暮れかかる山手の坂にあかり射して花屋の窓の黄菊しらぎく 片山廣子
暮れかかる山手の坂にあかり射して花屋の窓の黄菊しらぎく
先に示した
日傘させどまはりに日あり足もとの細流れを見つつ人の來るを待つ
が生前最後の公開歌であると記した。
それでは、これよりも前で、生前の歌集に再録されていない歌を調べてみる。2006年月曜社刊の「野に住みて」の「拾遺」篇はそうした作業も極めて簡単に行える編集方法を採ってくれているのである。即ち、生前の歌集に採録されている歌には、それぞれの歌集に記号を与え、頭にその記号が附されているのである。「日傘させど」よりも前にある記号がない和歌――それが僕が求めている和歌ということになる。
――それが冒頭に示した和歌である。
……僕のテクストを小まめにお読みになっており、片山廣子と芥川龍之介の関係に関心があられる方には、もうお分かり頂けたはずだ……
この歌は昭和28(1953)年暮しの手帖社刊の随筆集「燈火節」の、あの「花屋の窓」の冒頭の一首だったのだ――そこで彼女は本歌が、遡る『昭和十一年ごろ横濱の山手の坂で詠んだ』ものであると述べているが、昭和11(1936)年の拾遺には本歌はない。但し、僕が「片山廣子短歌抄 《やぶちゃん蒐集補注版》」で示したように、この歌の異形と思われるものが、昭和29(1954)年刊の第二歌集『野に住みて』の「ふるき家(昭和十八年――十九年)」の「ふるき家」歌群の中に現れる。それは以下の通りである。
くれやすき山手の坂を下りくれば花屋のあかりに菊の花しろく
……僕は和歌は苦手だ、だからこの二首を並べてうんぬんする気は全くない。それでも敢えて言えば、視覚的効果と流麗さからは「くれやすき」の方がより好いようには思われる……
……いや、そんなことはどうでもいいのである……「花屋の窓」を未読の方は……今すぐ、お読みあれ……またしても――そう――またしても芥川龍之介なのである……
……廣子はやはり……芥川龍之介亡き後もずっと……芥川のことを――終生――思い続けていたということが……これらによって明らかではないだろうか?……
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