耳嚢 大通人の事。并圖
「耳嚢」に「大通人の事。并圖」を収載した。HPと差別化するため、ブログでは図は省略した。
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大通人の事。并圖
安永天明の此、若き者專(もつぱら)通人と言事を貴びける。右大通(といへるは、物事行渡り、兩惡所其外世の中)の流行意氣地(いきぢ)にくわしき者を呼ぶ。甚しきに至りては、放蕩無類の人をさして通人又は大通と言る類ひ多し。
案に、通の字は漢家に通といひ達といひ、佛家にも圓通の文字もあ
れば、かゝる放とうの者をいふべきにあらず。されど、物事行渡り
しといふ心より唱へ稱なるべし。
或人、右通人の畫讚を携へ見せける故、誠の戲れ事ながら、後世より見たらんはおかしき、又むかしもかゝる事の有しと、心得の一ツにも成ぬぺしとしるし置ぬ。
安永の比、奇怪の人あり、其名を自稱して通人といふ。凡そ圖の如し。譬ば鵺(ぬえ)といふ變化に似て、口を猿利根(りこん)にして尾は蛇を遣ひ姿は虎の如し、啼聲唄に似たり。多分酒を食として世を下呑にする、あたかも眞崎田樂を奴(やつこ)にあたふるよりも安し。忠といへば鼠と行過ぎ、孝といへば本堂の屋根をふり向、燕雀なんぞ大鵬の心をしらんや。小紋通しの三ツ紋は紺屋(こうや)へ三おもての働をあたへ、裏半襟は仕立屋の手間損、三枚裏のやはたぐろの世にまつくらな足元、どんぶり多(た)ば粉(こ)入とおち木綿手拭長きこともふきたらず、穴しらずの穴ばなし、親和染(しんなぞめ)の文字知らず、俳諧しらずの俳名、通人の不通成べし。圖の如きは親類不通のたねならんかし。
□やぶちゃん注
・「安永天明」西暦1772~1798年。
・「(といへるは、物事行渡り、惡所其外世の中)」底本には右に「(尊經閣本)」と、引用補正した旨、記載がある。「兩惡所」とは
・「意氣地に」は「流行」と「意氣地」が並列なのではない。「意氣地に」は形容動詞(若しくは副詞)として機能しており、「己がことを意氣地に『物事行渡り、兩惡所其外世の中の流行にくわしき者なり』と思ひ込みたる輩」といった意味合いを示しているものと思われる。そうしないと「他に張り合って頑なに自分の意思を押し通そうとする気迫」や「意地っ張り」の意味しかない「意氣地」の意味が通らない。
・「案に、……」以下は根岸の注である。ブラウザの不具合を考えて、底本と同じ字数で一行を構成し、ブログではポイントを落とした。
・「通の字は漢家に通といひ達といひ」「通」という漢字は「とおる」という基本義の中に、「届く・至る」「遍く流れ行き渡る」「遍く伸び広がる」「永遠に極まることがない」「行き渡る「貫き通す」「透き通る」「経過する」「過ぎる」「障害なく辿り着く」「順調に行われる」と言った意味を持ち、そこから「伝え知らせる」「詳しく知る」「余すところなく知り尽くす・悟る・理解する」という派生義が生じ、更には「物知り・物事によく通じた人物・通人」という義に発展した。国訓としても「つう」は一番に「人情や遊芸に明るいこと、又はその人」という意味を持つ。「通といひ達といひ」というのは、やや分かりにくいが、「通」という漢字の基本属性に発し、「通達」という熟語に見るように同義である「達」が、既に基本義おレベルに於いて「知り尽くす・悟達する・深く物事の理に通ずる」を付与されていることを言わんとしているものと思われる。現代語訳では、くどくなるのを恐れて、『「通」という字は漢語にあっては「窮極までとどく」の意の「通」であり、「悟りの境地に達する」の意の「達」と同義であって』とした(以上の字義は主に「大漢和辭典」の記載を参考にした)。
・「佛家にも圓通の文字もあれば」仏教では「周円融通」略して「円通」という。これは正しき智慧によって悟ったところの絶対の真理は、周(あまね)く行き渡って、その作用は自由自在であることを言う。またそうした周円融通の絶対的真理を悟るための智慧の実践行動を指す。「えんづう」とも読む。
・「おかしき」ママ。
・「鵺」「平家物語」の源頼政による鵺退治で知られる古来の物の怪。猿の顔・狸の胴・虎の手足・蛇の尾のキマイラで、「ヒョーヒョー」と、トラツグミ(スズメ目ツグミ科トラツグミ Zoothera dauma)の声に似た不気味な声で鳴くとされる。
・「猿利根」「利根」は生まれつき賢い・利発という意から、口のきき方が達者なことを言う語。猿知恵の口達者、言葉ばかりを飾った内容のない、若しくは猿のケツのように(これは私の口が滑った洒落)真っ赤な嘘といったようなことを言うのであろう。
・「蛇を遣ひ」岩波版の長谷川氏注に『のらくらすること』とある。このような使い方を私は知らない。「蛇」のイメージからはもう少しネガティヴな意味が付与されているようにも思われるが、調べても良く分からないので、長谷川氏の解釈を用いた。
・「下呑」これは「酒」に関わって、酒樽の下の穴を言うのではなかろうか。現在でも酒造業界では醸造タンクの下にある上下二つの穴を「呑穴」(のみあな)と言い、上の方を「上呑」、下の方を「下呑」と呼称している。岩波版は「一呑」とある。分かり易くはあるが採らない。訳ではすぐ後ろで使わせてもらった。
・「眞崎田樂」「眞崎」は現在の東京都荒川区南千住石浜神社(真崎神社)にある真崎稲荷のこと。天文年間(1532~1554)に石浜城主千葉守胤によって祀られたと伝えられる。以前、この稲荷は、現在地の南方に接する隅田川の西岸、現在の台東区の北東に当たる橋場の総泉寺の北(現在の荒川区の東南の隅)にあった。この稲荷の門前には、丁度、根岸の生きた宝暦7(1757)年頃から、吉原の山屋の豆腐を用いた田楽を売る甲子屋(きのえねや)や川口屋といった茶屋が立ち並んで繁盛したという。吉原の遊客もその行き帰りに訪れ、当時の川柳にも「田楽で帰るがほんの信者なり」「田楽は一本が二百程につき」といった稲荷と田楽と吉原を詠み込んだものが残されている。実際この田楽、大変高価で贅沢な食べ物であったらしい(以上は荒川区教育委員会等の記事を参考にした)。
・「奴」ここでは下僕、しもべの意。
・「忠といへば鼠と行過ぎ」通人に「忠」を語れば、『そりゃ、鼠のチュウかい?』と不忠なことを言って心にも懸けぬことを言う。
・「孝といへば本堂の屋根をふり向」通人に「孝」を諌めれば、黙って烏は何処じゃという風に、寺の本堂の屋根の方を眺める振りをして、糠に釘である、と言うこと。「孝」の「かう(こう)」という音を烏の「カア」に掛けた。
・「燕雀なんぞ大鵬の心をしらんや」後存知「史記」の「陳渉世家」に基づく故事成句「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや)は、ツバメやスズメのような小鳥には、コウノトリやハクチョウのような大きな鳥の志すところは分からない、本来は小人物には大人物の思想や大望は理解出来ないという譬えであるが、その実在する「鴻鵠」を「荘子」冒頭の逍遥遊篇で知られる「大鵬」に置き換えた。大鵬は古代中国の想像上の巨大な鳥で。鯤という巨大魚が変じたもので、翼だけでも3000里、一飛びで90000里を上昇する。訳すなら『――世の凡俗の方々には、私ら通人大通の、粋な思いも分かるまい――』という不遜なる物言いである。しかし、ここで一捻りして、通常の人知を否定した道家の匂いを嗅がせている辺りは、通人の小洒落た「猿知恵」を感じさせるところである。
・「小紋通しの三ツ紋」「小紋」は一面に細かい文様を散らしたり、それを型染めにしたもので、江戸時代には裃(かみしも)に使われたが、後には町家でも羽織・着物などに染められた。「通し」はその小紋を同型で繰り返し染めたデザイン。それに「三ツ紋」=背と両袖の三箇所に家紋を染め込んであるということ。大変、贅沢な和服である。
・「紺屋へ三おもての働をあたへ」岩波版で長谷川氏は、これに『染物屋で表布を見ばえよくした手柄を立てさせる』と注されている(但し、岩波版本文は『紺屋へ表の働をあたへ』である)。これは私は、もっと単純に、非常に手間のかかる贅沢な「小紋通しの三ツ紋」をオーダー・メイドで作らせて、実に立派な上着を三着作るのと同じ手間隙を掛けさせ、という意味でとった。
・「裏半襟は仕立屋の手間損」襦袢などの襟の上に主に飾りや汚損防止のために重ねてかける襟を半襟というのだが、それを内側(裏)にも施してあるものを言うのであろう。当然、外からは見えない訳で、作った仕立屋の手間が掛かっただけのもの、という意味。
・「三枚裏のやはたぐろの世にまつくらな足元」岩波版の長谷川氏注によると、「三枚裏のやはたぐろ」とは草履の造作を言ったもので、草履の底が二枚、二重になっており、その『間に皮をはさんだものに、八幡黒(山城国八幡産の黒のやわらかな皮)の鼻緒を付けたもの』とする。とんでもなく贅沢な草履であるが、見た目が真っ黒である。それを世の闇、足元も真っ暗なこの浮世に引っ掛けたシュー・ファッションということか。
・「どんぶり多ば粉入とおち」底本では右に『(一本)「どんぶりの紙入多菜粉入と倶におち」』とある。よく職人などが腹掛けの前部につけた大きな物入れのことをこう言うが、あれをルーツとして通人が好んで用いた懐中用物入れとしての大きな袋。更紗(木綿の地に人物・花・鳥獣の模様を多色で染め出したもの)や緞子(どんす:絹の紋織物。繻子(しゅす=サテン)の地に同じ繻子の裏組織で文様を織り出したもの)等を素材とした。「多ば粉入とおち」が分からない。本来なら、懐中の貴重品を入れるその「どんぶり」を全部、あろうことか、煙草の葉を入れるためだけに用いているという意味であろうか。岩波版の長谷川氏も注でよのように採っておられるので、それで訳した。但し、『(一本)「どんぶりの紙入多菜粉入と倶におち」』ならば、大枚の入った財布と煙草入れの重みで、通人のどんぶりはぐっと腰の下の方に下がって、という意味合いになるか。
・「穴しらずの穴ばなし」「穴」は所謂、「穴場」の意で、普通の人が気づかないような良い場所、オイシい処、得になる事柄や事象を言う。通人が気取って、大して知りもしないことを、如何にもご大層に知ったかぶり、出し惜しみする振りをすることを、反通人的立場から批判的に言ったもの。
・「親和染の文字知らず」「親和」は人名。三井親和(みついしんな 元禄13(1700)年~天明2(1782)年)書家・篆刻家。信州出身。長く深川に住んだので深川親和とも称される。ウィキの「三井親和」によれば、『壮年になって細井広沢に就いて書と篆刻を学』んだが、彼は『寺社の扁額や祭礼の幟、商家の暖簾など請われるままに書』き、『安永・天明の頃に親和の篆書・草書を反物に染出した「親和染」が好事家の間に流行した』。その親和の筆跡を染め抜いた着物を着ながら、その書かれた文字さえ読めはしない、という反通人的立場から批判的に言ったもの。但し、『実際は正しい篆法を学んでいないので書体の用法に過ちが多いと』も言われる。――いや、そこが通人好みだたのかも……。
・「俳諧しらずの俳名」当時、花柳界や歌舞伎界では通常、客や俳優同士の呼称として俳号が用いられた。俳号はあっても俳句は作れない、という反通人的立場から批判的に言ったもの。
■やぶちゃん現代語訳
大通人の事 并びに圖
安永、天明の頃、若い連中の間で、専ら「通人」なる存在がもて囃されておった。その中でも「大通」というのは、万事、そつなくこなし、自分は遊里・芝居小屋の両悪所その他、世の中のあらゆる流行や事情に精通していると、己れ自身を思い込んでいるような人間を呼ぶ。甚だ不愉快な用法としては、無類の放蕩者(もの)を指して「通人」又は「大通」と呼称することすら多い。
私、根岸が思うに、「通」という字は漢語にあっては「窮極までと
どく」の意の「通」であり、「悟りの境地に達する」の意の「達」
と同義であって、仏教でも絶対の真理の働きを指すところの「周
円融通」、略して「円通」の語が存す以上、元来、このような下
劣放蕩の者を言うのに用いるべきものではない。しかし、『万事、
そつなくこなし』という意味から、かく呼称しているものと思わ
れる。
或る人が、その通人の画と、その讃を持参、見せて呉れたので、実に下らぬ戯れ事ながら、後世の人から見たならば、また、昔もこのように如何にも馬鹿げた事が流行ったのだなあ、と誠心の心得の一つにもなるであろうと思い、以下に記しおく。
――――――
安永の頃、奇怪な人の新種が存在した。その名は自称して「通人」と言う。凡そこの図のような姿をしている。譬えて言うならば鵺(ぬえ)という妖怪に似て、口は猿、奸計に長け、尾は蛇、のらりくらりとつかみどころなく、姿は虎の如く傾(かぶ)いた衣装、その鳴き声はトラツグミならぬ、人の小唄の声に似ている。主食は酒で、そのえげつなさと言ったら、世間という樽の下の呑み穴に、口をつけて呑むような塩梅。そのえげつなさと味わわぬさまと言ったら、あの高価な真崎田楽を、値段も味も分からぬ卑しい下男に与えてしまい、ぺろりと一口にするよりも容易く、この世間を一呑みにしてしまうんである。「忠」と言えば、「そいつはネズミのチュウか?」と返し、「孝」と言えば、『「カウ」たぁ、何処ぞにカラスでもおるんかい!?』と言った風に黙って、寺の本堂の屋根を振り仰いでは、「燕雀なんぞ大鵬の心を知らんや。」なんどと嘯(うそぶ)いておる。小紋通しの三つ紋は紺屋(こうや)に三着分の手間隙掛けさせ、裏半襟はただ仕立屋の手間損で、履いた草履は三枚裏の八幡黒、いやさこの世は闇で足元も真っ黒との謂い、どんぶりは丸ごと煙草入れと成り下がり、肩には矢鱈に長い木綿手拭いをひっ掛けて、風に靡かせるまでもなく、肩で風切り闊歩する――「穴」知らずの「穴」話(ばなし)――親和染(しんなぞ)めの文字知らず――俳諧知らずの俳雅号――通人の不通――とも言うべきものである。図の如き人種は親類縁者から不通悩みの種――縁を切りたくなるような種――であろうほどに――。

