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2010/02/09

耳嚢 巻之二 執心殘りし事

「耳嚢 巻之二」に「執心殘りし事」を収載した。

  執心殘りし事

 是も右最寄の事也。其日稼にて時のものなど商ひてかつがつの暮しする男有しが、隨分律義者にて稼けるが金子十兩程も稼ため、同町の者方へ來り、金貳兩と錢拾四五貫文持參し、其志を見請て預け置しとなり。然るに右男近頃病氣にて有しかば、預りし金錢を持參いたし病氣を尋ね、預りし品を歸可申段申しければ、彼男申けるは、我等死にも可致哉(や)とて 返し被申哉(や)、持參にも及ざると申にぞ、いやとよ左には非ず、病氣なれば入用も有るべしと持來りし也。先差置て入用にも無之ば、快氣の上又々預るべしと言て差置歸りけるが、無程身まかりける故、子供親類もなく獨り者の事故、など集りて、輕く寺へ送り家財改けるに、金錢十兩程も有しを、家主店請など配分して相濟しけるに、其日より兎角右老人元店のまへに立居たり、又は其邊にて彷彿と見へし沙汰頻(しきり)にあれば、大屋店請も大きに恐れ、右金子を以て厚く吊(とむら)ひて法事を十分にいたしけるとなり。

□やぶちゃん注

○前項連関:冒頭で「是も」前項「幽靈なしとも難極事」「最寄の事也」と、幽霊譚で連関する。この「最寄の事」は場所ではなく、前項が本巻執筆時に近い天明2(1782)年の事で(底本解題で鈴木棠三氏は「卷之一」の下限を天明2(1782)年春まで、「卷之二」の下限を天明6(1786)年までと推定されており、「卷之二」の書き出しであるここは正に天明2(1782)年春直後の記載メモに基づくものと考えられ、美事に一致するのである)、それと同じように最近の出来事、という意味で用いているのであろう。

・「同町の者方」この人物は本話柄の後半部には直接は登場しない人物で、とりあえず主人公の老人の守銭奴ぶりや生への執着の深さを強調するエピソードとして機能している。但し、後半のシークエンスにこの同町内の、数少ない老人が信頼していた人物が関わらないというのは妙な話である。実は、粗末な葬送で済ました大屋たちが老人の金を猫糞していることを、この人物が察知し、このような幽霊譚をしくんでちょいと懲らしめた、という真相なんどを私は想像したくなってしまうのであるが、如何?

・「錢拾四五貫文」当時は実質的変動相場制であったから、正確には言えないが、通常、金1両=銀5060匁=銭4貫文=銭4000文とされるので、銭1415貫文は4両弱に相当するか。預けた金の総金額は6両程度となる。

・「大屋」貸家の持主。貸主。⇔店子(たなこ:借家人。)

・「店請」借家人の身元保証人。

・「五人組」幕府が町村の町人・百姓に強制的に組織させた隣保制度(第二次世界大戦中の隣組組織と相似)。近隣の5戸を一組として、連帯責任制を適用して防火・防犯・キリシタン等宗門及び浪人の取締・年貢の貢納管理等を行わせ、合わせて相互扶助(厚生事業)にも当たらせた。町村の条例相当の遵守事項・五人組毎の人別・各戸当主・村役人連判を記した五人組帳という帳簿が作成されていた。

・「兎角右老人元店のまへに立居たり」底本には右に『尊經閣本「兎角に右店請の前又は家主の所へ右老人立居たり」』と注する。シチュエーションとしての面白さから、両方を贅沢に採った。

・「吊(とむら)ひて」「吊」には「弔」の俗字としての用法がある。

■やぶちゃん現代語訳

 執念の世に残れる事

 これも同じく最近聞いた心霊譚にて御座る。

 日雇い稼ぎを主とし、或いはその季節の物なんどを少し仕入れては行商致いて、かつかつの生計(たつき)を立てておった年寄りの男が御座った。

 ところが実は、随分な律義者にてあったれば、酒色好事に耽るでなし、だんだんに稼ぎ貯め、金子十両ほども貯まったため、ある日、同じ町内にて日頃、幾分、親しくして御座った者――と言ってもこの老人、偏屈寡黙にして知り合いも少のう御座ったが――の方を訪れ、彼に金二両と銭十四~五貫分を持ち参り、

「少しばかり、金子溜まり候えばこそ、御身を見込んで――。」

と預け置いたそうな。

 しかし、この老人、最近になって病に倒れたとのことを、金を預けられた男、聞き及び、予ねて預かった金を持参の上、見舞いに訪れ、病とのことなればこそ金預かっておった金をお返し致すがよかろうとて参った、と言ったところが、かの老人、以ての外に不快の形相にて、

「……儂が今にも死ぬんじゃなかろかと、様子を見に返しに来よったふりをしたか?!……ふん! 勝手に殺されるか!……儂は死なんぞ! 預けた儂の金は儂のもんじゃ! 必ず取りに返らでおくべきか! 持参にも、ペッ! 及ばぬわ!……」

と意想外の剣幕。かの男は困って、

「いや、そうではない。落ち着きなさい!……病気ということなればこそ、医薬滋養と、いろいろ物入りにて御座ろうほどにと持参致いたものじゃ。……まあまあ、とりあえず、手元に置いておき、使う必要もこれといってなかったならば……それはそれで、また、よしじゃ……首尾よく快気致いた上は、また私が預かろうほどに……。」

と言って、金を置くと、ほうほうの体で帰って行った――。

 程なく、老人は死んだ。

 この老人、子供も親類もない、天涯孤独の独り者であったがため、老人の借家の大屋や、呼び出されたところの、老人の借家保証人となっていた店請の者、更に老人の住んで御座った町内の五人組などが集まり、形ばかりの粗末な葬式を出して同町の知れるところの寺に送った。

 さて葬送も終えて、老人の家財を改めてみたところが、何と金銭が総額十両程も御座ったれば、大屋・店請・五人組ら、語らってこっそり山分けにし、そ知らぬ風をして済まそうということになった。

 ところが――

……その、山分けにしたその日以来……

……亡くなった老人が、昔の自分の店(たな)の前に……ぼんやりと立っているのを見た……

……昨日は、大屋の玄関先に……亡くなった老人が、恨めしそうに立ち竦んでおるのをはっきりと見た……

……いやいや、店請の男の家(うち)の真ん前に……憤怒の相で立って御座ったのを確かに見た……

……先日は、見通せる五人組の各々の家の前に、独りずつ、同じ老人が五人立って奥を見ておったと!……

……といった噂が頻りに広(ひろ)ごり、当の大屋や店請らも――実際に見たのか、見なかったのか知らねども――何やらん、大いに恐れ戦いて、結局、山分けに致いた右金子を総て回収の上、その金を以って老人を、再度、手厚く弔ったということで御座った。

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