耳嚢 狂歌の事
「耳嚢」に「狂歌の事」を収載した。
*
狂歌の事
近き頃何とかいへる狂歌人濕瘡を煩ひける。心安き友どち尋訪(たづねとひ)けるに、右友人の在所/\も遙なる人なれば、狂じて我身のうへを詠けるに、
加賀 武藏
香がむさし
紀伊 駿河
氣のくにするが
美濃 肥前
身のひぜん
出羽安房
これでは哀れ
壱岐 甲斐
いきがひもなし
この狂歌程あそびなきはなしと、曲淵甲斐ものがたりゆへ記ぬ。
[やぶちゃん注:和歌は底本では一行表記であるがブログのブラウザ上国名の傍表記に不全が生じるので底本で分かち書きに変更した。]
□やぶちゃん注
・「濕瘡」疥癬。節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱ダニ目無気門(コナダニ)亜目ヒゼンダニ科ヒゼンダニSarcoptes scabiei var. hominis が寄生することによって起こる皮膚感染症。本種はヒトにのみ限定的に寄生し、ヒトの皮膚角層内にトンネル状の巣穴を掘って棲息する。主症状は激烈な痒みで、初期には指間部・手首及び肘の屈曲面・腋窩の襞・ベルトに沿ったウエストライン・殿部下方等に紅色の丘疹が現れる。この丘疹は体の如何なる部位にも拡大可能であるが、通常、成人では顔面に出現することはない。ヒゼンダニの形成するトンネルは微細な波状を成し、やや鱗状の屑を伴う細い線として認められ、その長さは数㎜から1㎝程度、一方の端にはしばしば小さな黒い点(ヒゼンダニ本体)を認め得る(病態については万有製薬の「メルクマニュアル」の「疥癬」の記載を参照した)。
・「香がむさし氣のくにするが身のひぜんこれでは哀れいきがひもなし」は、
やぶちゃんの通釈:
疥癬による皮膚炎が著しく悪化したため、体中から何やらん臭い匂いが立ち上って、耐え切れぬ痒みだけではなく、その鼻が曲りそうな臭気のことも気に病んで仕方がない――これも総ては我が身の非善の業なればこそ――これでは最早、生き甲斐とてない……
の意で、それに、友人たちが遙か遠国からも見舞いに来てくれたことへの感謝の意を示して、国尽くしで、
加賀(現在の石川県南部)・武藏(現在の東京都・埼玉県と神奈川県東部)・紀伊(現在の和歌山県のほぼ全県と三重県の一部)・駿河(現在の静岡県中部)・美濃(現在の岐阜県南部)・肥前(壱岐対馬を除く長崎及び佐賀両県)・出羽(現在の秋田及び山形両県)・安房(現在の千葉県南部)・壱岐(現在の長崎県壱岐島)・甲斐(現在の山梨県)
の十ヶ国の国名を読み込んだもの。この歌については底本注で鈴木氏が、「巷街贅説」(寛政3(1791)年より安政元(1856)年に至る江戸市中の巷談俚謡を塵哉翁なる人物が蒐集したもの)巻一に『十箇国之歌、難波人甚久法師の詠として載っている』とある。
・「あそび」諧謔形式の和歌としての最低限の文学的香気を言うのであろう。確かに、むずむずするほ程に痒く、そうしてぷーんと臭(にお)ってくる狂歌ではある。しかし、その「あそび」のなさは、実は、この、とって附けたような前振り故に『効果的に』その匂いと痒みが倍加されているような気がする。してみれば、これは前注にあるように本来はただ十国尽しの狂歌としてあったものに、如何にもな前段を付与したと考えるのが妥当であるように感じられる。
・「曲淵甲斐」曲淵甲斐守景漸(かげつぐ 享保10(1725)年~寛政12(1800)年)のこと。前項「ちかぼしの事」に既出。以下、ウィキの「曲淵景漸」によれば、『武田信玄に仕え武功を挙げた曲淵吉景の後裔』で、『1743年、兄・景福の死去に伴い家督を継承、1748年に小姓組番士となり、小十人頭、目付と昇進、1765年、41歳で大坂西町奉行に抜擢され、甲斐守に叙任される。1769年に江戸北町奉行に就任し、役十八年間に渡って奉行職を務めて江戸の統治に尽力』、『1786年に天明の大飢饉が原因で江戸に大規模な打ちこわしが起こり、景漸はこの折町人達への対処に失態があったとされ、これを咎められ翌年奉行を罷免、西ノ丸留守居に降格させられた。松平定信が老中に就任すると勘定奉行として抜擢され、定信失脚後まで務めたが、1796年、72歳の時致仕を願い出て翌年辞任した』。天明の大飢饉の際に『町人との問答中に「米がなければ犬を食え」と発言し、この舌禍が打ちこわしを誘発するなど失態もあったが、根岸鎮衛と伯仲する当時の名奉行として、庶民の人気が高かった』とある。根岸の一回り上の上司にして、本「耳嚢」の情報源の一人である。
■やぶちゃん現代語訳
狂歌の事
最近のことであろう、狂歌師として知られた或る人が、ひどい疥癬を患ったという。心安くしていた友達らが見舞いに訪れたところ、この友らのそれぞれの在所は遠く――正に何れも遙か遠いところに住まう人であったので――洒落ながら、自身の身の上を詠んで見せた、その歌――
香がむさし
(加賀)(武蔵)
気の苦にするが
(紀伊の国)(駿河)
身の非善
(美濃)(肥前)
これでは哀れ
(出羽)(安房)
生甲斐(かい)もなし
(壱岐)(甲斐)
「……この狂歌ほど、えげつのうて文雅のないものは、ないのう……。」
と、曲淵甲斐守殿が私に語って聞かせ、かく感想も添えて呉れたので、ここに記す。

