耳嚢 妖氣不勝強勇に事
「耳嚢」に「妖氣不勝強勇に事」を収載した。
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妖氣不勝強勇に事
土屋侯の在所、土浦の家士に小室甚五郎といへる者有しが、飽まで強氣(がうき)にて常に鐵砲を好み、山獵(やまれふ)抔を樂けり。土浦の土俗呼んで官妙院と呼狐あり。女狐をお竹と呼。稻荷の祀(やしろ)など造り右兩狐を崇敬するもの有けり。或時甚五郎右雌狐お竹を二ツ玉を以て打留、調味して勸盃の助となしける。土浦城下より程近き他領百姓の妻に右官妙院狐付て、樣々に口ばしり甚五郎を恨罵りける。其夫は勿論村中打寄て、こは道理ならざる狐かな、甚五郎に恨あらば甚五郎に社(こそ)可取付に、ゆかりなき他領の者に付て苦むる事と責問ければ、答ていへるは、我雌を殺し喰へる程の甚五郎にいかで可取付や、土浦領へ入さへ恐ろしきまゝ、汝が妻に取付たり、何卒甚五郎を殺し呉よと申ける故、土浦領に知音ある者申遣ければ、甚五郎此事を聞て、憎き畜生の仕業かなとて頭(かしら)役人へ屆て右村方に立越、不屆成畜生、他領の人を苦む不屆さよ、爾々落ざるに於ては、主人へ申立、百姓等が建置し社(やしろ)をも破却し、縦令(たとひ)日数は延候共、晝夜精心を表し官妙院をも可打殺と大きに罵り、彼社へも行て同じく罵りければ、早速狐落て其後は何のたゝりなしとかや。
□やぶちゃん注
・「強勇」「がうゆう」と読む。剛勇。兵(つわもの)。
・「土屋侯」常陸国土浦土浦城(亀城)城主。城は現在の茨城県土浦市中央1丁目にあったものが復元されている。城主が度々変わったが貞享4(1687)年に土屋氏が再度城主(先々代も同族)となって以降、安定した。
・「二ツ玉」筒に弾丸を二発込めること。一種の散弾と考えてよい。
・「調味して」漢方系サイトを調べると、民間療法の一つとして寒・熱瘧・狐魅を主治するものとして狐の肉を用いるとあり、また広く蠱毒を解くものとして、狐の五臓と腸を通常の肉類と同じように処理して五味を加え「キツネ汁」として食すとか、キツネの肉を焼いて食す、という記載がある。強烈な臭みがあると思われるが、甚五郎ならば焼いて食ったかも知れない。とりあえず訳は穏やかに鍋としておいた。
・「勸盃の助」酒の肴。
・「社(こそ)」底本ルビ。
・「頭役人」上司。
■やぶちゃん現代語訳
妖怪も剛勇には勝てぬという事
土屋侯の御在所、土浦城家臣に小室甚五郎という者がおったが、いたって気が荒く、常日頃から鉄砲撃ちを好み、山野に狩猟などをなすを楽しみとしておった。
時に、その国境辺りには、土浦の土民が官妙院と名付けた狐がおった。その妻の狐もお竹と呼ばれておった。土民の中には稲荷の祠なんどを建てて、この二匹の狐を祀る者もおった。
甚五郎は、ある時その、お竹狐を二つ玉で仕留め、捌いて、鍋で煮込んで、酒の肴にし、何事もなく一匹ぺろりと平らげてしまった。
すると、土浦城下にほど近い、他領の百姓の妻に、殺されたお竹の夫である官妙院狐がとり憑き、様々なことを口走り、甚五郎を恨み罵ったという。その夫は勿論のこと、村中の者どもが集まって、
「貴様は、訳の分からぬ奴じゃな! 甚五郎に恨みがあるなら、甚五郎に憑くべきじゃに、縁も所縁もない他領の者に取り憑いて苦しめるとは!」
この理不尽なる憑きようを責め立てたところ、狐が言うことに、
「……我が妻を殺して食ってしまった程の甚五郎に……どうしてとり憑くことなんぞ、出来ようか!……それどころか、奴のおる土浦領へ脚を踏み入るるさえ恐ろしゅうて……そいでお前の妻にとり憑いたじゃ……どうか……憎っき甚五郎を……殺してくれい!……」
これを聴いていた者が、土浦の知り合いにこれを話したところ、それを甚五郎本人が聴き及んで、
「憎っき畜生の物言いじゃ!」
と怒り心頭に発し、狐成敗の事、頭役人に届へ出、右領外の村方に至り、官妙院狐がとり憑いた女に向かうと、
「不届きなる畜生! 縁も所縁もなき他領の者を苦しめるとは不届き千万! さてもさてもその女から離れずとならば、主君土屋侯に申し上げ奉ってお許しを承り、土民らが建てたる祠を破却致し、たとい日数(ひかず)の如何にかかろうとも、昼夜兼行精神堅固誠心を尽くして、官妙院! 屹度、貴様を撃ち殺す!」
と、散々に罵り、取って返して当の祠の前に馳せ寄り、祠も震えんばかりの勢いで同じように罵ったところ、たちどころに百姓女から狐が落ち、その後も何の祟りもなかった、というである。