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2009/12/05

耳嚢 下賤の者にも規矩見識のある事

「耳嚢」に「下賤の者にも規矩見識のある事」を収載した。

 下賤の者にも規矩見識のある事

 或年の暮に予が親しかりし浪人、貧しき暮しながら身上も心成(こころなり)に仕廻(しまはし)、よりていたずかわしき暮の大晦日の氣色を觀じ居たりしに、門口をさゞい/\とゆふ/\と商ふ聲しける故、不思議にもおかしく思ひて螺貝(さざい)を買ふて春の肴にせんと呼入ければ、右商人螺(さざい)は無之、菜斗りの由にて青菜十四五把籠の内におけり。子細も有らんと多葉粉茶抔振舞、何故にさゞいと呼侯哉と尋ければ、我等事夫婦さしむかひにて甚貧しく暮しぬ。さりながら三十年來螺を商ひいたし、屋敷十軒あり、右の方にてさゞいとだに呼侯へば、例のさゞい賣來りしとて、菜を持參りても其外何を持參侯ても調ひ給候へば夫婦のたつきは有なれ、御身に不限、強て求め給はずとも不苦と語りぬ。世にはかゝる異物もありしと右浪人一方齋語りぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:たかが一弓術の師範にも太古神代の箙の有職故実に通じる智があったように、弓ならぬ棒手振(ぼてぶ)りにも、ある意味、広く人一般の手本ともなる工夫の巧者があるという連関。

・「身上も心成に仕廻、よりていたずかわしき暮の大晦日の」底本には右に『(尊經閣本「身上も可成に仕廻致いそかはしき大晦日の」)』とある。「身上」は財産・懐具合、「心成に仕廻」は、思い通りに成し終える、の意であろう。「いたずかわしき」は正しくは「いたづかはしき」。これは「労(いたづ)がはし」(努める・疲れるの意の「労(いた)つく」という動詞から派生した形容詞)で、煩わしい、面倒だ、気苦労だ、の意であるが、類語相当の尊経閣本の「いそかはしき」の意を採って訳した。

・「門口を……」以下、商人の台詞までを、浪人一方齋の直接話法とし、一部に私の補足を加えて翻案してみた。

・「さゞい」軟体動物門腹足綱古腹足目サザエ科リュウテン属サザエ亜属サザエTurbo cornutus。栄螺。「さざい」は「さざえ」が音変化を起したもの(こういう現象はイ音便とは言わない)。「さだえ」とも呼んだ。「さざい」は実際に発音してみると、成程、売り声としては通りがよいし、発音もし易い。

・「一方齋」不詳。話柄から、根岸御用達の情報源の一人であった可能性が極めて高い。

■やぶちゃん現代語訳

 下賤の者にも手本ともなろう工夫の巧者ありという事

 ある年の暮れのこと――その頃、私が親しくしておった一人の浪人があったのだが――その御仁、貧しい暮し向きながらも、今年は何とか借金も粗方返済致いて、穏やかに正月を迎えられそうだということで、例になく、慌しい大晦日の巷(ちまた)の雰囲気を、家(うち)にあって心静かに味おうておったと言う。その折りのこと……

……ふと、長屋の門口を、

「……さざい~……さざい~……」

という売り声の通るのが聞こえて御座った。

 すると、さても何やらん、不思議に風流な気になり申し、

――一つ、栄螺(さざい)でも買(こ)うて、春迎えの祝い酒、その肴と致そう――

と思い至り、その棒手振(ぼてぶ)りを呼び入れたところ、

「――栄螺は御座いません――菜、ばかり――」

とあっけらかんと言うので御座る――確かに、見れば、青菜ばかり十四、五把、籠の内に積んでおるだけ……。

……拙者は最前申しましたる通り、聊か柄にも合わぬ風流めいた心持ちにあったればこそ、何か子細あってのことと思い、暫く、間口に棒を下ろさせ、煙草や茶などをその棒手振りに振る舞いつつ、

「……時に、何故に『さざい』と呼ばわって御座るか。」

と訊ねてみたので御座る……。

……すると、その男は、次のごと、語りまして御座る……。

……「――あっしら、夫婦(めおと)二人きり、お恥ずかしいばかりの貧しい暮しをしてごぜえやすが――そうは申しましても、とりあえずは三十年この方、ただただ、栄螺ばかりを商って参りやして、御用達(ごようたっし)頂いてごぜえやすお屋敷も、十軒ばかしはごぜえやす――さても、今日ように栄螺がのうて、雜葉(ざっぱ)の野菜しか仕入れが出来ませなんだ折りも――そのお屋敷辺りへ参りやして、

……さざい~……さざい~……

やらかしやすと、お屋敷内の人は――件の栄螺売りが来た――と呼び入れて下せえやす――と、栄螺がのうても――こんなして、ありきたりの青菜を持ち参りやしても――その他どんなもんを持ち参りやしても――不思議と、お叱りを受けることもなく、お買い上げ下せえやすもんで――まぁ、そんでもって、あっしら夫婦の生業(なりわい)も立ちいってごぜえやすんで――お侍(さむれえ)さまに限らねえことでごぜえやすが、無理して買(こ)うて頂かんでも一向に構いませんで。へぇ――」……

……「世にはこうした変わり者もおるので御座る。」

とこの浪人、一方齋殿が語った。

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