日傘させどまはりに日あり足もとの細流れを見つつ人の來るを待つ 片山廣子
日傘させどまはりに日あり足もとの細流れを見つつ人の來るを待つ
昭和32(1957)年「心の花」2月号に所載されたもの。これ一首のみである。2006年月曜社刊の「野に住みて」(引用もそこから。但し、新字を正字に代えた)の短歌の拾遺パートの、先に掲げた遺稿集の直前に置かれている。昭和32(1957)年の拾遺もこの一首のみである。既に僕の片山廣子の歌集群をお読みの方は、お分かり頂けるものと思うが、これは新作ではない。そもそもこの時、彼女は脳溢血で病臥し、翌3月19日に亡くなっている。――この歌は――あの大正15(1926)年の軽井沢での「日中」歌群の――一首である――この「人」は芥川龍之介である――片山廣子がこれを選んだのか、別の誰かがこれを選んで掲載したものか――それは不明である――しかし――これが廣子の生前最後の一首であることは紛れもない事実なのである――
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