耳嚢 戲書鄙言の事
「耳嚢」に「戲書鄙言の事」を収載した。
*
戲書鄙言の事
戲書鄙言(ぎしよひげん)取用(とりもちふ)べき事なけれど、又當世の姿或ひは人の心得にも成べければ、桑原豫州見せられたるを爰に記す。
仁過れば弱く成り、義過ればかたくなり、禮過ればへつらひに
成り、智過ればうそをつく。信過れば損をする。
氣はながく勤はつよく色うすく食細して心廣かれ
世の中は諸事おまへさまありがたひ恐入とは御尤なり
不用なは御無事御堅固いたし候つくばひ樣に拙者其許
□やぶちゃん注
○前項連関:前二つで語ってきた天下の道理も、現実的にはかくあれかしと連関。但し、それより後半部は、遙かに前の「諺歌の事」のざれ歌の、
世にあふ歌
世にあふは左樣でござる御尤これは格別大事ないこと
世にあわぬ歌
世にあはじそふでござらぬ去ながら是は御無用先規(せんき)ない事
と同工異曲ではある。
・「戲書鄙言」の「戲書」は戯れに書いた悪戯書き。戯れ書きのこと。「鄙言」は一般には卑俗な言葉のことを言うが、ここでは合わせて広く流言飛語の意でとった。
・「桑原豫州」桑原伊予守盛員(くわはらもりかず 生没年探索不首尾)のこと。西ノ丸御書院番・目付・長崎奉行・作事奉行・勘定奉行(安永5(1776)年~天明8(1788)年)・大目付を歴任、寛政10(1798)年には西ノ丸御留守居役。本話は、彼が勘定奉行であった折りのものと考えてよいであろう。底本の鈴木氏注によれば、『桑原の一族桑原盛利の女は根岸鎮衛の妻』であったそうである。
・「仁過れば弱く成り、義過ればかたくなり、禮過ればへつらひに成り、智過ればうそをつく。信過れば損をする」ここに現れた仁・義・礼・智・信は儒教に於いて人として守るべき五つの道、五常。それらも過剰になれば、とんだしっぺ返しを食らうことを皮肉に返した内容である。
やぶちゃん通釈:
――情けが過ぎれば軟弱になり、道義に拘れば意固地となり、礼儀ばかりに目が向けばへつらいに堕し、知恵が昂じれば嘘をつく。信じ過ぎたら損をする――
・「氣はながく勤はつよく色うすく食細して心廣かれ」
やぶちゃん通釈:
――気長第一 お勤めがっつり 色気あっさり 食は細くて ♪心は~♪ ♪青空!~♪――
・「世の中は諸事おまへさまありがたひ恐入とは御尤なり」
やぶちゃん通釈:
――世の中は よろず何より……「お前さま♡」……「ありがたい!」……「恐れ入りまする……いや、もう……「ご尤ものことにて御座りまする」――
・「不用なは御無事御堅固いたし候つくばひ樣に拙者其許」の「つくばひ樣」は蹲様」で、「様」の字の草体字の別称である。字体がうずくまったような形に見えることから言ったが、これは当時、多く目下の者の宛名の下に用いたものであった。ここでは文字としては敬称でありながら、手紙の相手を見下したものとしての「つくばひ樣」を用いることへ不快を示しているものと思われる。
やぶちゃん通釈:
――世の中に 要らぬは 美事干乾びた 木乃伊(ミイラ)の様なるがちがちの 聴くも不快な あの言葉……「御無事」……「御堅固」……「致し候」……「つくばい『様』」……に……「拙者」「そこもと」――
■やぶちゃん現代語訳
流言飛語の事
流言飛語に類したものをは殊更に取り上げるのも如何とは思うが、当世の姿を映すもの、或いは人の心得にもなりそうなもので御座れば、桑原伊予守盛員殿に見せられたそれを、ここに記しおく。
――仁過れば弱く成り、義過ればかたくなり、禮過ればへつらひに成り、智過ればうそをつく。信過れば損をする――
――氣はながく勤はつよく色うすく食細して心廣かれ――
――世の中は諸事おまへさまありがたひ恐入とは御尤なり――
――不用なは御無事御堅固いたし候つくばひ樣に拙者其許――
« 耳嚢 江戸武氣自然の事 | トップページ | ガイラ »