長屋夢
つげ義春のように――僕は家のそばに昭和30年代の長屋を借りている。
秋日和である。二間の部屋に朝光が射し込んでいる。
僕は30年前の僕である。
その僕を30年前の恋人がふと訪ねて来る。
彼女はあの時のまま愛らしいのだが、鼻髭を生やしている。
梶井基次郎のように――僕はおずおずと
「……それ、そうしたの?」
と少女に訊ねると、少女はつげの「ねじ式」の女医のように
「……これは○×式を真似て、みたんです……」
と、あの頃と同じようにはにかんで応えた――
――そこに沢山のあの頃の仲間が入れ替わり立ち替わり訪ねてくる。中にはもう鬼籍に入った老教師や既に人の妻となったやはり昔の恋人が夫婦で挨拶に来たりする。彼等は僕を頻りに遊園地や紅葉狩に誘うのだが、それは暗に僕を、この長屋から、いや、この少女から離そうとしているかのように見える。
それでも――やっと僕は少女と二人っきりになれた――
午後の暖かな日差しが二人きりの部屋に射し込んでいる。
尾形亀之助のように――僕は陽だまりの中――あの頃と同じ少女の少し硬い膝枕で――垣根もない庭と――その向うの、彼方はハレーションで白く飛んでいる縹渺とした荒野を――ただ凝っと鼻髭を生やしてあの頃と同じ少し淋しげな眼の少女と一緒になって――その彼方を黙って眺めている……
*
……今朝方の夢である。5時少し前に起きた僕は、暁から曙へと向かう空を眺めながら、暫くこの余韻に浸っていた……何だか僕は、芥川龍之介の「或阿呆の一生」の一節を頻りに思い出そうとしていたのだった……だって、その夢は確かに……『何か木の幹に凍(こゞ)つた、かゞやかしい雪を落すやうに切ない心もちのするものだつた』からである……