耳嚢 不思議なしとも難極事
「耳嚢」に「不思議なしとも難極事」を収載した。 この話、何だか、好き。 ……因みに、暇なわけではない……いや、寧ろ殺人的に忙しい……高校入試に大学入試の小論文指導……左耳がまた聴力が低下し、耳鳴り激しく、授業をしていても、自分の声が奇妙に響き……歩いていても、何やらん、ふらふらする……この「耳嚢」の作業している時だけ……僕は、「云ひやうのない疲勞と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出來」るのである…… しかし、同時進行で、「卷之二」の作業に突入する所存ではある。 「卷之一」は残すところ、6話のみとなった。実はそれら総て、翻刻・注・現代語訳を終了している。但し、ある注の付随資料として、さるテクストの翻刻が必要となったので、総ての公開はもう少し時間がかかる。
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不思議なしとも難極事
安藤霜臺の家來に何の幸右衞門と言る者あり、苗字は忘れたり。此幸右衞門はじめ貳人の男子有しが、五六歳にて甚聰明にして、文字抔も年に合せては奇に認しに、七歳にて墓なくなりし由。右のもの死せんとせし前方に、法名をつきけるとて、郎休と申二字を數帋(すうし)かきし故、親々も忌はしき事に思ひ叱り制しぬれど用ひずして認しが、無程相果ける故菩提所へ申遣、葬送の事抔申送りければ、寺より法名を付しに郎休と認越ける故、此法名は家内より聞し事にやと寺僧へ尋しに、聊か不知由にて、何れも奇怪を歎息せりと物語りなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:同じく安藤霜台絡みの奇談で、前世を感じさせる死に纏わる類似の因縁話、というより「前生なきとも難極事」の庶民子供版である。根岸好みのお馴染み「○○なしとも難極(言難)事」シリーズでもある。
・「安藤霜臺」安藤郷右衛門惟要(これとし)。前項注参照。
・「つきける」の「つく」には他動詞カ行四段活用として「名を付ける」の意があり、誤りではない。
・「郎休」岩波カリフォルニア大学バークレー校版では「即休」で、これなら法名や死語の戒名としてはおかしくはなく、実在する中国僧もおり、特に禅家の法名としては、法名として悪くない気がする。
・「數帋」「帋」は「紙」の異体字。
■やぶちゃん現代語訳
不思議なことなんどありはせぬとは極め難いという事
安藤霜台殿の家来に何とか幸右衛門という者が御座った――失礼乍ら、名字は忘れ申した――。この幸右衛門には、若き頃、二人の男児が御座ったが、そのうちの一人は、甚だ聡明にして、書写なんども年の割には数多の字を書き記すことが出来て御座ったのだが……可愛そうなことに、七歳にして儚くなったとのことで御座った。
この御子(おこ)の話――。
この男子、その死の暫く前のこと、
「――自分は法名を付けました。――」
と言って、
――郎休――
と申す二字を紙に書き散らして御座った。親たちは縁起でもないことと叱って書くのを止めさせようと致いたが、何故か頑なに聞き入れず、黙々と書き続けて御座った……
――郎休――郎休――郎休――郎休――郎休――……
――――
程なく、その子供が亡くなった。
かざしの花を奪われ、尾羽打ち枯らした体(てい)の親、それでもやっと菩提寺に男子夭折の旨、申し伝え、葬送の儀一切を頼んだところ、おって寺より戒名を付け認めたものを寄越した。それを開いて見たところが……
――郎休――
……と、ある!……
……幸右衞門、愕然として戒名を名付けた寺僧に訊ねに参って……。
「……お恐れ乍ら……この法名……これは、その……拙者の家内(いえうち)の誰か彼れから……何やらん、その名を、お聴き及んで付けられたので御座ろうか?……」
すると寺僧は如何にも怪訝な顏をして、
「……いや、全くそのようなことは御座らぬ。御逝去の報知を受けて後、拙僧が考えましたものにて御座るが?……」
と答えたという……。
誰もが、その摩訶不思議に「へーえっ!」と唸ること頻りであった、との物語で御座った。