耳嚢 巻之二 浪華任俠の事
「耳嚢 巻之二」に「浪華任俠の事」を収載した。
今朝、HPにはアップしたものの、ブログでの更新を失念していた。
その程度には、疲れている。
僕もそれほど余裕はない。
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浪華任俠の事
大坂は昔より俗にいふ男立といふ者流行しけるに、近き頃の事也、朝比奈何某といへる者あり。彼者の方にて若者など集め振舞抔せるに、同人十歳の時武家より請取りし誤り證文を懸物にせし由。不屆なる事ながら其由來を尋るに、右朝比奈十歳のとき、立衆(たてしゆ)の中間(ちうげん)と一同堤に涼み居たりしが、年頃三十四五歳とも見へし侍、いかにもたくましく丈夫なる大小貫拔(かんぬき)に指て右堤を通り過けるに、右涼み居候中にて、遖(あつぱれ)の男振かな、中々あの位の人へ出入しては勝ちにくからんといひければ、彼朝此比奈聞て、我等あの侍にあやまらせ見せんといふ。いらざる事といひけるが、いつの間にか其場所を拔(ぬけ)て彼侍に組付ければ、小兒の事故拂のけて通りしに、又立寄ては組付、幾遍(いくへん)となくなしければ右侍、面倒なる倅哉(かな)と、取て投て行過ければ、投られ踏れては最早堪忍成がたし。いざ殺し給へとて何分放さず、侍ももてあつかひ、小兒を殺んもおとなげなしとて詞を和らげ、汝憤る事あらば了簡可致と申ければ、さあらば書付給はれとて頻に望し故、いなみけれ共、何分書付不給は殺し給へといひける故、無據書付遣しけるを、懸物として生涯任俠の棟梁をなしけるとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:非人の賢者から、姦計に優れた任俠の話で連関。
・「浪華」「なには」。大阪のこと。
・「任俠」弱い者を助けて強い者を挫(くじ)き、義のためならば命も惜しまないといった気性に富むこと。男気。男立(おとこだて)。
・「男立」任俠に同じ。
・「朝比奈何某」底本の鈴木氏の注に『朝比奈三郎兵衛。侠客。大阪つぼ町住』で、天和2(1682)年に50歳ほどであったと「久夢日記」に書かれているとする。更に『その親の三郎兵衛も侠客で、二代続いて男伊達随一の名をとった。五尺ばかりの小男で、さして力もなかったが、義気が強く、正直で貧しかった』と記す。岩波版長谷川氏も同じくこの結構有名な町奴に同定されて問題を感じておられぬようであるが、如何? 「近き頃の事也」と根岸は言っているのである。「卷之二」の下限は天明6(1786)年までで、その朝比奈三郎兵衛が80歳まで生きたとしても、百年から七十年も前のことを、私なら「近き頃の事也」とは、決して言わない。三代目を襲名した町奴朝比奈三郎兵衛は居なかったのであろうか?
・「立衆」底本ではここは「立花」となっている。これでは私には読み・意味共に分からない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「立衆」となっており、「たてしゆ」の読み、及び長谷川氏により「任俠」と同義である旨の注が附されている。これで採る。本来、「立衆」と言えば、「たてしゅう」「たちしゅ」と読み、能の軍勢や従者、狂言の町衆や小鬼といった、端役で数人が同じ役として一団となって登場する役者を言うが、ここは「男立の町衆」といった謂いであろう。底本の「立花」も「男立ての花」「浪花の男立て」と言った意味とも取れぬことはないが、調べた限りでは男立てを「立花」とする例は見ない。
・「大小貫拔に指て」刀の大小を、通常の左腰ではなく、閂(かんぬき)のように水平に指すことを言う。
・「遖(あつぱれ)」は底本のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
難波の任俠の事
大阪は昔より俗に言う「男立て」というものを殊更にもて囃して御座るが、これはその「男立て」に纏わる最近の大阪での話。
男立てで知られた朝比奈某という者が御座った。
彼がある時、己が屋敷に若い衆なんどを集め、酒食を振る舞ったりした折りのこと、彼が十歳の時、さる武家より請い受けたという詫び証文を掛け軸にしたものを披露した由。――如何にも不届きなることながら――知れる者にその由来を訊ねたところ、以下のような次第で御座った。
――朝比奈某十歳の砌、夏のある日、男立てを誇る若い中間(ちゅうげん)ども一緒になって、とある堤で涼んでいたところ、年の頃三十四、五歳に見える侍で、如何にも逞しい大丈夫が、大小をこれまた、かぶいて閂(かんぬき)に差したのがその堤を通りかかった。
それを見た中間の一人、
「格好(かっこ)ええなあ。ああした侍にゃ喧嘩吹っ掛けても、なかなか勝てんて。」
と呟いた。
すると、それを聴いたかの朝比奈少年、
「儂(わい)が、あの侍、謝らせて見せたるわ!」
と言う。中間どもは口々に、
「阿呆(あほ)なこと言うな!」「このド阿呆(あほ)!」
と制した。
――ところが――
――暫くして気づいてみると、何時の間にやら、朝比奈少年、その場を抜け出でて、かの侍に組み付いて御座る!
――子供のこと故、侍、難なく、ぱっと払い退けると、そのまま通り抜ける。
――少年、再び組み付く。
――侍、再びさっと払い退けた。
――少年、またまた組み付く。
――侍、再びぱらりと払い退けた。
――少年、性懲りもなくまたしても組み付く。……
この繰り返し。少年が何度となくがむしゃらに組み付いてくるので、この侍、遂に、
「うるせえ餓鬼が!!――」
と喚くや、片手でひょいと少年の後ろ帯を摑むと、堤の上の叢にぽーんと抛り投げ、歩む序でにその背中をぎゅっと一踏みすると、そのまま行き過ぎようとした。
すると、少年、
「待たんかい!! 投げられて! 踏まれてからに! もう勘弁ならん! さあ! 殺しとくんなはれ!!!」
と叫んだかと思うと、またしても侍の腰にしがみ付いて、一向に放そうとしない。
侍もすっかりもて余してしまい、子どものことなれば、無礼打ちに致すも大人げないと考えたので御座ろう、言葉を和らげて、
「……おまはん……何や知らん、気障ることあったんなら、どうか、勘弁してくれへんか?……」
と言ったところ、
「そんなら、書き付け、お呉れ! お呉れ!! お呉れ!!!」
と頻りに望む。
侍は勿論、この馬鹿馬鹿しく理不尽な詫び状乞(ご)いに、
「あかん! 話にならん!」
と突っぱねたが、少年は、
「呉れんのやったら、早よ、殺しとくんなはれ! さあ、殺せ!! さあさあさあさあ、さあ、殺せ!!!」
と捲くし立ててくる。
よんどころなく、この侍、訳の分からぬ詫び状文の書き付けを記して、朝比奈少年に渡したという。
朝比奈はこれを掛け軸と成し、「生涯任俠の形見」と致いて、生涯、任俠の棟梁を勤めたという話で御座った。