耳嚢 尊崇する所奇瑞の事
「耳嚢」に「尊崇する所奇瑞の事」を収載した。前の少年の戒名の話や本話は辻褄を合わせた納得出来る事実譚を推定創作することは出来る。登場しない少年の友人であった寺の小僧やら、盗んだものの持仏に後ろめたさを覚えた巾着切りなんどを登場させて、バック・グラウンドを演出すればよいのである。いや、実際にそんなものを現代語訳の後ろに附してみたい悪戯にかられた事実を告白しておく――。
――しかし、それではこの話柄の、儚く亡くなった少年のしみじみとしたペーソスや、朝寒の厠で作次郎青年(と読みたい)が叢の輝く仏を見つけた際の仄かに温まる安心(あんじん)は消え去ってしまうのである――。
「卷之一」終了間近なれば、冒頭に目次を附し、冒頭注の一部に追加をした。
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尊崇する所奇瑞の事
是も霜臺の家士にて富田作次郎といへる者有。日蓮宗にて先祖は日蓮の由縁の者に有ける由。先祖より靈佛の釈迦を所持いたし常に鼻帋(はながみ)の袋に入て懷中しけるに、或日淺草へ詣ふで途中にて右鼻紙入を落しけるや、又は晝稼(ひるかせぎ)のために被奪けるや紛失しけるに、右鼻紙入に可入(いるべき)書(しよ)金子の類もなけれは惜むにたらずといへど、持傳へし尊像紛失を歎き語りて其夜臥しけるが、翌朝手水(てうづ)遣わんとて己が住ける長屋の椽(えん)に立けるに、手水所の草中に光る者ありし故いかなる品やと取上みければ、昨日失ひし尊像なるゆへ、大に驚今に尊敬して所持しけると語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:続いて安藤霜臺家士に纏わる奇談。
・「安藤霜臺」安藤郷右衛門惟要(これとし)。前々項注参照。
・「鼻帋の袋」「帋」は「紙」の異体字。財布のこと。
・「淺草」金龍山浅草寺。本尊は聖観音菩薩で当時は天台宗(第二次世界大戦後、聖観音宗の総本山に改宗)であるが、そもそも本邦の天台宗開祖最澄は法華経を日本に伝えた人物でもあり、日蓮は本来、天台宗の学僧として延暦寺にも遊学しているから、富田作次郎が詣でても不自然ではない。いや、日本人の多くは宗派の相違を超えて、手を合わせることは今も昔も変わらぬ、超シンクレティズム習合民族である。
・「晝稼」夜稼ぐ「夜盗」から考えると、昼に稼ぐ「昼盗」で、掏摸(すり)のことであろう。実際に「昼盗人(ひるぬすびと)」「昼鳶(ひるとんび)」という語があり、これらは広義には昼間に空き巣を働く者、狭義には巾着切りのことを言う。
・「書金子」の「書」は岩波カリフォルニア大学バークレー校版では、借用書や勘定書、証文を言う「書付」となっており、こちらの方が分かり易いので、それで訳した。
・「遣わん」はママ。
・「椽」底本では右に『(縁)』と注する。芥川龍之介なども、「縁」の代わりに、しばしばこの「椽」を用いている。「椽」は通常は垂木のことを言う。
・「語りぬ」作次郎本人から根岸が聞いた可能性もないとは言えないが、この前文は「所持しける」で終わっており、間接体験伝聞過去の「けり」に着目して、安藤霜台からの伝聞とした。
■やぶちゃん現代語訳
尊崇の念深ければ奇瑞もあるという事
これも霜台殿の家士で、富田作次郎という者が御座った。日蓮宗の信者で、何でも先祖は日蓮所縁(ゆかり)の者であったとか。
彼、先祖より霊験あらたかなものとして伝わる小さな釈迦の持仏を所持しており、常に財布に入れて懐中して御座った。
ある日のこと、浅草寺に詣でたが、途中で落としたものか、はたまた、掏摸にやられたものか、財布を紛失してしもうた。
大事な書き付けや大した金品も入れてはおらなんだ故、惜しむに足らぬものではあったれど、中に入れて御座った先祖伝来の尊像の紛失、これは甚だ心痛の極みで御座って、その晩は、鬱結したままに、ふて寝して御座った。
翌朝、目覚めたなり、厠へ行こうと、己が住む長屋の縁側に立ったところ、厠近くの叢に、何やらん光る物がある――一体、何だろうと拾い上げて見たところが――何と、昨日失くした釈迦の尊像!――作次郎、大いに驚いた――
「……彼は今も、この持仏を一層尊崇して御座っての、殊の外、大切に所持致いて御座るよ……」
と、霜台殿が物語って御座った。