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2010/02/24

耳嚢 巻之二 品川にてかたり致せし出家の事

「耳嚢 巻之二」に「品川にてかたり致せし出家の事」を収載した。

 品川にてかたり致せし出家の事

 いつの頃にやありけん。品川宿旅籠屋にて食盛(めしもり)抔買ひあげて專ら日を重ねなどして遊びける出家あり。其人躰(じんてい)もいやしからず。或日旅籠屋の亭主を呼て、内々にて咄度(たき)事あり、今日我等當所へ參る道すがら、不思議に金子百兩拾ひ得たり、然る所通途(つうと)の金にもあらず、封じ金にて封の上に何村の御年貢金とあり、當宿と同支配村と見へたれば、若(もし)心當りはなきや、御年貢金の事なれば、我等拾ひて其儘にも成がたしといひければ、亭主も驚きけるが、我等は承り及たる事も侍らず、得(とく)糺し申てといひてかの亭主、所の者の内心安き者と談じけるが、いづれ落し手を拵へ相應の禮金を出家へ遣し殘りを配分せばよからんと、惡心發りて得としめし合、いかにも在の百姓躰(てい)の男を拵へ、兩三日過て、此間金子落しける者を内々にて搜し侍ればかく/\の者に有之、能(よき)御方の御手に入て多くの人の難儀も助り難有と殊の外悦び申など申ければ、出家も悦たる躰にて、夫は嬉敷事なり。然らば渡し申さん迚、其樣子承り、財布共に亭主へ渡しければ、亭主改て彼百姓躰の者へ渡しける。其時出家申けるは、我等拾ひけるとはいひながら、大金を事なく返し侍れば少しは禮も可致事と申ければ、亭主も右百姓も御禮はいか程もいたし可申儀、早速ながら御菓子代として金三拾兩可差出旨申ければ、三拾兩ならば承知せりと答ふ。彼百姓、然らば右金子差上申さんと彼金子の封を切りにかゝりければ、彼出家大きに憤り、右金子財布ともに取戻し、亭主并百姓をもはたとにらみ、不屆なる己等がかたり事哉(かな)、全く汝等が落せし金にはあらず、其證據は封印有て村名役印等もある此封金故、我等も其ぬしを穿鑿しぬるに、其身二人にて右封をきり我等へ金子三拾兩右の内より差越(さしこし)なば、外百姓共へ何と言べき、其時如何樣三拾兩の申譯あらんや、全く自分拾ひし金子を可奪取爲の拵へ事ならん、よし/\御代官所へ訴へぬれば我等が拾ひし筋も立、何分皆々の世話を賴(たのま)ん、早々歸り侯へとて、夫より酒抔呑て一向取合申さねば、亭主其外一同の者共大に込(こま)り、相應の人を入て色々詫言いたし、八重九重に證文を入て金三拾兩出家へ別段に渡し、右封金請取相濟ける。然るに跡にて彼封金を開て見れば、一向の子供遊びの土瓦なれば大きに憤り、憎き出家の所行と思へ(ば引とらへせんぎせんと思へ)共、八重九重に證文にて封の内はしらぬ姿の出家の取計、申出せば亭主并一列の者の僞りも顯るゝ故、かたりの古頂とはまのあたり見へながら咎る事もならず、彼出家は其後も聊憚る色もなく右はたご屋へ遊びに來りしとや。怖敷ものも有と人の語りぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:朝比奈少年が奇計を用いて武士から美事詫び証文を奪い取った話から、奇略を以って悪党を騙し、何重もの証文によって批難・告発を免れた出家の話で連関。

・「食盛(めしもり)」は底本のルビ。飯盛女のこと(但し、これは当時の通称で、幕府の関連法令にあっては「食賣女」(めしうりおんな)と表記されている)。奉公人という名目で宿場の旅籠屋にいた、半ば黙認されていた私娼のこと(但し、現在の仲居と同じ業務にのみ従事していた者もおり、総ての飯盛女が売春行為を強いられていた訳ではない)。岩波の長谷川氏注によれば、当時、品川宿では500人の飯盛女を雇うことが幕府から許可されていた、とある。

・「年貢金」ウィキの「年貢」に、『年貢徴収は田を視察してその年の収穫量を見込んで毎年ごとに年貢率を決定する検見(けみ)法を採用していたが、年によって収入が大きく変動するリスクを負っていたことから、江戸中期ごろになると、豊作・不作にかかわらず一定の年貢率による定免(じょうめん)法がとられるようになった。だが、例外も存在し』、『米が取れない地域の一部では商品作物等の売却代金をもって他所から米を購入して納税用の年貢に充てるという買納制が例外的に認められていた。だが、江戸時代中期以後商品作物の生産が広まってくると都市周辺部の農村など本来は米の生産が可能な地域においてもなし崩しに買納制が行われていき、江戸幕府さえもが事実上の黙認政策を採らざるを得なくなった』とある(ルビ位置を変更し、記号の一部を省略した)。

・「得(とく)」は底本のルビ。

・「能(よき)」は底本のルビ。

・「御菓子代」御礼の代替語。

・「役印」村役人、地方三役(村方三役とも)の印。名主(庄屋・肝煎)・組頭(年寄)・百姓代などの頭・支配の者の確認印である。

・「御代官所へ訴へぬれば我等が拾ひし筋も立」猫糞しようとしなかったことを立証出来る、という意であろう。

・「込(こま)り」は底本のルビ。

・「(ば引とらへせんぎせんと思へ)」は底本では右に『(尊經閣本)』とある。これを訳でも採る。

・「古頂」底本ではこの右に『(骨頂)』とある。「最たるもの」と訳しておいた。

■やぶちゃん現代語訳

 品川に於いて詐欺を働いた僧の事

 いつ頃のことであろうか、品川の旅籠屋にて、飯盛女なんどを買い上げては、日々遊び暮らしてばかりいる僧がおった。女を平気で買う割には、見た目、人品、卑しからざる者ではあった。

 ある日のこと、この僧が、その馴染みの旅籠屋にやって来ると、亭主を呼び、

「……実は、内々に話致いたきことが御座る。……さても今日、我ら、ここへ参る道すがら……何とも、その……金子百両を拾ったので御座る。……いや、それもただの金子では、これ、ない。……ちゃんとした封じ金にて、封の上にな『○○村之御年貢金』とあるのじゃ。……この宿場のある村と同じ支配の村にて御座ろう。……もしや、このことに付、何ぞ聞いては御座らぬか?……御年貢金、ともなれば、我ら拾うて、そのまま預かっておく訳にも参らねばのぅ……」

と言うので、亭主、吃驚りして、

「いや! そりゃ、我らも初耳のことにて御座りまする。……いやいや、そうした話なればこそ、とりあえず……いろいろと、ですな、訊ね質してみましょうぞ!」

と答えた。

 亭主はその夜、近隣の親しくして御座った者どもを内密に集め、相談に及んだ。

「どうよ?……落とし主をでっち上げて、よ……相応の礼金を坊主に遣って……残りを儂らで分配するっうのは?」

と悪心を起こして、合議一決、如何にも土地の百姓らしい風体に男を一人仕立て上げると、探し回った風を装うために、三日たってから僧の来店しているのを見計らい、旅籠屋を訪ねさせ、亭主同席の上、

「この間、御坊の拾われた金子、それを落とした者を内々探して御座いましたところ、○○村××と申すこの男の由にて御座います。」

百姓体(てい)の男もしおらしく、

「いや! 誠(まっこと)よい御方の御手に拾われまして……村内の多くの者の難儀も助かり……有難く存知おりまする……」

なんどと、殊の外の喜色満面、平身低頭、礼言数多に及べば、僧も如何にも喜ぶ体(てい)にて、

「いや! それは嬉しきこと! なれば……さ、これをお渡し申す。」

と、僧はまんまと拵え話を鵜呑みにした様子で、財布と一緒に金子を亭主に渡し、亭主はそれを百姓に手渡した。その時、僧が付け加えて申すことには、

「……拾った金にては御座ったが、大金の大事な年貢金を無事にお渡しできたは幸い。……なればこそ多少なりとも謝礼、これ、御座ってもよいと思わるるがの……」

との趣き。すると亭主も百姓体の者も、二人して、

「いえ、なあ? 勿論、相応の御礼儀、これはもう、如何様にも致させて頂こうと存知、御菓子代と致しましては、金三十両を差し上げようと存じまするが……如何?」

との答え。僧は、

「いや、もう三十両ならば十分にて御座る。」

と答える。

 そこで百姓が、

「さすれば、御礼を差し上げ申し上げましょう……」

と言いつつ、財布から封じ金を取り出だして封を切りにかかった――その時、出家が突然、怒号と共に怒り出し、百姓から財布とその上に置いていた封じ金を取り返して罵る、その言葉――

「この不届者なるお前ら! これはみな、騙りごとであったな! 全く以って汝らが落とした金子にてはこれなきものじゃ! 何となれば――封印があって村名・役印等もあるこの封金故に、我らもその落し主を捜しておったに、己れ独りにて、その封を切り、我らへ金子三十両、その中より、寄越したとなれば、他の百姓どもに何と言うつもりか! その時、如何したら三十両足りぬことの申し訳、立つるか! 全く以って自分が拾った金子を奪い取るための拵え事に違いない。――よしよし! かくなる上は御代官所へ訴え出れば、我らが拾って持って御座ったことの筋も立つ――こうなれば最早、お前らの世話なんど頼まん! 早々に立ち去られるがよかろうぞ!……」

と言い放ち、それより独り、酒なんど、呑み始め、一向に取り合う景色もない。

 亭主その他一同の者――客のなりしてその場に来ておった謀り事の仲間内も――大いに困り果てた。

 それからというものが大変。

 僧の勘気を解くに相応の身分の人を立てるわ、はたまた、手を変え品を代えていろいろと詫びを入れるわ、遂には、僧に促されるまま、僧に今後一切のお構いなき旨の、何枚にも及ぶ起請文を入れた上、別に金三十両を拵えて僧に渡し、ようやっと、かの封じ金百両受け取り方、相済んだので御座った。

 ――ところが――

 ……いざ、かの封じ金を開いて見たら……中身は……子供が遊ぶための瓦(かわらけ)で御座った。

 一同、大いに憤り、

「憎(にっく)き坊主の所行!」

と、ひっ捕えて詮議し、痛めつけてその計略も何もかも吐せよう、と思うたものの――これまた、何重にも入れた起証文――おまけに、その起請文の一通には、元来、この出家、封じの中身は知らぬということの一条さえ記して御座った――また、この一件を訴え出れば、当然、亭主並びに一同の者の偽り事も露見致すが故に――明らかに『騙りの最たるもの』――と知りつつも、手も足も出ないので御座った。

 この出家、その後も、聊かも憚る気色もなく、この旅籠屋へ平然と遊びに訪れたということで御座った。

――いや、恐ろしい者、いやさ、僧もあったもんだ――

と、さる人が語って御座る。

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