「耳囊 卷之二」に「又(かたり致せし出家の事 その二)」を収載した。
*
又
是も同じ咄なるが、濱町河岸に大黑屋といへる鰻の名物有。みせには不斷酒食の輩不絕入込けるが、或時道心者樣の者來りて酒うなぎなど喰ひ、誠のなまぐさ坊主也とその身の口よりも申けるが、四五度も來りて後は鄽(みせ)の者もこゝろ安くなりけるが、或日亭主に逢て、我ら此程來りし時、此門口にてケ樣の品拾ひたりとて、封じ金五拾兩包を出し、肴を食ひ候出家ながら、此金落したる人はさこそ難儀もなしなん、我是に忍びず、又かゝる貧僧の五拾兩持たらんには我身の爲にもあしかるべし、何卒主知れば返し申さんといひけるを、若き手代聞て、遖(あつぱ)れよき手段ありと心中に惡心を生じ、町内の惡者をかたらひ亭主とも示合、落し人を拵へて右出家の來りし時かくかくの譯を語りければ、然らば右五拾兩は包の儘可渡、しかし禮金は何程差越候やと尋ね、かれこれわたり付て金五兩出家へ渡しければ、猶又酒うなぎなど打食ひ右五十兩を包の儘手代へ渡し、日も幕候、さらば歸るべし迚小唄うたひて右出家は歸りぬ。仕濟したりと申合候者共、片陰に集りて封を解しに、一向の似せ金なれば何れも憤り、憎きかたりめと大勢にて追缺(かけ)しに、日本橋邊にて召捕、かたり坊主とて若き者など頭をたゝき背をたゝきなどしけれは、右出家何故に右の通いたし候やと申ければ、何故とは大膽也と引摺りて、彼鰻屋の門へ召連來りけるに、彼出家ひらき直りて、我等は何を隱すべき、かたり事などを渡世にするわる者也。ケ樣に打掛にあふては不相濟、御仕置を願ふべし、是より直に奉行所へ駈込べし、しかし此町内にて落しもせざる金子を落し候とて、其人を拵へ人の金子を奪取る巧の者有、是もわれらに同じき罪人なれば、當町の内の者共を伴ひ罷出、三途を渡らんと言ける故、はじめて何れも心付、事露顯に及(および)て町内も立難しと、何れも相談して都て右出家へ色々詫言しけれども、何分合點せざる故、又療治代とて五兩金子を遣し、都合拾兩かたりとられしと也。
□やぶちゃん注
○前項連関:同技巧を用いた詐欺師の出家のエピソード連関。鈴木氏は底本の前項の注で、この二本の話について、安永六(一七七七)年頃に成立したと思われる正長軒橘宗雪の「吾妻みやげ」の「深川うなぎ屋かたりの事」も同話である、と記されている。幸い、この「吾妻みやげ」は底本を含む『日本庶民生活史料集成 第十六巻 奇談・紀聞』に所収されている。以下に、それをテクスト化し、本ページに準じて語釈・現代語訳を附しておく(本文読みは私が附した)。こちらの祖形は実際に町奉行所へ訴え出るところが出色の出来である。底本の熊倉功夫氏の注によれば、底本である国立国会図書館蔵本(これ一本のみが伝わり直筆本その他は存在しない)には、『「耳袋ニ似タルカタリノコトアリ、同シカ」と書き込みがあるように、耳袋に同様の話があり、この条は耳袋の原話といえる』とある。
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深川うなき屋かたりの事
一、深川八幡前うなき屋へ八月半頃の事、出家壹人四十歳斗と相見え候、百文分うなき燒せ候、亭主申候おまへ是を上り候哉(や)と申候へは、久々病氣にてつかれ候ゆへたべ申候と及挨拶、うなき斗にては食べにくゝ候間食(めし)もたべ申度(たし)と申、しはらく有之(これありて)亭主を呼出家申候は扨々不思議成事在之候、牛込山の手邊今朝用事在之通候處金子貳百兩ほと有之財布拾ひ候、定て主人の用向歟(か)又は娘なとうり拂候金か餘ほと澤山成金子にてさそ持主は首にてもくゝり可申哉(や)、川へにてもはまり可申哉大切の金にて可在之候、出家の心にてはさそさそきのとく成事と其邊何となく尋候得とも金子落候樣子の者も無之候由亭主にはなし候得は、亭主夫はきのとく成事に御座候、唯て貴僧御所持被成候哉(や)と申候得は此通り首にかけ參り候と見せ候處、郡内嶋財布に入むらさきの打紐付有之候いか樣貳百兩斗も有之封付候て在之候。亭主見候て惡心起りしはらく出家休足致候中近所へ參り友達をかたらひ候由にて暫有之と、臭をつき若き男參り先(まづ)茶にても吳候樣申候へは、亭主存ぬふりにて喧嘩にても被成(なされし)儀哉(や)何方の御人にて候哉(や)、けはしく御出被成侯處いかゝと尋候處、右の男申候は今朝牛込邊にて旦那より爲替金の入用(いりよう)去る御大名江納に罷越候處、少々御酒に給醉途中にて落し候故早速參り吟味致候得共人取候と相見へ無之、此金子無之候ては自滅にても致不申候ては不相濟と狂氣のことく申候、亭主何そ御入被成御落し被成候哉と尋候處、郡内嶋財布に入むらさきの紐付置候と咄しからかみ越に出家承り、是は拙僧今朝拾ひ候と聲をかけ候得は、右の男殊の外悅誠にありかたき御義金子無之候ては命を失候程の儀私所持の金子郡内嶋財布に入むらさきの打紐付封を付置申候、御僧樣御拾ひ被成候を御見せ可被下と申候故、出家差出候處注文少も不違候故左候はゝ御手前へ可返候得共何國の人とも不相知御親類か又は所の役人證文有之候は返し可申候と申候へは、安き御事に御座候誠に御影にて命をひろひ命の親と申は御僧樣に御座候と申近所若きものをかたらひ證文を認うなき屋の亭主に加判爲致證文差出候處金子相渡し事濟し、扱右の男申候は御影にて命ひろひ候事ゆへ金子を差上可申と申候へは、いや出家の義金子入用無之と再三斷候得共とかく御受納被下候樣にと金子七兩出し達てと申、亭主言葉を添彼是申候付然らは可申請候如來の金箔もはけ候故勸化にても可致と存侯處故可申受と受納いたし出家は間もなく歸り候。
跡にて扨々うまき事致候とて酒肴なとおこり、扱亭主もろ共分け口可致と封を切見候處、しんちうにて拵候小判貳百兩斗有之内にさいも在之候故、扨々にくき出家かたられ候とて近所を尋候處、もはや行方知れす候故、申合せ心を付へくと何れも存候處、翌日晝頃彼出家參り、又うなき百文分あつらへ候ゆへ何れも亭主初不屆の出家め似せ金をかたり其分には差置かたし、急度吟味を請御町へ可引と申候へは、出家申候は左いふ其方共かかたりにて候其方共の金にて無之哉(や)、夫故封のまゝ渡し遣候、勿論無相違受取候段證文在之候、自分をかたりの盜人のと申候は不屆至極、町の役人江參り此趣を申し御番所へ罷出吟味を請もらい可申候、惡名取候ては自分も不相立と申候處へ連(つれ)の出家參り、何事成哉と尋候得は前の出家昨日吟味の事共委敷(くはしく)はなし、今日の惡言等迄も申候へは、不屆成事早速町の役人江可參候と、夫より同道いたし町役人江參り前日よりの事を申、今日のしだいの處を申候處、町の役人至極御尤何卒御内分に被差置可被下僕、うなきやはしめ若き者共相應に家も在之候者、只今彼是と仰候ては、不相濟事に候と段々わび言申、金子十五兩通しやうやう内分にて相濟候由。一文字や道夕參り其近所の町家にて直に承り實正の由物語候まゝ爰に認。
◇「吾妻みやげ」の「深川うなぎ屋かたりの事」やぶちゃん語注
・「深川八幡」は現在の江東区富岡にある富岡八幡宮。源頼朝が勧請した富岡八幡宮(現・横浜市金沢区富岡)の直系分社で、源氏の氏神である八幡神を崇敬した徳川将軍家から代々手厚い保護を受けた。その祭礼である深川八幡祭は沢山の神輿が繰り出す勇壮なもので、赤坂の日枝神社山王祭・神田明神神田祭と並ぶ江戸三大祭の一つである。
・「百文分うなき燒せ」後の文化年間で高級鰻一串二百文、辻売りで一串十二文から十六文程度というネット上のデータがあるので、この頃の普通の店屋で百文というのは、一文三十円程度と考えても、三千円分で、一人で注文するには鰻屋も吃驚するような相当な量と考えられる。勿論、亭主は、まずは、出家が鰻を食うことの殺生戒を犯していることを踏まえての言ではある(故に僧は「久々病氣にてつかれ候ゆへ」と弁解しているのだが)。
・「うなき斗にては食べにくゝ候間食もたべ申度」現在のような鰻重・鰻丼のような飯と合わせるのが一般化したのは、この話柄の時代より少し後の文化年間(一八〇四年~一八一八年)頃とされる。
・「郡内嶋」郡内地方(現在の山梨県都留郡)特産の絹織物の一種。元禄頃には江戸で大流行した。地を厚く作った縦横の縞模様であったらしい。
・「唯て」読み不詳。「唯(ただひとり)て」「唯(ただ)で」「唯(ただに)て」か。
・「封付」底本の熊倉氏の注に『金の包みを両替屋で封印したもの』を言うとある。
・「臭をつき」底本には「臭」の右に『(息カ)』と注する。それで採る。
・「給醉」読み不詳。完全な音読みとは思われない。「給(たまひ)醉(よひ)」「給(たまはれ)醉(よひ)」か。
・「からかみ」は「唐紙」であるが、ここは襖ではなく、衝立であろう。
・「御義」恩義。
・「さい」骸子のことか。これが賭博に関わるような騙り者のイメージを惹起させ、かの法戒坊の所行であることを暗示させるとでも言うのであろうか。よく意味が分からない。識者の御教授を乞う。
・「連の出家」言うまでもないが、僧形をした巧妙な騙りのグルである。即ち、この翌日の出来事自体が総てこの二人の僧によって仕組まれた騙りであるわけである。
・「御番所」町奉行所と同じ。
・「一文字や道夕參り」この話を採取した町屋の住所を仔細に表現したものと思われるが不詳。如何にもお洒落な通りの名ではある。
◇「吾妻みやげ」の「深川うなぎ屋かたりの事」やぶちゃん現代語訳
深川鰻屋で起こった騙りの一件の事
一、深川八幡前にある鰻屋へ、八月半ば頃の事、四十歳ばかりに見える僧が一人やって来て、
「鰻、百文分、焼いて貰おうか。」
という注文。亭主が蒲焼を持って出しながら、
「御主家、お前さんがこれをお召し上がりに、なられるんで?」
と怪訝な面持ちで訊ねたところが、僧は悪びれた様子もなく、
「御意。永々の病気にて疲弊致して御座ったればこそ滋養強壮が為に、頂戴致そうと存ずる……」
と言訳致し、加えて、
「いやさ、鰻ばかりでは食べにくう御座ればこそ、飯も戴こうか。」
と言う始末。
亭主は半ば呆れて奥へ引っ込んだ。
すると、暫くして、
「御亭主。御亭主。」
と僧が呼ぶ。
「へえ。まだ、お食べになるんで?」
と出てゆくと、
「いやいや、美味、美味、満腹致いた。……お呼び致いたは他でもない……今日、如何にも不思議なことが御座っての、そのお話を致いたく思うての……今朝のことじゃ、牛込山の手辺りに所用が御座って参ったのじゃが、その道すがら、何と、金子二百両ばかりが入っ御座る財布を拾うたで……定めて主人の用向きか、はたまた、娘なんどを売り払(はろ)うて御座った金か……見るからに余程の金子にて御座ればこそ……さぞ、持主は首でもくくらんか、はたまた、川にで飛び込まんか……これ、どう見ても大事なる金にて御座候らえばこそ……出家遁世致いた無情の心にても……いや、無情は建前にて……拙者も人の子なればこそ……さぞかし気の毒なことならんと思うてのぅ……その近辺をそれとなく尋ね回っては見たが……そのような金子を落した様子の者も……これ、御座ない……」
と、しんみりと話す。
聞いた亭主は、
「それはそれは……気の毒なことにて御座る話にて……あの……その金子、財布は……今も御坊様が御所持なられて御座いまするか?」
と訊ねたところ、
「御意。この通り、もしや落し主の見つけんかと、首に懸けて御座る。」
と手に取って見せたそれは、郡内縞の財布、紫色の染入れが入った特徴のある打紐附きで、内には実に二百両ばかりと見える金子が封附きのままに入って御座った。
亭主はそれを見るや、内心、忽ち悪心が生じ、
「御坊様には暫くこちらにて、食後のお休みもあれ――病み上がりの大食なれば、大事々々。――これより暫し、友達のもとへと参り、その落し主に心当たりがないか、とりあえず訊ねてみましょうぞ。」
と言うが速いか、鱈腹。鰻を食い終え、最早、牛になって御座った坊主を暫く店に残し、近所の知れる者の家へと走る――と、この美味しい話を語って、奇計を騙ろうた――。
亭主、直に店に戻ると、
「……残念ながらそのような話は御座らなんだ。……」
と僧に告げておるその矢先、一人の若い男が店に飛び込んでくるなり、
「おい! 亭主!……まずは、茶でも、くんな!」
と乱暴な物言い。
亭主はこの若者を見知らぬ体にて、宥めるように、
「……お若いの……喧嘩なさったかね……何方のお方かは存ぜねど……如何にも、気が立って御座る程に……どうなされたのじゃ?」
と尋ねた。するとこの男の言うことには、
「……今朝牛込辺りにて……御主人様から為替にしておいた現金が急遽入用となったと言われ……さるお大名に為替を納めに罷り越し、金子に換えて御座ったのだが……そのお屋敷にて、中間どもから少々酒を振る舞われて……つい、それに酔ってしまい……途中で金子を落して仕舞うたんじゃ!……気がついて、直ぐに道を戻って探して見たのじゃったが……もう既に誰かが拾い取って仕舞うたらしく……これ、なく……。……この金子が、ない、となれば……自死自滅致さずには相済まざればこそ!……!……」
と狂ったように喚きたてた。
そこで亭主が、徐ろに、
「その金子、何にお入れになってお落しになれられたのじゃ?」
と尋ねて御座ったところ、男曰く、
「……郡内縞の財布にて紫色の染め入れが入った紐を付け置いて御座るが……」
と話した、その真後ろ、衝立越しに聞いて御座った例の坊主が、ひょいと曝し首の如、頭を出すと、
「それは拙僧が今朝拾うて御座る。」
と声をかけたので、この男、殊の外に悦び、
「誠にありがたき恩義! この金子、これなきにては、命を失はんとせし程の儀にて! 私の所持致いておりました金子は、郡内縞の財布に、紫色の染め入れが入った打紐付で御座いまして、金子には封が付置かれて御座る……御坊様の御拾ひになられて御座ったという、それをお見せ下さいませ!」
と言うので、坊主は首に懸けていた財布を差し出す。その仕様、寸分、違わぬ。
故に坊主は、
「されば、御手前へお返し致そうぞ。……なれど……拙僧、貴殿が何処(いずく)の国の方とも相知らず……御親類か、または所の御役人の証文なんど、これ有り候えば、お返し申すこと、出来ましょうぞ。」
申すので、尤もなことにて、
「それは安きことにて御座る……誠に御坊様御蔭にて命拾い致し……命の親と申すは御僧様のことにて御座いますれば……」
なんどと。調子のいい事を言いながら、直ぐに近所の、また若い者を、親族にでっち上げて、坊主を騙し、証文なんども認め、鰻屋の亭主も加判の上――拾い主の坊主には向後一切御構無しといった趣きの――起請文を差し出して、金子の受け渡しも事もなく済んだのであった。
さて、その時、この落とし主と称する男、
「……御坊の御蔭にて命拾い致しました故、御礼の金子を差し上げとう存知まするが……」
と申したところ、坊主は、
「いや。出家の義なれば、金子の入用、これ無し。」
と再三断わったが――男は後々のことを考えると、どうあっても、ここで幾許かの手切れを渡しておきたいから――しつこく、
「命の親なれば、一つ、御受納下さいませ!」
と言いつつ、急遽、二百両入ればこそとて、騙りの仲間皆で事前に出し合った御座った金子七両を、
「ぽん!」
と出す。
「――たってのお願いに、御座る!」
と言いつつ、何のかんのとそれに言い添えたは、亭主自身。
僧は暫く黙っていたが、
「然らば申し請けましょうかのぅ……寺の如来の金箔も剥げて御座ったれば……これも勧化の一助と致そうと存ずればこそ……申し受けて御座る。」
と受納致し、坊主は間もなく帰っていった。
さて、後に残った者ども、大笑いして、
「さてもさても! うまいこと、やったぜえ!」
と亭主は、酒肴なんどは、おごり放題、上へ下へのどんちゃん騒ぎ。
暫くして、亭主諸共、分け前と致そうと、財布を取り出し、封じ金の封を切って見たところが――
……真鍮にて拵らえて御座った玩具のような贋小判が二百両ばかり……と……
……後は……財布の中に如何にも博徒が使い古したような骸子が、一つ……あるっきり……
「糞ったれの糞坊主め! 謀(たばか)られた!!」
と、それから急いで、かの坊主を近隣中、探し回ってはみたものの、後の祭り、最早、行方知れずとなって御座ったれば、互いに申し合せ、心して、急度、探し出してやるといきりたって御座ったところ、なんと、その翌日昼頃、再びあの坊主が参って、また、
「鰻、百文分、誂えて貰おうか。」
と悪びれた様子も、これ、ない体(てい)にて注文する。
昨日から収まりがつかない亭主初め騙りの仲間、三々五々集まってきた同じ町内の者どもも、
「不届きな糞坊主めが! 似せ金で騙したな! このまま捨て置くわけにはいかねえ! 手前(めえ)、痛え目に逢わせて一切吐かせ、町奉行へ引っ立ててやろうじゃねえか!」
と罵ったところ、その坊主、
「そういうその方どもこそ、騙りで御座ろうが! あの金、その方どもの金ではなかったのか? あん? それ故に封のままに渡し遣わしたで御座るぞ? 勿論、その際に何らの手違いやらその方どもからの疑義も一切なく、滞りなく受け渡したことに就いては、証文も、ほれ! ここに御座るぞ! 拙僧を騙りの盜人(ぬすっと)のと申候儀は、これ不届き至極! 町方の役人のもとへ参り、この趣き、縷々一切申し上げようぞ! 御番所へ罷り出でて御吟味を受くることは願ってもないことじゃ! 参ろうぞ! さ、参ろうぞ! 冤罪の悪名を負ったままに御座っては、己未生以前本来の面目も相立たねばこそ!」
と逆に切れて、がなり立てる始末。
と、そんな所にこの坊主の連れと申す、これまた生臭いが切れそうな坊主が一人やって参り、
「何をそのように瞋恚して御座るか。」
と訊ね、先の坊主が昨日の一件につき、一部始終を委細詳しく語った上、今日の者どもの悪口なんどまでも言い添えたところが、この僧も烈火の如き憤怒の僧、いやさ、相となり、
「何と言う、不届きなる者どもじゃ!! 早速、町方の役人のもとへ参るに若くはなし!!」
と即決、それより亭主諸共相引(ひっ)立て坊主二人同道致いて町役人へ参ると、僧どもは前日よりの事をそのまま総て立て板に水にして申し立てた上、今日受けた理不尽なる次第を、やはりそのままに申し上げたところ、町方の役人は話を聴き終えると、慇懃無礼に、
「……ふむ……いや、御坊様らの申さるること、至極御尤もなる申し立てにて御座る。何卒、御内分に差し置かれ下さるよう取り計らい願いましょうぞ。……何せ、これら町方の下々の者やら、鰻屋亭主始め、若き者どもにても、相應に家も身内もこれある者にて御座れば、……ここでまた、いろいろと御坊様らが仰せられ訴え出る、ということにでもなれば……これ、ちょっとしたお裁きにては、相済まざる仕儀となり申せばこそ……。」
との謂いに、亭主始め、騙りの者やら、町内の野次馬諸共、形勢逆転致いて、だんだんに、また一人、また二人と、弱気になって、坊主に対し、詫び言を呟きはじめ、遂には皆で出し合(お)うた金子大枚十五両で示談と致し、漸く内分にて決着致いたとのことである。
一文字屋道の、通称「夕参り」小路近辺の町家にて直(じか)に承わり、実際にあった出来事の由、その人の物語して御座ったそのままに、ここに認める。
以下、「耳囊」への注。
・「大黑屋」「鰻割烹大和田」のHPの「鰻の薀蓄3」に『今でも見ることの出来る深川辺りを描いた錦絵や黄表紙の挿絵には「江戸前大かばやき、附めし」と幟を立てた鰻屋を見ることが出来ます。この「附めし」とは、「当店では蒲焼だけでなく御飯の用意があります。」と言う意味で、天明の時代に霊岸橋の大黒屋がはじめ、すぐに江戸中の鰻屋がまねをしたとされています。これが鰻丼の起源とする説もありますが、これは蒲焼に御飯をセットした物と考えるのが適当なようです』という記載があり、岩波版長谷川氏の注にも、この霊岸橋の大黒屋を引き、この霊岸橋は『浜町河岸に比較的近いが、浜町河岸の大黒屋』というのは未詳と記す。こんな不名誉な話、実際に店があったら、江戸っ子なら入(へえ)らねえぜ。
・「濱町河岸」現在の中央区日本橋浜町周辺。現在の両国橋から新大橋辺り。浜町は武家屋敷と町人の入り合った町で、町屋には刀剣類を商う店が多かった。
■やぶちゃん現代語訳
詐欺を働いた出家の事 その二
これも同じ騙りの僧の話である。
浜町河岸に大黒屋という美味い鰻を食わせる店があった。店には普段昼間から酒食を楽しむ輩で賑わって御座った。
ある日のこと、道心の風体(ふうてい)をした者がやって来て、酒や鰻なんどを喰らって、自ら、
「――いや、拙僧、誠の生臭坊主にて御座る――。」
なんどと嘯いて御座った。
その後も四、五回訪れ、店の者とも顔馴染みになった。
ある日のこと、この道心、店にやってくるなり、亭主をこっそりと呼んで、店の隅で二人きりになると、
「……実はここへ来た丁度、先程、この店の門口にて……かようなものを拾うて御座った……。」
と、亭主に封じ金五十両の包みを差し出して見せる。
「拙僧、酒肴を喰ろう破戒僧なれど……この金を落とした人はさぞ難儀を致いておられることで御座ろうぞ……我ら、それを思うと忍びない……また……かくばかり哀れな貧僧なればこそ五十両の大金を何時までも預かって御座るは、我が身の為にも悪かろうというもの……落ちて御座ったも店先のこと……ご亭主……落とし主を知って御座らば、お返し申し上げたいのであるが……。」
と話して、再び、大枚を懐にしまう。――と――
……それを店内から、こっそり盗み見、盗み聴きして御座った若い手代、
『……こりゃ! 一つ、面白れえ手立てが、あるってもんでぇ!……』
と悪心を起こした。
その日の内に町内の悪友と謀りごと致いて、勿論、当の亭主も引き込んで示し合わせ、まんまと架空の落とし主を拵え上げる。
数日後、道心が店にやって来るや、亭主、満面の笑みを浮かべ、
「いやあ! 先だっての大枚、落とし主が見つかり申したぞ!」
てな嘘っぱちを、委細美事にでっち上げた。
すると道心は、
「……それは上々! この五十両、確かに拾うたまま、包みのままにお渡し致しましょうぞ……されど……礼金の方は……如何程、頂戴出来まするか、のう……。」
亭主は道心と交渉の果て、五両で手打ちとなり――店裏で待っていた手代や悪友どもは、泡食って、手持ちの金やら、なけなしの箪笥の隠し金やらを駆け回って集め――その五両を道心に渡した。道心は、亭主の振る舞いの、いつものように酒・鰻をしっかり食らい、五十両は包みのままに手代に手渡した。
「日も暮れかけた。では一つ、帰ると致そう。」
と、小唄なんどを口ずさみながら、店を出て行った。――
「やったぜ!」
と、一同、店の片隅に集って封を開けたところ――
――なんと、中身は見るからに子供の玩具見たような贋金――
「憎(にっ)くき騙りがッ!」
と、大勢で追い駆けると、日本橋近くでかの道心をひっ捕まえることが出来た。
「騙りも騙りの、この、糞坊主がッ!」
と、路上ながら若い衆なんどは拳固で頭を殴り、背中をどやしつけなどして袋叩きにした。
すると、この坊主、
「一体、何故にかく投擲なされるか!?」
と嘯くので、
「あんだと! 『何故に』『なされるか』だあ!? なめてんじゃねえぞ! この野郎!」
と、またしても、皆してぼこぼこにした上、かの鰻屋の店先まで引きずって帰って来た。
ところが、この道心、殴られたために晴れ上がった化け物見たような顔で――ペッ!――と血の唾を吐き捨てると、ここで開き直った。
「バレちゃあ、仕方あるメエ!……そうよ! 俺は専ら騙りで人を騙しちゃあよ、渡世してる悪党でエ!……うぬらに袋叩きにされて……ペッ!……もう、勘弁ならん…………
「……いや、勘弁ならんは、俺、よ、の……いやさ、この程度のケチな袋叩きで済むような……俺の罪じゃあ、ネエ! てぇんだ……だからよ、俺はこれからよ……お仕置きを願おうってえ、殊勝な気持ちでいらあな! さあて! だからよ、これからよ、直ぐによ、奉行所へよ、駆け込んでよ、己れの首を己れで出そうってえ、覚悟なわけよ!…………」
「……ただし、だ……この町内にも、だ……落としてもいねえ金子を『落としました』と言うて、だ……落とし主をでっち上げ……人の金を奪い取ろうと企(たくら)んだ者が、おる! 確かに、おる!……そうじゃろ? 違うか? そうじゃろう!?……さればとよ、こ奴も俺と同罪じゃ!……その、この町内の悪党どもを供に、お奉行さまの御前(おんまえ)に罷り出で……いざ、うれ! ともに三途の川をば、渡ろうぞ!」
と、やらかした。
その場にいた一同は、この時初めて、男の言っていることの重大さに思い到って、青くなった。――
騙りの面子は言うに及ばず、よくも知らずに今日の探索に加わって、男に殴る蹴るの乱暴を働いた若い衆も含めれば、これ、数知れず――いや、この一件が露見すれば、この町内そのものが成り行かなくなりそうな気配――。
一転、皆々相談の上、その場の全員が贋道心の男に詫びを入れることと相成った。
ところが、見るだにお岩みたような顔になった男の視線は、これまた心底、恨みに満ちていて、なかなか承知しそうにない。
遂には、その投擲の治療費と称して、金五両をやって、何とか事なきを得た。
実に、都合十両騙り取られた、というわけである。