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2009/12/12

耳嚢 頓智不可議事

「耳嚢」に「頓智不可議事」を収載した。

 頓智不可議事

 有德院樣御代御小納戸(おこなんど)を勤たりし落合郷八郎は、後に小十人頭被仰付、表勤に成しが、

  二代目も落合郷八といひて奧勤いたし、其後御留守居番相勤め予も

 日々出合知る人にてありし。代々郷八と名乘る故爰に記しぬ。

 小十人頭被仰付間もなく御成にて組一同御前近く平伏し居たりしに、御馴染の事故(ゆゑ)郷八出居候哉、其方組の者名面(なをもて)定て覺へつらん、逸々(いちいち)可申と御いたづらに上意ありければ、中々組の者の名前可覺(おぼゆべき)樣なかりしに、郷八畏(かしこま)りて組の者へ向ひ、御尋に候間一人づゝ銘々名前を可申上(まうしあぐべし)と申渡、名乘しとや。上にも尫弱(わうじやく)成(なる)者と御笑ひ殊の外御機嫌よかりしと也。

□やぶちゃん注

○前項連関:言い回しの頓智で連関すると言えるが、一連の吉宗エピソードとしてのそれとするほうがよかろう。

・「頓智不可議」「議すべからざる」と読む。この「議」はあげつらう、非難するという意味であるが、そこまで事大主義的にあげつらうのも阿呆らしいので「馬鹿に出来ない」と訳した。落合郷八のとっさの機転は、とぼけているけれど、意地悪い問いを巧みに処理した機知を言うのであろうが、正直、私には余り面白い話としては読めない。

・「有德院」八代将軍徳川吉宗(貞享元(1684)年~寛延41751)年)の諡(おく)り名。

・「御小納戸」御小納戸衆。小姓(こしょう)に次ぐ将軍側近で、将軍私有の金銀財物調度・衣服調髪・膳番(ぜんばん:食事一般)・馬方・鷹方・筒方・庭方などの身辺雑務を担当。

・「落合郷八郎」一代目は落合豊久(元和2(1682)年~延享3(1746)年)。底本の鈴木氏の注によれば、郷八が正しく、『吉宗の紀州時代からの家臣で、享保元年御家人に列し小納戸役、同十四年小十人頭、元文三年御先鉄砲頭』となったとする。享保元年は1716年で吉宗将軍就任の年。元文3年は1738年、亡くなった延享3(1746)年の前年には将軍職が家重に委譲されている。更に鈴木氏はこの二代目は、その落合豊久養子であった郷八居久(すえひさ 享保2(1717)年~天明元(1781)年)で、安永6(1777)年に御留守居番であったと記す。根岸は「予も日々出合知る人にてありし」と過去形を用いている。これは「耳嚢」の執筆の着手が郷八居久の死後である天明元(1781)年以降(天明51785)年頃とされる)であったことを示す証左である。

・「小十人頭」扈従人を語源とすると思われる「小十人」は将軍及びその嫡子を護衛する歩兵を中心とした親衛隊。前衛・先遣・城中警備の3つの部隊に分かれ、その頂点にいるのが小十人頭(小十人番頭)であった(以上はウィキの「小十人」を参照した)。底本の鈴木氏の注によれば、若年寄支配で『二十人を一組とし、組数は増減があるが、多い時は二十組あった』とある。流石に就任直後で部下400人の顔と名を一致させるのは困難である。

・「表勤」幕府の相応な行政・司法等の一般職(将軍家に直接関わる奥向きではない)に就くことを言っているようである。辞書などを引いてもぴんと来る解説がない。

・「奧勤」この場合は、広く将軍家に近侍する職に就くことを言っているように思われる。辞書などの記載ではぴんと来ない。

・「御留守居番」宿直により大奥の警備と奥向きの諸務を取り扱った。老中配下。しばしば耳にする留守居役というのは別職(同じく老中配下で大奥警備・通行手形管理・将軍不在時の江戸城保守であったが、留守居番とは直接の上下関係はなかった、とウィキの「留守居」には記されている)。

・「逸々(いちいち)」は底本のルビ。

・「尫弱」底本ではこの右に『(横着)』と注する。この「尫」に近似した字(「兀」の一画目を「ハ」に代えた字。やはり「オウ」と読む)の「弱」との熟語は存在し、「弱い」「虚弱」の意味であるが、それに、「横着」という意味はない。吉宗が横着を「オウジャク」と発音しものに、衒学的に(もしくは将軍家の言葉として差別化するために)この字を当てたものか。

■やぶちゃん現代語訳

 馬鹿に出来ない咄嗟の頓智の事

 有徳院様の御代、御納戸役を勤めた落合郷八郎殿は、後に小十人頭を仰せつけられ表勤めとなった者であるが――二代目も落合郷八といって、奥勤めを致し、その後、御留守居番を勤め、私も日常的によくお会いした方であった。代々「郷八」と名のっていたことをここに記しおく――小十人頭を仰せつけられて間もなく、上さまの御成の際、組一同で御前近くに平伏して御座ったところが、上さまは、

「おお、郷八か! その方、組の者の名と顔は、もうとうに覚えたであろうな。一人ひとり名を申してみよ!」

と、聊か意地の悪いお戯れのご上意が御座ったのじゃが、流石に着任後間もないこと、郷八殿、己が支配の組の者どもの名を覚えてなんど御座らぬ。さればこそ、郷八殿、畏まって、組の者どもへ徐ろに、

「お尋ねにてあればこそ! 一人ひとり名前を申し上ぐるがよいぞ!」

と申し渡し、各々、粛々と名のったとか。

 上さまは、

「この! 横着者めが!」

と、お笑いに遊ばされながらも、殊の外、上機嫌にてあらせれた、ということで御座る。

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