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2009/11/12

耳嚢 妖怪なしとも極難申事

「耳嚢」に「妖怪なしとも極難申事」を収載した。

 妖怪なしとも極難申事

 安永九子年の冬より翌春迄、關東六ケ國川普請御用にて、予出役して右六ケ國を相廻りしが、大貫次右衞門、花田仁兵衞等予に附添て一同に旅行廻村し侍る。花田は行年五十歳餘にて數年土功になれ、誠に精身すこやかにしてあくまで不敵の生質(きしつ)也けるが、安永十丑の春玉川通へ廻村にて押立村(おしたてむら)に至り、豫はその村の長たる平藏といへる者の方に旅宿し、外々はその最寄の民家に宿をとりける。いつも翌朝は朝速(あさはやく)次右衞門、仁兵衞抔も旅宿へ來りて一同伴ひ次村へ移りける事也。仁兵衞其日例より遲く來りし故、不快の事も有し哉と尋しに、いや別事なしと答ふ。其次の日も又候豫(よが)旅宿に集りて御用向取調ける折から、仁兵衞かたりけるは、押立村旅宿にて埒なき事ありて夜中臥(ふせ)り兼(かね)、翌朝も遲く成しと語りけるが、いか成事やと尋けるに、其日は羽村(はむら)の旅宿を立て雨もそぼふりし故、股引わらじにて堤を上り下り甚草臥(くたびれ)しゆへ、予旅宿を辭し歸りて直に休み可申と存候處、右旅宿のやうは本家より廊下續にて少し放(はな)れ、家僕など臥り侯所よりも隔(へだたり)あるが、平生人の不住所(すまざるところ)に哉(や)、戸垣もまばらにて表に高藪生茂り用心も不宜所(よろしからざるところ)と相みへ侯故、戸ざしの〆(しま)り等も自身に相改(あらため)臥りけるが、とろ/\と睡り候と覺る頃、天井の上にて何か大石など落し侯やう成(なる)音のせしに目覺、枕をあげみ侍れば、枕元にさもきたなき樣の座頭の、よこれ穢はしき嶋の単物(ひとへ)を着し、手を付居たりし故驚、座頭に候哉(や)と聲を可掛(かくべし)と思ひしが、若(もし)座頭には無之(これなく)申す間敷ものにも無之、全(まつたく)心の迷ひにもあるやと色々考へけれど、兎角(とかく)座頭の姿なれば、起上り枕元の脇差を取上ければ形を失ひしまゝ、心の迷ひにあらんと、懷中の御證文などをも尚又丁寧に懷中して、戸ざしの〆り等をも相改、二度臥しけるが、何とやらん心にかゝり睡らざると思ひしが、晝の疲にて思わずも睡りけるや、暫く過て枕元を見けるに、又々かの座頭出て、此度は手を廣げおゝひかゝり居(をり)ける間、最早たまりかねて夜※(よぎ)を取退け、枕元の脇差を取揚ければ又消失ぬ。依之(これによりて)燈をかき立、座敷内改見けれど、何方よりも這入と思ふ所なき儘、僕を起さんと思ひけれど、遙に所も隔りければ、人の聞んも如何と又枕をとり侍れど、何とやら心にかゝりてねられず。又出もせざりしが、全狐狸のなす業ならんと語り侍る。

[やぶちゃん字注:「※」=「衤」+「廣」。]

□やぶちゃん注

・「妖怪なしとも極難申事」は「極く申し難き事」と読む。

・「安永九子年」西暦1780年。庚子(かのえね)。

・「關東六ケ國」相模・武蔵・上野・上総・下総・伊豆。

・「川普請」幕府の基本政策の一つである用水普請(河川・治水・用水等の水利の利用事業)の一つで、堰普請や土手普請を含む河川改修事業。岩波版の長谷川氏注には根岸が『御勘定吟味役の時、天明元年(一七八一)四月、関東川々普請を監督の功により黄金十枚を受けている』と記す(底本の鈴木氏注にも同様の記載があり、そこには「寛政譜」からと出典が記されている)。根岸は安永5(1776)年、42歳で勘定吟味役に就任しており、安永101781)年時も同役である。

・「大貫次右衞門」前項「大岡越前守金言の事」の岩波版長谷川氏注によれば、大貫光政(享保151730)年~天明2(1781)年)『次右衞門。安永二年(1773)御先手与力。勘定吟味方改役。百俵。天明元年(1781)関東川々普請御用で賞され』たとある。仕えた大岡忠光より21歳年下である。

・「花田仁兵衞」岩波版長谷川氏注によれば、花田秀清(ひできよ 享保7(1722)年~寛政101798)年)『御普請役・支配勘定・御勘定などを勤め』た、とある。この時、59歳。

・「土功」土木事業。

・「安永十丑」西暦1781年。辛丑(かのとうし)。安永10年は光格天皇の即位のため4月2日に天明元年に改元しているが、ここでは「春」とあるので勿論、安永十年で正しい。

・「玉川通」多摩川流域。山梨県と埼玉県の県境にある笠取山を水源とし、山梨県・東京都・神奈川県を流れる。

・「押立村」現在の東京都府中市押立町。多摩川の北岸にあった村。

・「朝速(あさはやく)」は底本のルビ。

・「羽村」現在の東京都羽村市。押立村の上流約40㎞、多摩川の東岸にあった村。ここには、江戸の水源であった玉川上水(この羽村から四谷まで全長約43㎞に及ぶ)の取水口、羽村取水堰がある。玉川上水は承応元(1652)年に幕府が企画し、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が実務工事を請負ったが、掘削は困難を極め、最後には公金も底をつき、多摩川兄弟が自家を売って完成させたともいう。

・「予旅宿」これは根岸が花田仁兵衞から聞いたことを書いているために、部分的に間接話法としての変化を受けてしまった。訳では「貴下の旅宿」とした。

・「座頭」江戸時代、僧形をした盲人が琵琶や三味線を弾いて語り物を語ったり、又は、按摩や針灸などを生業とした者の総称。

・「御証文」ここでは花田仁兵衞の個人的な証文とも取れるが、「御」が附いており、さらにこの日は根岸との事後打ち合わせ「御用向取調」に出席していないことから、当日、踏査した記録類という意味で私はとって「川普請踏査の大事な証書」と訳しておいた。

・「夜※(よぎ)」[※=「衤」+「廣」。]不詳。岩波版ルビに従い、夜着(掻巻のような布団)と解釈した。

■やぶちゃん現代語訳

 妖やしの物の怪は存在しないとも如何にも言い難い一件の事

 安永九年子の年の冬から翌年の春にかけて、関東六ヶ国川普請御用を承り、私はこの六ヶ国をたびたび巡回致いたが、その際は部下として、「大岡越前守金言の事」を語ってくれた大貫次右衛門と花田仁兵衛らその他の者どもが私に付き添って一緒に旅し、廻村して御座った。この花田という男は、当時五十歳余りで、長年、普請の現場作業や実務にも慣れており、強靭な精神力を持った不敵にして大胆な好漢である。

 その、安永十年丑の年の春先、多摩川流域の村々を巡り、押立村まで来た。私は村長(むらおさ)の平蔵という者の家に旅宿し、その他の部下は村長の最寄りの民家に宿を取った。普段ならば翌朝早くに次右衛門や仁兵衛らが私の宿っている家(や)に集合した上で、一同共に次の村へと出立するのが常であった。

 ところが、その日に限って仁兵衛が遅刻したので、私は、

「どこぞ体の具合でも悪く致いたか?」

と尋ねたところ、仁兵衛は、

「……いや……別にどうと言うことは御座らぬ……」

と答えると、遅延の詫びを述べて、一同、村長の家を立った。

 ――その日の晩のことである。いつもと同様のことで御座ったが、私の旅宿している家に集まって、本日昼間(ちゅうかん)に踏査した川普請関連記録に就いての整理をしていると、その際、仁兵衛が、

「今朝は、実は……押立村の拙者の旅宿先にて、ちょっとした事が御座って……夜中に寝ねられずして……遅れて御座った……」

とのこと。興味を惹かれて私が、

「どのような事が御座った?」

と尋ねたところ――

「……あの日は早朝に羽村の旅宿を立って、雨もそぼ降っておる上に、股引に草鞋ばかりの出で立ちのまま、多摩川堤を上ったり下ったり……ひどうくたびれて仕舞うて、貴下の旅宿へ寄るのはお暇(いとま)致し、真直ぐ拙者に割り当てられた旅宿に帰って休むに若(し)くはない、と思ったので御座る……

……さて、拙者の旅宿の寝所は、その家(や)の母屋から廊下続きになっておる、少し離れた部屋で、拙者の従僕どもが当てがわれた部屋からも離れた場所で御座った……見たところ、普段はもう人の住んでおらぬ部屋であるらしく、戸や垣根も荒れており、裏庭には背の伸びきった竹が鬱蒼と生い茂って、正直、如何にも無用心なる部屋じゃと思いましたればこそ、そこここの戸締まりなどもしっかりと確かめ上、横になり申した……

……うとうと致いたと思うた頃……

……ずん!……

……と天井の上で、何か大きな石でも落としたかような音が致し……目が覚め申した……

……目覚めて、頭を起こし、枕上を見ると……そこに……

……見るも穢(けが)らわしい座頭風の者が……如何にも汚(きたな)らしい縞の単衣を着て……両手をついて座っておったのです……

……吃驚した拙者は

『座頭であるか?』

と声をかけようと思うたので御座るが……

……もし、その相手が

『――座頭では――ない――』

……なんどと、返事をされないとも限らず……

……座頭体(てい)の者から、そんな返事をされたのでは……これ、又ぞっと致すものなれば……

……いや、これは全く以って気の迷い、幻じゃ!……なんどとぐるぐると考えあぐねて御座ったが……

……兎も角も確かに眼前に……

……座頭の姿は、ある……

……そこで、がばと起き直って、枕元に置いた脇差を取り上げたところ……座頭の姿は、影も形のなくなってしもうたのです……

……そこで、やはり気の迷いであったかと……懐中の川普請踏査の大事な証書等も一度取り出いて確めた上、再び丁寧に畳んで懐中致し……再度、戸締まり確認の上、再び横になり申した……

……かくなる故、何やらん気に掛かって眠れないのではあるまいかなんどと思って御座ったが……それでも、昼の疲れも手伝ってか、思わず寝入っておりました……

……暫く経って……また、ふと覚めました……枕元を見ると……

……また先程の座頭が、居ります……

……いや、今度は両手を大きく拡げると……

……今にも……拙者に襲いかからんばかりの様にて、居るので御座る……

――!――

……拙者は最早たまりかねて、布団を撥ね退けると、枕元の脇差を手に取り上げたところが……また……消え失せてしもうたので御座る……

……そこで拙者は起き上がると、部屋の燈心の火を掻き立てて、座敷内(うち)を隈々に至るまで改めて見ましたれど……何処からも、人が入ることが出来よう思われる所は、これ、全く御座らぬ……

……もう、その折りには、従僕をも起こそうかとも思うたものの……連中の寝所も遙か遠くに隔たっておりましたれば……そうこうする内に、よそ人に騒ぎを聞かれるのも如何にも外聞が悪かろうと思い……また、枕を取って横になりました……なりましたものの……かくなっては、流石に何にやらん心に掛かってしまい、眼も冴え返って、遂に寝付けませなんだ……

……この座頭……それっきり、現れませなんだが……

……全く以って狐狸のなす業にて御座ろうか……」

――と物語ったので御座った。

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