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2009/10/07

耳嚢 南光坊書記を寫せる由の事

「耳嚢」に「南光坊書記を寫せる由の事」を収載した。

 南光坊書記を寫せる由の事

 予が元へ來りし八十餘の老翁、南光坊書記を爲せる由にて持來りける間、寫記(うつししるし)し。

[やぶちゃん注:以下は、ビジュアルに底本に近いものを示すために、右から左へ縦書きになるように表示してある。]

人 前 後 今

身  \│/

精 善―生―一

気  /│\

不 見 安 知

亂 急 越 法

也。 \│/

慎―度―前

   /│\

  立 無 治

  悪 仏 善

   \│/

  悟―心―一

   /│\

  起 同 止

□南光坊書記配置補正

[やぶちゃん注:以下は、ビジュアルに底本に近いものを示すために、右から左へ縦書きになるように表示してある。底本の最終行は明らかに配置が悪い。縦一行の字数と意識的に合わせてある以上、綺麗に並べるべきであろう。また最終行末の句点も私には不自然に思われるので排除した。]

謂 前 後 今

   \│/

人 善―生―一

   /│\

身 見 安 知

精 急 越 法

   \│/

氣 愼―度―前

   /│\

不 立 無 治

散 惡 佛 善

   \│/

亂 悟―心―一

   /│\

也 起 同 止

□南光坊書記やぶちゃん解読書き下し文

[やぶちゃん注:これは一種の判じ物で、最初の三行は、それぞれ縦三字横三行の九字を、線に従って右上→左下・左上→右下・中央上→中央下・右中央→左中央へと読み、それを同じように下の二箇所でも行って訓読するようになっている。それに従って書き下す。]

今生見て 前世知る 後生安し 一生善

法度立て 急度治る 越度無し 前度愼

善心起て 惡心止る 佛心同じ 一心悟

人身精氣 散亂せざるを 謂ふものなり

□やぶちゃん注

・「南光坊」南光坊天海大僧正(天文5(1536)年?~寛永201643)年)のこと。安土桃山から江戸初期にかけての天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。諡り名は慈眼(じげん)大師。徳川家康・秀忠・家光三代に渡って強力なブレーンとして政策参画した。武蔵川越喜多院・日光輪王寺の再興、寛永寺開基、日本初の大蔵経版本を計画した(刊行は死後)。その享年は135歳とも言われ、明智光秀=天海説等、出自共に極めて謎めいた人物である。

・「南光坊書記」本偈(染みたもの)の以下の訳は私の全くの思いつき我儘勝手自在訳である。御信用なさらぬように。また、是非とも誤訳の御指摘をも乞うものである。

■やぶちゃん現代語訳

 南光坊天海の書き記したものを寫したものとの事

 たまたま私の許へ訪ねてきた八十余りの老翁が、これは南光坊天海の書き記したものを寫したものと称して持ち来ったので、とりあえず面白いものなので、ここに写し記した。

現世の生き様親しく見れば

 己の前世も確かに知れる

  自然 後生も安きは必定

   されば三世一生悉く善

法度を厳しく立ったれば

 きっと不正は正さるる

  自然 落ち度は悉皆無(しっかいむ)

   されば元より慎み安心(あんじん)

心底 善を起(た)ったれば

 悪心全て止むるもの

  自然 仏の心と同じ

   されば一心悟達の境地

これはこれ

 人の精気の在りようの

  自然 散り乱れぬ法を

   謂うたものなり

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