耳囊 實母散起立の事
「耳嚢」に「實母散起立の事」を収載した。
今夜は、担任した教え子達の成人式に出席。
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實母散起立の事
中橋大鋸(おが)町に木尾市郞右衞門といへる町人、實母散とて產前產後都(すべ)て婦人の妙藥たる藥を商ふ。當時都鄙(とひ)專ら取用る藥也。其本來を尋るに、三代以前市郞右衞門は薪商賣なしける者、同人弟は長崎に居たりしに、長崎にて醫をいたしける者何か江戶表にひき合ふ出入ありて出府致し、町宿をとりて公事をなしけるに、吟味に日數重り入組し譯もありて何かに三年餘も在府なしぬ。依之雜用にも差支(さしつかへ)甚難儀しける故、兼て市郞右衞門弟より右醫師の儀江戶在中は心添候やういたし度旨の書狀ども添候故、市郞右衞門も他事なくいたし、上(か)ミ向濟候事ならば市郞右衞門方へ宿替の事相談に及び、其譯願ひけれど素人宿は難申付、しかし呼出の節町宿へ申遣(まうしつかはし)差支無樣いたしなば勝手次第の沙汰、是迄の町宿と相對いたし、市郞右衞門世話いたし同人方に定宿(じやうやど)して有ける。或時、市郞右衞門隣家の商人娘に聟を取ゆたかにくらしける者、右娘產氣に付殊の外の難產にて產門より足を出し產婦も人事を忘れ苦しみける程也。父母は宿に居兼て市郞右衞門方へ參り歎き咄しけるを、右醫師聞て、諸醫の手を盡し候上外にいたし方も無之ば我等に見せ給ふまじやと尋ければ、悅て則右產婦を見せける故、我等藥を進じ可申が、たとひ事不行(おこなはれず)共恨不申侯はゞ可進(しんずべし)と申ければ、何か諸醫も斷の上はひとへに賴入(たのみいる)旨にて則一貼(でふ)を與へければ、的中のしるしにや產門より出し足を内へ入ければ、彌々(いよいよ)右の藥を用ひけるに、事故(ことゆへ)なく安產して、出生は死體なれど母は別儀なかりける故、父母の悅び大方ならず、金子四拾兩命の禮とて與へけるが、かく禮を可受いわれなしとて再三に斷、貳十兩を受納して、扨十兩は市郞右衞門へ渡し、かく迄世話に成りし宿拂(やどばらひ)にはあらねども受取給はるべし、此度も出入も相濟理運には成りしかども、道中雜用もなければ乞食をいたして成りとも可歸と思しに、隣家の謝絕の殘り十兩あれば古鄕迄下らるべし。年月の御禮は彼地へ着の上幾重にも可致と念頃に申ければ、市郞右衞門答て、我等も娘共大勢有、妻も若ければ此後產に臨みいかなる事か侍りなん。右の藥法を何卒傳へ給はれと歎きければ、安き事ながら右は一朝一夕の傳授にも難成とていといなみけるを、市郞右衞門申けるは、此度給はりし十兩の金子も返進いたし候、追て金子答御差下しに不及、畢竟實儀を以是迄世話もいたし候事、殊に右藥は妻子の爲に傳法を願ふに、承引(しよういん)なきこそいと恨めしき由にて不興氣(げ)成しかば、右醫師も理に伏(ふく)し、被申(まうさるる)所實(げ)に尤也。さらば傳授致べけれど、其樣殊により加減の法もあれば四五日も逗留のうへとて、尙又十日程も市郞右衞門方に逗留し、三册の書物を殘し長崎へ歸りける。右藥法傳授の上則(すなはち)調合して實母散と唱、產前產後の妙藥の趣相觸ければ、日々時々に調ひに來(きた)る事引もきらず。纔の内に夥しく利を得、中々薪商賣など可致隙のなき故、今は右賣藥のみにて千兩屋敷の四五ケ所も所持いたし、當時有德に榮けると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に感じさせないが、2つ前の「雷を嫌ふ事あるまじき事」は長崎で連関、6つ前の項「大木口哲・大坂屋平六・五十嵐狐膏薬三名江戸出店初めの事」の売薬店事始には薬と男気で直連関する。
・「實母散」これは、現在も「喜谷實母散」として存在する。現在の「實母散」の成分及び分量・効能又は効果・用法及び容量・保管及び取扱い上の注意を「喜谷實母散本舗キタニ」のHPの「製品紹介」を元にしながら、私の補足も加えて以下に記す。
○成分及び分量(本品1包(11.25g)中当りの含有成分)
(日局)トウキ 2.25g
トウキは「当帰」で、双子葉植物綱セリ目セリ科シシウド属トウキ Angelica acutiloba の根から採れる生薬。血行循環促進・充血を主因とする疼痛緩和・膿を排出させて肉芽を形成させる作用を持つとする。
(日局)ビャクジュツ 0.75g
ビャクジュツは「白朮」(びゃくじゅつ)で、双子葉植物綱キク目キク科オケラ Atractylodes japonica の根茎から採れる生薬。健胃・利尿・鎮静・血糖降下・肝機能改善作用の他、抗ストレス作用や胃潰瘍に対しても効果を持つとする。
(日局)センキュウ 2.25g
センキュウは「川芎」で、セリ目セリ科センキュウ Cnidium officinale の根茎から採れる生薬。
(日局)オウゴン 0.75g
オウゴンは「黄芩」で、双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科コガネバナ Scutellaria baicalensis の根から採れる生薬。漢方にあっては婦人病の要薬として知られる。血管拡張・血行循環促進・産後の出血・出血性の痔・貧血・月経不順といった補血作用(但し、多くは他の生薬との調合による作用)を持ち、冠状動脈硬化性心臓病に起因する狭心症にも効果があるとする。
(日局)センコツ 1.12g
センコツは「川骨」で、双子葉植物綱スイレン目スイレン科コウホネ Nuphar japonicum の根から採れる生薬。利水・活血・強壮作用を持ち、浮腫・打撲傷・乳腺炎・各種婦人病に効果があるとする。
(日局)チョウジ 0.56g
チョウジは「丁字」で、双子葉植物綱バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属クローブ Syzygium aromaticum の花蕾から採れる生薬。消化促進・体温上昇・血行促進作用を持ち、芳香性健胃剤として消化不良・嘔吐・下痢・腹部冷痛・しゃっくり・吐き気などに効果があるとする。チョウジ油に含まれるオイゲノールeugenolは殺菌・鎮静作用を持ち、歯痛局部麻酔薬などに用いられている。
(日局)モッコウ 1.12g
モッコウは「木香」で、キク目キク科トウヒレン属モッコウ Saussurea costus 又は Saussurea lappa のいずれかの根から採れる生薬。薫香原料として知られ、漢方では芳香性健胃剤として使用されるほか、婦人病・精神神経系処方の漢方薬に多く配合されている。
(日局)オウレン 0.38g
オウレンは「黄連」で、双子葉植物綱キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン Coptis japonica 及び Coptis chinensis 、Coptis deltoidea 、Coptis deltoidea の、根を殆んど除去した根茎から採れる生薬。健胃・整腸・止瀉作用を持ち、また、この生薬に含まれるアルカロイドのベルベリンberberineには抗菌・抗炎症作用がある。
(日局)ケイヒ 0.94g
ケイヒは「桂皮」で、シナモンのこと。双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属シナモン Cinnamomum zeylanicum の樹皮から採れる生薬。免疫力回復・健胃整腸・血行循環促進作用の他、強壮・強精薬として昔から知られる。
(日局)カンゾウ 0.19g
カンゾウは「甘草」で、双子葉植物綱マメ目マメ科カンゾウ属 Glycyrrhiza の根又は根茎から採れる生薬。鎮痙・鎮咳・去痰・解毒・消炎・作用を持ち、消化器系潰瘍・食中毒・虚弱体質・食欲不振・腹痛・発熱・下痢・神経痛などに効果があるとする。
(日局)ビンロウジ 0.94g
ビンロウジは「檳榔子」で、単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ Areca catechu の種子から採れる生薬。健胃・抗真菌・縮瞳・抗ウイルス・駆虫作用持ち、歯磨き剤や各種漢方調剤に用いられているが、ウィキの「ビンロウ」によれば、これはアルカロイドのarecolineアレコリンを含有し、タバコのニコチンと同様の薬理作用(興奮や刺激・食欲の抑制等)を惹起し、依存性も持つ。更に、国際がん研究機関(IARC)は、このアレコリンがヒトに対して発癌性(主に喉頭ガンのリスク)を示すことを認めている、とあるが、勿論、これはアレコリン(ビンロウジではない)を長期に多量に摂取した場合のリスクの謂いである。
○効能又は効果
更年期障害・血の道症(月経・妊娠・出産産後・更年期など女性のホルモンの変動に伴って現れる精神不安や苛立ちなどの精神神経症状及び身体症状)・月経不順・冷え症、また、それらに随伴する月経痛・腰痛・頭痛・のぼせ・肩こり・めまい・動悸・息切れ・手足の痺れ・こしけ(膣や頸管から分泌される粘液の量増加・有臭・白濁等の異常。おりもの・帯下等とも言う)・血色不良・便秘・むくみの症状の緩和。
○用法及び用量
大人1日1包を以下のように4回服用する。
〔1回目〕熱湯180ml(大きめの茶碗1杯)に1包を浸し、適当な濃さに振り出して朝食前に服用。
〔2回目〕1回目に使用した実母散を同様に振り出して昼食前に服用。
〔3回目及び4回目〕:2回目に使用した実母散に水270mlを加え、半量まで煎じつめて、夕食前及び就寝前に分けて服用。
○保管及び取扱い上の注意
*直射日光の当たらない湿気の少ない涼しい所に保管すること。
*小児の手の届かない所に保管すること。
*他の容器に入れ替えないこと(誤用の原因になったり品質に変化が生ずることを避けるため)。
*1包はその日のうちに服用すること。
*振り出し後又は煎じた後、容器の底に沈殿物があっても、そのまま服用しても差支えない。
*生薬を原料として製造しているため、製品の色や味等に多少の差異が生じることあるが、効果には変化はない。
更に「喜谷實母散本舗キタニ」のHPにある「喜谷實母散歴史」のページには、正にこの根岸の叙述が用いられている。通常なら私は他のネット記載の著作権を考慮して全文引用は絶対に行わないのであるが、これは載せない訳には参らぬ。注の数を減らすことが出来、喜谷實母散本舗キタニ様にもお許し頂けるものと思うので(頂いたわけではない。抗議が出れば削除し、リンクのみとする。私の現代語訳でカチンとくるやも知れぬ故)、以下、引用する(見出しに〔 〕を附し、一部の改行と空欄を省略した。また、根岸の没年を1814年(文化12年)、佐渡奉行赴任を1783年(天明3年)とされているが、これは誤りであるので私の責任で補正した)。
≪引用開始≫
〔創業の秘話〕
「喜谷實母散」の創業は1713年(正徳3年)と云われており、その事情は根岸鎮衛(1737年~1815年)の『耳袋』に詳しく記述されております。根岸鎮衛は奉行所の勘定役から江戸南町奉行に出世した役人で、役所勤めの合間に、古老の言伝えや自分自身が聴き取った面白い世間話、事件などを『耳袋』として書き留めました。執筆期間は、1784年(天明4年)に彼が佐渡奉行に赴任した時から江戸南町奉行を最後に引退するまでの30年間にわたっており、当時の庶民生活や風俗を知るうえで貴重な文献と云われています。
〔隣家の産婦を救った實母散〕
近江の国より江戸に出て、楓河岸(後の中橋大鋸町、現在の中央区京橋)で薪炭業を営んでいた喜谷家の太祖、喜谷藤兵衛光長の養嗣となった喜谷市郎右衛門養益は家業を継ぎ、薪炭業を営んでいました。たまたま、長崎にいた実弟が、ある訴訟事件のために江戸に出て来た医師を紹介してきました。市郎右衛門は、事件の進捗状況が遅れ困窮していた医師某を哀れみ、自家に引き取り、3年余り懇切に世話をしました。そのようなある時、隣家の豪商某の娘が産気づき、殊の外の難産となり、その両親が市郎右衛門方に救いを求めに来ました。この窮状を聞き及んだ医師某は、隣家の産婦を診断のうえ、例え効果が現れずとも恨まないことを条件に一服の薬を与えたところ、間もなくして妊婦の苦しみが去り、お産を終えることができました。死産ではありましたが、母親は無事でありました。諸医に見放された隣家の産婦を救ったこの医師の薬の処方は市郎右衛門を驚嘆させました。医師は3年ほど世話になって長崎に引き揚げることになりましたが、市郎右衛門の要請に応え、且つ優遇の厚誼に報いるために、医師某も喜んでその秘伝の処方の詳細を市郎右衛門に与えました。長崎の医師より伝授された秘伝の処方の詳細は、『産辯』、『本法加減諸法』、及び『禁妊婦食考』の3冊にまとめられていました。
〔慈母の赤子におけるが如き妙薬〕
かくして、隣家の難産の婦人の起死回生を助けた妙薬の話は四方に伝わり、江戸市内はもとより、四方八方から人を介して求めに来る者は多く、その妙薬があたかも慈母の赤子におけるが如きをもって「實母散」と命名して、広く世間に発売することとなりました。それは今日より290年前の1713年(正徳3年)のことでありました。
〔商標登録 第十六号〕
喜谷實母散本舗が中橋(現中央区京橋)に所在した時代から、その店頭には竹が生息していましたが、株式会社キタニとして目黒に移転した今日でも本社ビルの玄関脇に竹が植えられており、その祖先の薪屋たることの名残を留めています。また、竹の図柄は昔から喜谷實母散の包装のデザインとして取り入れられてきました。明治に入って日本に商標登録制度が導入された頃、当時の第8代喜谷市郎右衛門は「喜谷實母散」の外箱の意匠の商標登録を申請し、明治18年6月2日付けで商標登録第十六号として認可されています。当該商標はその後幾度かの認可更新手続きが行われ、現在でも喜谷實母散に使用されておりますが、日本の商標登録制度が発足して以来今日まで継続使用されている商標は少なく、医薬品関係では最古のものになっているそうです。
≪引用終了≫
「喜谷市郞右衛門養益」の「養益」の読みは不明。「養」の人名訓読には「きよ・すけ・のぶ・やす・よし」等があり、「益」は「あり・のり・また・まし・み・みつ・やす・よし」等がある。因みに、秘薬伝授のシーンを原文の御先祖の実際よりは、相当穏やかにあっさり描いているのは、ご愛嬌か。因みに正徳3(1713)年は、前年10月の徳川家宣の逝去を受けて、4月2日に家継が第七代将軍に就任した年である。……さてもお読みになって退屈ですか? 薬物成分等、いらない? いや、私は楽しいのだ! こういう注が何より楽しいのだ! 私の考える注とは、こういう『誰か私見たような輩にとって楽しい注』なのである。
最後に「大木口哲大坂屋平六五十嵐狐膏藥江戶鄽最初の事」でも引いた、文政7(1824)年中川芳山堂編になる「江戸買物独案内」(えどかいものひとりあんない)を見てみた。すると少々不思議なことが分かる。薬の引き札パートに「本家實母散」なるものを見出せるのであるが(以上リンク先は神戸大学附属図書館デジタルアーカイブの画像)、その冒頭には
中橋南伝馬町一丁目
さん前さんご婦人血のみち一切によし
産前
本家實母散(志つぼさん)
産後
とあり(「(志つぼさん)」はルビ)、末の売薬店舗名は、「千葉堂本舗」となっているのである。住所は「中橋」乍ら、「大鋸町」ではなく、店名も「喜谷」ではなく「千葉」、意匠も「竹」ではなく、山に火炎太鼓のようなものである(私は「江戸買物独案内」を細かに総覧した訳ではないので、見落としていないとは言えないが、「本家」という呼称は重い。それとも「元祖」が他にあるか)。識者の御教授を乞うものである。
・「中橋大鋸町」岩波版長谷川氏注によれば、『中橋は日本橋と京橋の中間八重洲通と中央通交叉点辺にあった橋』とし、この話柄の当時は既に橋はなく、『地名として残って』いるのみであったとする。大鋸町はその地名としての中橋の南の地である、とする。
・「出入」出入筋の略。これは江戸幕府の訴訟手続きの一つで、奉行所が訴訟人(原告又は告訴・告発人)と訴えられた相手方(被告)双方を召還し、直接対決審問の上、判決を下す手続きを言う。主に現在の民事事件相当のものに適応されたが、刑事事件でも行われることがあった。因みに、これに対するのが「吟味筋」で、奉行所や代官所独自の判断によって被疑者を捕縛・召喚し、糾問審理の上、判決を下す手続きを言う。こちらは刑事事件相当のもに限られた。
・「上ミ」底本では「ミ」は右半分に小さく表記。
・「一貼」「いちじょう」と読む。「貼」(ちょう)は本邦に於いて薬の包みを数える助数詞。一包。
・「理運」通常は幸運・必然的出来(しゅったい)・論理的必然・戦勝機運・勝利を言うが、ここでは所謂「出入」=民事訴訟を受けているから、勝訴を言う。
■やぶちゃん現代語訳
実母散事始の事
中橋大鋸(おが)町で木屋市郎右衛門という町人、『実母散』という産前産後を効能の頭(かしら)へ据え、その外総ての婦人病に万能の妙薬を商っておる。これは江戸市中は言うに及ばず、周縁農村部にあっても広く用いられておる薬にて御座る。その謂われを尋ねた、その話――。
現在の当主の三代前の市郎右衛門は薪売りを家業と致いて御座った。その弟ごが長崎におり、その弟の知れる者で、医師を生業(なりわい)に致いて御座った者、やんどころない理由で江戸へ直接出向かねばならぬ訴訟が出来(しゅったい)、その医師、訴訟の間、江戸町屋の宿(やど)に滞在致すことと相成ったれど、その訴訟事、甚だ長引き、且つ、うまく行き申さず、彼は実に三年余りも江戸に滞留致いて御座った。
とこうするうち、この医師、流石に宿代もすっかり底を尽き、衣食住のちょっとしたことにも、こと欠く有様――困り果てた彼は、遂に、かねて長崎を出ずる際、右、市郎右衛門の弟から頂戴したところの、
『右医師江戸滞在中何卒宜敷心添御願上奉申候以上』
といった旨を添え認(したた)めた書状を、その兄であるところの市郎右衛門養益に差し上げ申したところが、市郎右衛門、それは何より捨て置けぬことじゃと、早急に処置致さんとして、まずは市郎右衛門、
『この医師儀、恙なく、近々お上の御用向きたる訴訟事の済み候ことならば、近々、医師知人たる拙者高木市郎右衛門方へ宿替え致させ度(た)く存知申上候以上――』
という御請願をお上に差し上げ申したところ、
「本請願、受領致いたれど――未決審理の事件に付き――素人の住居への宿泊は、所在確認その他の諸要件に照らしても現住所変更は許可し難い……されど、奉行所が呼び出いた折りには、即座にその町屋の現住所、即ちその現在宿泊致いておるところの宿屋より――確実な連絡伝達がとれ得るように成さるるにてあれば――これは現住所の変更には当たらず――従って当奉行所の感知するところにはあらず。」
という御判断が下された。
――と、これを聞いた市郎右衛門、はたと膝を打った――。
――この医師が、これまで逗留して御座った町宿の向かいには、市郎右衛門当人が日頃から世話致いて御座った、わけありの者がおったので御座った――されば恙なく、その宿屋向かいの同人方を、この医師の定宿(じょうやど)と致すことと相成ったので御座ったのじゃ――。
――さてもそうして、暫くした、ある日のことで御座った。
市郎右衛門の隣に店を構えて御座った商人の娘は、婿をとって安穏に暮らして御座ったのじゃが、これがまた、殊の外の難産にて、赤子は産道から足を出いたままにて、産婦も世を絶するほどの苦しみに喘いで御座った。
女の父母は、その余りの苦しみようを見るに見兼ね、親しくして御座った隣家の市郎右衛門の元へと赴き、嘆き悲しんでおったところが、たまたま訪ねて御座ったところの、この医師がそれを聴き、
「……多くの医師の処方を受けて、匙を投げられ候上は……さても、拙者が診てもよろしゅう御座りましょうか……」
と訊ねた。
勿論、藁にも縋る思いの両親、即座に悦んで、この医師に診断を頼んだことは言うまでもない。
されば、この医師の言うよう、
「……さても我らこれより、ある薬をこの方へ服用させんと存ずる……が……たとえ、それを施療致いても、効用、これあらず……最悪、望まぬ事態に至ったとしても……お恨みなさらぬとならば……処方致さんと存ずるが……」
と申したところ、父母は、
「……最早、あらゆる医師の匙を投げました上は、どうか! お頼み申しまする!……」
と泣き縋って御座ったれば、彼は即座に一服の薬を与えた――。
――と――
――その効果があったものか、産道から突き出て御座った小さい足が――ひょいと引っ込む――
――さらにその薬を与えると――
――今度は、何なく赤子がひり出された――
――子は死産では御座ったれど、母体には聊かの別状もなし……
……されば、父母の喜びようは一方ならず、金子四十両を娘の救命が謝礼と差し出だいた。
なれど、その医師は、
「そのような礼を受ける謂われは御座らぬ。」
と再三、断わる。
ようやっと二十両だけは受け取ったものの、その内の十両を市郎右衛門に渡し、
「……いや、かくまで、お世話になり申した、その宿代、という訳では御座りませぬが……どうか、これをお受け取り下され。……実は……この度(たび)、長々と続いて御座った訴訟も相済み、幸いにも勝訴致すことと相成り申した……されど、長崎帰郷の旅費も、これなく、まあ、道々、乞食でも致いて帰らんか、と思って御座ったれど……この隣家の御礼の残(ざん)、十両さえ御座れば、故郷まで帰ることが出来ようというもの……長年、お世話になり申した御礼につきましては、かの郷里長崎に到着致いてすぐに、幾重にも致させて貰いますればこそ……」
と市郎右衛門に語ったので御座った――。
――ところが――それを聞いた市郎右衛門は、応えて言うた。
「……我らにも娘が大勢御座る……妻も若う御座れば……これより後、出産致すに際し……如何なることに遭うとも限りませぬ……されば……どうか! この秘薬の製法をお教え下さらぬか!?」
それは、何やらん、歎きに等しい懇請で御座った。されど、その医師は、
「……それは……た易いこと乍ら……この薬は……その、一朝一夕にお伝え出来得るものにては……とても御座らぬものなれば……」
と、丁重に――且つ――きっぱりと断った。
すると、市郎右衛門、居を正したかと思うと、
「……されば!……この度(たび)給わったところの、この十両の金子……これも、お返し申そうぞ!……また……貴殿の言うところの……追って金子、なんどというもんも、お送り戴かずとも結構!!……あぁっ!……これまで誠意を以って、貴殿をお世話致いて参ったッに!……今、拙者は、拙者の妻子のために! そのためだけに! かの薬方の伝授を願い申し上げたに過ぎぬに!……にも拘らず……その程度のご承諾さえ戴けぬとは……ああっ! 何と最早……残念無念!!…………」
と、市郎右衛門は深い遺恨の面体(めんてい)……。
それを黙って聴いて御座った医師は、遂に市郎右衛門の謂いに伏(ぶく)し、
「……只今申された、その謂い……誠に御説御尤もなることなれば……されば、よし!……伝授致しましょうぞ……されど、本薬は、それぞれの患者の容態によって、加減致すべき術(わざ)も御座りますれば、もう四、五日の間、こちらへ逗留致しました上で……」
と言いて、かれこれ更に十日程、市郎右衛門方に滞在致し、三冊の調剤処方に関わる書物を書き残して長崎へと帰ったということである――。
……さても後、この薬方を伝授された市郎右衛門は、ちゃっかり、即座に多量に調合致いて『実母散』と名付け、『産前産後の妙薬』という宣伝文句で江戸市中に触れ廻ったところが――時々刻々、『実母散』調合買受の依頼が殺到――売ってくれ、売っとくれよと――客は引きも切らずという有様(ありよう)――暫しの間に、夥しい利を得、もう薪商売なんどをして御座る暇(ひま)これなく――今は、この『実母散』のみで成り立つ売薬商と相成り――実に千両屋敷を四、五箇所も所持致すという――誠(まっこと)正真正銘の大富豪と相成って――栄えて御座る、ということである。