索したこと自体が私には奇異な感じがする。識者の御教授を乞うものである。

■やぶちゃん現代語訳

奇術のこと

  土浦侯の家臣に内野丈左右衛門と申す者が御座った。土浦家では、その内野の甥を養子と致し同家家督相続と致いたのだが、若気の至り、何の心得違いか、あろうことかある時、土浦家を出奔してしまった由、丈左右衛門方にお達しがあった。丈左右衛門、怒り心頭に発し、あちらこちら心当たりを訪ね回っては見たものの、一向に行方が知れぬ。ふと、品川辺に住む老婆で、かような行方知れずやら尋ね人に関わることを美事に占う者があると聞き、藁にも縋る思いで訪ねてみたところ、老婆は丈左右衛門の話を一通り聴いた上で、次のように答えた。

「……われら、これより護摩壇にて修法(ずほう)を執り行(おこの)う……されば、われら、あれこれとそこにて口走る……その話の内に……その甥ごの身の上によく似、また、その語り口も相似た者が現れたとならば……その者の話に応え、その居所(いどころ)その他につきて、徐ろに、問い質さるるがよろしい……じゃが……その居所が知れたからと言うて、直ちに咎め立てなさるは、ご遠慮あられよ……」

と。その申し出に、丈左右衛門が、

「委細承知。」

と応えるや、老婆は即座に加持祈禱を始めた――

 ――暫くすると、護摩壇の上で老婆は頻りに独り言を言い始め、その様々な声の調子の中に、果たして甥に似た喋り方が現れた。丈左右衛門は信不信半ばながらも、その声に向かって、

「何ゆえに出奔致いた?!」

と訊ねた。

「……若気の至り……ふと、魔がさして……心得違いにより立ち出でました……」

と答えた。

「人の! 主家の家督を継いでおきながら! 不埒千万! 何の心底か!!」

と、丈左右衛門は激しく憤り、罵った。すると声は、

「……幾重にもお詫び申し上げまする……どうかお許し下さいませ……」

と、頻りに恐縮するのであった。丈左右衛門は老婆との約束を思い出し、怒気をぐっとこらえると、

「さればこそ一刻も早く立ち帰るべし。そも、只今は何処(いずく)にか在る?」

と訊ねた。

「……未だ何処(いずこ)とも居所(きょしょ)を定めておりませぬ……江戸よりは……南の方におりまする……」

とのみ答えて、声は消えて行った――

 ――丈左右衛門はやはり半信半疑ながらも、求めたところの居所(いどころ)はとり敢えず聞き出せたわけで、この老婆に礼を述べて一度立ち帰り、改めてとり敢えず南の方へ、南の方へと尋ね求めてみたところが、何と深川の外れで甥本人とばったり行き逢わせたのであった。かねて声に対して憤怒していた分、ここでは見つかった安堵が勝ち、よくよく言い宥めた上、主家へと連れ戻し、何とか事なく、正式に土浦家相続を果たさせることと相成ったということであった。――

 ――その後、目出度く相続も終わり、程経たある日、土浦姓となったその甥が丈左右衛門に次のように告白した――

「――あの折り、家出致しまして、連れ立った友人と三人であてどなく道を行くうち、並木町の、とある茶屋に立ち寄りましたところで、何だかすっかりくたびれ果ててしまいまして、そこで暫くうたた寝致いたので御座いますが――その時見た夢の中で、おじ上に行き逢い、そこで殊の外のお叱りを受け、引くも成らぬ退くも成らぬほどの難儀を受けました――いや、そんな夢を見まして、うなされておりましたところを、連れの二人に揺り起こされた上、刻限も最早遅し、日も暮れて御座ると、急き立てられて茶屋を出たことが御座いました――」

 丈左右衛門が、更に詳しく聞き質してみると、何と、その日限は、彼があの老婆に甥の行方を占って貰ったあの日限と、完全に一致したのであった。――

 「不思議なことも、この世にはあるものである。」

と丈左右衛門が物語った由、土浦家御家中の者が語った、とのことである。

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