教え子への返礼 又は 豊太郎の母の死は諫死にあらず
僕は実に30年間、森鷗外の「舞姫」についての授業で、豊太郎の母の死は自然死であると教授してきた。ところが先日、妻や同僚が、それは間違いだ、諫死に決まってるという。教授資料にそう書いてある、映画じゃそうなってた、というのである。僕は免官通知――それが電信で齎されたという僕の推定から――と母の手紙の到着という時間的問題から考えてそれはあり得ないのだ、と僕は無数の教え子に教授してしまっているのである……。
……僕はしかし、承服出来なかった。
そもそも諫死なら、それが「舞姫」の何処かに必ずや、示されねばならぬと考えるからである。そして、それは自信を持って言うが――ない――。そうして、諫死であったことを完全に隠蔽して豊太郎があの日記を書いているのだとしたら、僕は今まで以上に豊太郎を嫌悪することになる。そうだとしたら僕は、四月の最初の授業で、首を覚悟で、生徒たちに教科書からこの忌まわしい愚劣な「舞姫」という小説を引き裂け! と命じるであろう……。
母は自然死である、諫死は物理的にあり得ない――というこの疑義を今年の年賀状で、僕はある教え子にぶつけてみた。
1月、即座に調べてくれた諫死説を提唱の数篇の論文と共に、教え子は僕の免官通知電信説と言う物理的な疑義に同感してくれた。先週、その最終調査結果が齎された。そこには当時の免官通知が「電信」で送られていたことを立証する第一級資料が同封されていた――当時、実際に免官された実在の人物の事実により――僕の免官は電信という判断は正しかったことが立証されたのである。
勿論、これによって豊太郎母諫死が否定された訳ではないが、僕は僕の
「豊太郎母は自然死である。豊太郎の免官とは無関係である。」
というオリジナルな説を、彼女の示してくれた資料を示して、残る教員生活に於いても、胸を張って授業することを宣言する。
*
――なんどという偉そうなことを言いたいのでは、実はない――
――いや、多少の自負と、教え子の苦労に報いるためにも――それも言いたかった、ということは事実ではある――
――で――本当に書きたいのはこれからだ……
*
その教え子は僕の御礼を固辞した。
僕としては、どうあっても御礼がしたいのであった。
そこで僕は、「あるもの」を御礼の手紙に同封した。それは――
それは28年前の彼女――彼女は僕が25歳の時、初めて担任を持った時の「あ」で始まる姓(旧姓)の子であったから、1年8組のクラス写真では仲良く(?)にこやかに微笑んで僕と並んで座っている――
――その28年前、僕が現代国語の授業でやった詩の、彼女が書いた、黄色くぱりぱりになったザラ紙の原稿用紙に鉛筆で書かれた、直筆の感想文――であった
一昨日、日曜日、『心底驚きました』と返事が来た――。
☆
最後に申し上げておく。彼女は――文学部の学生――なんどではない。
僕の30年間の教員生活の中で逢った瞬間に「僕など及ばぬ」と直感した数少ない教え子の一人。
御茶ノ水から東大大学院を経、現在はある大学で文学部の准教授として勤め、若手研究者として嘱望されている。
専門は――
森鷗外
――因みに、彼女が28年前、感想文に選んだ好きな詩は――
高村光太郎の「裸形」であった――
追伸:あの時のクラスの生徒諸君へ。彼女のだけじゃ、勿論、ない――全員、残してあるんだよ――