耳嚢 不義には不義の禍ある事
「耳嚢」に「不義には不義の禍ある事」を収載した。
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不義に不義の禍ある事
餘程古き事にや。谷中邊一寺の住職、遊里へ入込、妓女に馴み右女を請出し、姪のよしを僞り、寺内に置ては旦家の思はくも如何と、門前の豆腐屋しける老夫婦方へ召連預置て、姪の事、外に世話いたし候者もなければと、晝は似気(にげ)なき故、夫婦へ賴よし申ければ、夫婦も御尤と他事(たじ)なく世話なしけるが、或日年頃三十斗の男來り、我等は當寺の和尚の甥なり、此度主人の在所より來り、妹は先頃より和尚へ賴、爰元にて世話いたし呉候由、段々辱(かたじけなき)旨にて肴代など少々差遣し、妹儀相應の事あり片付候間、今日同道いたし度(たし)と申ければ、豆腐屋もそれは宜(よろしき)事ながら、今日は和尚にも御留守の事故、申上候てと申ければ、女も兄に無相違(さうゐなし)と申、何しに和尚の我身を咎(とがめ)給ふべきと言て、急支度などいたし、右侍も段々の禮念頃に申、和尚留守なれど歸り給はゞ嘸(さぞ)悦申さん、遠からず禮に又々可參と言て女子を連て立歸りぬ。彼和尚歸りて後、豆腐屋夫婦寺へ行き、ケ様/\の事にてと始終を語りければ、和尚大きに驚き、或ひは怒り或は愁(うれひ)けれ共すべきやうなく、世話にありし悦び候事也といひし由。おかしきことなれば爰に記しぬ。
□やぶちゃん注
・「姪」本文中、和尚が偽ったのが伯父か叔父かは分からないので、とりあえず伯父で訳しておいた。
・「谷中」現在の台東区に残る地名。北は道灌山通り、西は不忍通り、南は上野の森に囲まれ、東は本郷に通じ、現在は山手線が走る。名は上野のお山と本郷台の谷間に位置することに由来する。江戸時代、上野に寛永寺が建てられると谷中に子院が次々と建てられ、幕府の政策(恐らく火除け地の形成のためか)により慶安年間(1648~1651)には神田方面の寺院が多く移転、更に明暦の大火(1657)の後は焼失した寺院がここへ移転して来た。それによって参詣客が増加し、門前の町屋も発達、本件当時は江戸の庶民の一大行楽地として機能する町ともなっていた(以上はウィキの「谷中」を参照した)。住職の破戒振りからは、こうした転居組の寺院の一つであろうか。
・「肴代」謝礼のお金という意味で用いているが、元来、武家では鰹節を戦時非常の食とし、結納の儀に包んだ(勝男武士の掛詞でもある)。ここではそうした伏線としても機能しているのかも知れない。
・「晝は似氣なき故」底本には右に注して『尊經閣本「寺似氣なき事故」』とある。「似氣なし」は、似合わない、相応しくない、の意であるから、この二つを合わせれば、「女が居っては、昼間に知らぬ参詣人が見れば、如何にも寺に相応しくない」といった意味である。真宗寺以外では、表向き僧の女犯は厳しく禁じられていた。折衷して訳した。
・「世話にありし悦び候事也といひし由」底本には右に注して『尊經閣本「世話に成しなとゝいゝしは」』(「世話になりし等言ひしは」で「いゝ」はママ)とある。この台詞は話柄のポイントである。現代語訳では発声への導入部と言い方にオリジナルな手を加えてある。
・「おかしき」ママ。
■やぶちゃん現代語訳
不義には不義の禍いがある事
余程、昔の話でもあろうか、谷中辺にある寺の住職、遊廓に入れ込み、馴染みの妓女が出来て、これを請け出し、自分の姪と偽り、流石に寺内に住まわせておくには檀家の手前もまずかろうと、門前で豆腐屋を営んでおった老夫婦の方に女を連れ行き、預けておくことにした。
「……これは、拙僧の姪で御座るが……今や、他に世話する者とてなく……かく申すとても……女犯(にょぼん)の仏法なれば、寺内に住まわせては、昼の間、訳知らぬ人なんど見給はば何かと誤解の種ともなろう程に……御夫婦方、どうか一つ、よろしゅうに……」
との申し出に、老夫婦も、尤もなことにて御座いますると、快く引き受けた。――
ある日のこと、年の頃、三十ばかりの侍風の男が、この豆腐屋にやって来た。
「拙者はこの寺の和尚の甥に御座る。この度は、主家の領地より参上致いた。先頃、妹儀、無理を申して伯父の和尚に頼み置きましたが、伯父より聞きましたところ、こちらで大層お世話頂いておる由、重々かたじけなきことと存知まする。」
旨申して、少しばかりの謝礼の金子など差し出だいて、
「いや実は、この度、この妹儀、拙者ども差配致いて、目出度く婚儀を迎うることと相成りまして御座る。急なことで御座れども、婚礼の余祝(よしゅく)の儀などもありますれば、今日、同道の上、御領地へと帰参致いたく存ずる。」
と言う。流石に豆腐屋の主人も、
「そりゃ、目出度きことじゃ!――なれど、今日は和尚さまもお留守のこと故、また改めてお出直しになられ、直接申し上げなさった上で……」
と言いかけたところが、主人の傍らに控えておった妹も、
「これは私の兄さまに相違御座りませぬ! 妾(わらわ)が婚儀のために伯父上の留守中に郷里に戻ったからとて、どうして和尚さまが、お爺さまをお咎めなさるなんどということが御座いましょうや。」
と、きっぱりとした口調で言うと、いそいそと旅支度など致し、その侍も重ね重ね丁重な礼を述べて、
「生憎、伯父和尚は留守で御座ったか――しかし、なればこそ、お帰りになった折りは、さぞかし妹婚儀決定(けつじょ)の事、お悦びになられるに相違御座らぬ――今日は急ぎまするが、近々、ゆるりと御礼方々参上致しますれば。」
とて、二人して深々と挨拶をすると、侍は妹を連れて足早に帰って行った。――
程なく、和尚が所用を済ませて帰って来たようなので、豆腐屋の夫婦は寺へ参り、留守中、かくかくしかじかのことあり、いや、目出度きことに御座る、と語る。
和尚は――内心、青天霹靂、驚天動地――その身の内にては、或いは腸(はらわた)が煮え繰り返り、或いは腸が一時に九廻するほどであった――じゃが、それをまた、表情に出すわけにも参らず――むぅおーっと赤くなったり、すうーっと青くなったりしながらも――唇を震わせながら、一言、
「……いや……姪……が……大層、世話に……うぁ、相、ぬあった……いや、ヒャアィッ! めで、たい、の! いや、めでたい、めでとぅあい、ぬゥおォツ!…………」
と言う外はなかった、とか。――
如何にも面白い話なので、ここに記した。