耳嚢 物は一途に無候ては成就なき事
「耳嚢」に「物は一途に無候ては成就なき事」を収載した。
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物は一途に無候ては成就なき事
都て物事にも、たとひ神佛へ祈ればとて一途になくては叶はぬ道理也。纔の初尾(はつを)を獻じ願ひを叶へんといふ愚夫の心かたひかな。物の多少にはよるべからず、十二銅の初尾も其身分によるべき事也。攝州大坂道頓堀の河原に乞食同樣の躰にて呪(まじなひ)をなせる出家あり。其後江戸表へ下りしと聞て、あるいざりありしが、未年若の身分、何卒右呪にて快氣もする事ならばと、其出家を尋べしと江戸表へ下り、もとより貯なき身なれば乞食同樣物貰ひて居たりしが、大勢群集して呪の僧來れりと言故、右のいざりも其所へいたり出家に向ひ、御身は大坂道頓堀に居給ひし人ならずやと尋ければ、成程其出家也といふ故、左あらば年月尋たり、何卒御身の呪にて我等が兩足を立て給はるべしといひければ、成程加持いたし遣(つかは)すべし、何を布施に出し候やといひしを、彼のいざり大に怒り、是迄無益(むやく)の事に汝を尋けるかな、聞しに違ふまいす哉、我等只今往來の惠を乞ふ身分也、何か布施物(ふせもつ)の有べきと言ければ、出家から/\と笑ひ、人に一大事を賴むからは其身の精心を表さずして何の感應か有らん、汝が傍にある面桶(めんつう)の中に穢はしき食物あり、是を布施に可致と言ふ。爰におゐて右のいざり、成程面白き事也、此品は穢らはしき食物ながらわれ今日の露命を繋ぐ食物也、是を布施にせんと差出しければ、彼僧右の食に水をかけ一粒も不殘(のこさず)喰終りて、然らば加持可致とて何か呪文を唱へ、汝が志決定(けつじやう)の上は呪の加護あるべし、いざ立見候樣にと申しけるが、一心の通力や何の苦もなく立上り快く成しとや。水野日州物語を爰に記す。
□やぶちゃん注
○前項連関:前項の「心取」は如何にも本話柄のプラシーボ効果に連関するように私には感じられる。
・「心かたひ」底本では「かたひ」の右に『(難い)』とある。「心堅し」では真面目でひたむきの意となるから不適、「心難し」はそのようないい加減な心では(依願成就は)困難である、ということになるか。私は初読、「心かたゐ」の誤りではないかと思った。「心乞食」で、如何にも心さもしい、という意味で読んだ。現代語訳もそれを用いた。
・「十二銅の初尾」は、十二文の初穂、のこと。初穂とは、本来は、その年初めて収穫した穀物を、神仏へ奉納することを指したが、収穫物に代えて金銭を奉るものを初穂銭、初穂と呼んだ。室町期頃より初穂を「はつお」と発音したことから、「初尾」とも表記するようになった。「十二」は底本の鈴木氏の注に『社寺のお灯明に十二灯を上げる代りに、紙に十二文包んで上げたのが始めで、後には』神仏への奉納に限らず、あらゆる投げ銭・御ひねりのの『最低額を意味するようになった。獅子舞などを舞わすには十二文が最低で、十二銅の獅子舞で曲がないというしゃれことばができた』と記す(中間部は私が解釈して補った)。
・「呪」訳では、まじないによって禍いを祓うことを意味する「呪禁」(じゅごん)を用いた。
・「いざり」はママ。ここは「居ざり」であるが、そのまま「居ざり」とすると、読者の中には足のたたぬ片輪の乞食をイメージする方があると思われる。しかしそれは間違いで、その後、江戸に出てから「もとより貯なき身なれば乞食同樣物貰ひて居たりし」とあるのと矛盾する(大阪でも乞食をしていたとなればこのような表現はしない。されば、「もとより貯なき身」であるから、貧しくはあったが、しかし、日雇いか何かのその日暮しではあるものの、相応な生業には就いていたものと思われる。そこで訳では、足の不自由な男、と訳しておいた。これは私が「言葉狩り」を恐れて訳語を選んだのではないことを特に注するために記した。その証拠に、江戸下向後のシーンでは正真正銘の「居ざり」となっているので、そのまま使用してある。
・「まいす」売僧。堕落僧を指したり、僧を罵ったりする語。糞坊主。
・「感応」人々の信心が神仏に通じて、そのしるしが現われることを言う。
・「面桶(めんつう)」「ツウ」は唐音。一人前ずつ飯を盛って配るための曲げわっぱ。後に乞食の持つ物乞いの入れ物を言うようになった。めんぱ。めんつ。
・「おゐて」はママ。
・「水野日州」水野日向守近義(ちかのり 延享2(1745)年~?)。宝暦12(1762)年書院番、明和3(1766)年小納戸役。寛政9(1797)年には徳川家斉の二男で世継ぎとなった、後の徳川家慶に付いて西の丸に勤めた(主に底本の鈴木氏の注を参考にした)。
■やぶちゃん現代語訳
物事は一途な思いが御座らねば成就せぬという事
総べて物事というものは、たとえ神仏に祈るに際しても、一途でなくては、その願いも叶わぬというのが道理というものなのである。僅かな初穂を奉じて願いを叶えようなんどというのは、愚者のさもしい心の現われである。但し、ここで言う「僅かな初穂」とはその額の多少を言うのではない。十二文の初穂であっても、その地位境遇によって自ずと一途な思いの現われととるべきかどうか決まってくるものなのである――。
摂津大阪は道頓堀の河原に、乞食同様の風体(ふうてい)にて呪禁(じゅごん)を為(な)す出家が居ったが、その後、この出家は江戸表へと下ったとかいう専らの噂で御座った。
さて、ここ大阪に、一人の足の不自由な男が御座った。
彼は、その出家の呪禁の効きめの評判やら、既に江戸に下向してしもうたという話やらを聴きつけて、未だ若い身の上のこと故、何としても、この不自由な足、それがが呪禁にて快気しようものなら、とその出家を探そうと江戸表に下った。元来、貯えとてない身であったので、乞食同様、物乞いをして生活する毎日で御座った。
そんなある日、大勢の人々が群集して、
「呪禁の僧がやって来た!」
と言上げする声が聴こえたので、かの居ざりもその人だかりの中を分け入るようにして飛び込むと、そこに御座った出家に向かって、
「御坊(ごぼう)は大阪は道頓堀に居られて御座った御仁にてはござらぬか?」
と訊ねたところ、
「如何にも――その出家にて御座るが――」
「いや! 左様ならばこそ! 永い年月、捜しあぐねて御座った! 何卒、御坊の呪(まじな)いにて、我らが両足、立つるよう、御療治の程、相願い奉りまする……」
と願ったところ、出家は、
「永のお待ちにてあれば。如何にも加持祈禱し申し上げん――時に――何を布施としてお出し下さるのか――の?」
と言った。これを聞いたかの居ざりは、激しく怒って、
「なんちゅう、こっちゃ!……今日の今日まで、儂は、愚かにも無駄に、あんさんを待って居ったちゅう、こっちゃ! 聴きしに違(たご)う、呆れ果てた売僧(まいす)じゃて! 我ら、只今、往来の恵みを乞うて生き居る身分じゃて、何ぼう、布施致す物のあろう筈も、ない!」
と口汚く、罵った。すると出家は、からからと大笑いして、
「はっ! はっ! はっ! 人に一生の大事を頼もうなら――それなりの偽りなき真心というを表わさないでは、何の神仏の感応やあらん!――どうれ――そこなお主の傍にある面桶(めんつう)の中に――何やらん穢らわしい食い物が御座ろう程に――それを布施と致すがよい――」
と言った。ここに到って、この居ざり、
「成程、面白いことじゃ!……この品は……穢らわしい食い物乍ら、我、今日(きょうび)、一日(いちじつ)の露命を繋ぐ糧(かて)じゃて!……これを布施と、せん!」
と、面桶を差し出(い)だいたところ、かの僧は、この半ば腐れた食べ物に水をぶっつ掛け、一粒も残さず食い終わって、
「――されば。加持致すとしょう。」
と、口中にて何やらん呪文を唱えたかと思うと、直に、
「お主の願いの誠心から出でて――あらゆる『信』を疑わざるの上は――呪(まじな)いの御加護――必ずやある――さあ、立ってみて御座ろう様に!――」
と申したところ、正にその一心が神仏に通じ、不可思議なる力によったものか――何の苦もなく立ち上がって、足は最早、快癒致いておったと……
これは水野日向守近義(ちかのり)殿が物語ったのを、私がここに記したものである。