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2010/02/14

耳嚢 巻之二 信心に奇特ある事

「耳嚢 巻之二」に「信心に奇特ある事」を収載した。

 信心に奇特ある事

 予が許へ來る山中某とて、御抱席(おかかへせき)の與力より後は御代官に昇進せしが、最初大願の始め彼是上に立人の心どり六ケ敷、思やうに事調はざりしが、深く辨天を信じ成願の法などを修し貰ひしが、相州江の嶋の辨天は靈驗いちじるしきと聞て、三日斷食をなして代拜の者を差遣しけるが、彼代拜の者江の嶋にて不思議の靈夢を蒙りし由。誰ともなく、山中が願望當時世話有し川井何某の手にては出來ざれども、跡役の人并に權門家の何某心得候間、始終は成就すべきとの事也。右代拜の者は其世話いたし候人の名前などは委敷(くはしく)知るべきものならねば不思議におもひけれ共、いまだ川井も盛んに勤の事故強ひて心にも留めざりしが、無程川井身まかりて跡役の時節にいたり願の叶ひけるよし。最初より少しも能(よく)と存(ぞんず)る事を聞しは多分辰巳の日也と語りぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:神仏に纏わる霊験譚で連関。

・「奇特」ここでは宗教用語として、神仏の摩訶不思議な験(しるし)、効験(こうげん)の意。

・「御抱席」その一代限りで召抱えられる地位を言う。之に対して世襲で受けられる役職を譜代席、その中間を二半場(にはんば)と呼んだ。ウィキの「御家人」によれば、『譜代は江戸幕府草創の初代家康から四代家綱の時代に将軍家に与力・同心として仕えた経験のある者の子孫、抱席(抱入(かかえいれ)とも)はそれ以降に新たに御家人身分に登用された者を指し、二半場はその中間の家格である。また、譜代の中で、特に由緒ある者は、譜代席と呼ばれ、江戸城中に自分の席を持つことができた』。給与や世襲が保証された『譜代と二半場に対して、抱席は一代限りの奉公で隠居や死去によって御家人身分を失うのが原則であった。しかし、この原則は、次第に崩れていき、町奉行所の与力組頭(筆頭与力)のように、一代抱席でありながら、馬上が許され、230石以上の俸禄を受け、惣領に家督を相続させて身分と俸禄を伝えることが常態化していたポストもあった。これに限らず、抱席身分も実際には、隠居や死去したときは子などの相続人に相当する近親者が、新規取り立ての名目で身分と俸禄を継承していたため、江戸時代後期になると、富裕な町人や農民が困窮した御家人の名目上の養子の身分を金銭で買い取って、御家人身分を獲得することが広く行われるようになった。売買される御家人身分は御家人株と呼ばれ、家格によって定められた継承することができる役ごとに、相場が生まれるほどであった』とある。この山中殿、筆頭与力になれたのであろうか。人事ながら、ここまで運気の強かった彼、気になるところではある。

・「與力」諸奉行等に属し、治安維持と司法に関わった、現在の警察署長に相当する職名。

・「御代官」幕府及び諸藩の直轄地の行政・治安を司った地方官。勘定奉行配下。但し、武士としての格式は低く、幕府代官の身分は旗本としては最下層に属した。

・「深く辨天を信じ」何故、この山中某が弁才天を信仰していたのか、その辺が見えてくると、もっと面白くなるという気がするのだが。

・「相州江の嶋の辨天」神奈川県藤沢市江の島の島内にある江島神社のこと。日本三大弁天(異説はあり)の一つ。現在の祭神は宗像(むなかた)三女神(海人族の女神。島の西最奥の奥津宮に多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)・中央の中津宮に市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)・北の入り口にある辺津宮(へつみや)に田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をそれぞれ祀る)。江戸末期までは金亀山与願寺という寺院で、弁才天が主神として祀られており、江島弁天と呼ばれ、岩本院等、多くの宿坊を備えていた。廃仏毀釈によってかくなったが、現在も辺津宮境内にある奉安殿に八臂(はっぴん)弁才天と妙音弁才天を安置する(この妙音弁才天は女性生殖器をリアルに彫りこんであることで有名)。欽明天皇13552)年、神宣による勅命を受けて、江の島の南側海食洞(御岩屋と称する)に宮を建てたのを嚆矢とすると伝える。「吾妻鏡」寿永元(1182)年の記載には、源頼朝の命によって文覚上人が岩屋に弁才天を勧請したとあり、北条時政絡みの霊異譚にもこの弁天の祠が登場する(北条氏の紋所の三つ鱗はこのエピソードの龍神の鱗に由来するとも言われる)。江戸期には豊穣神・芸能神である弁天信仰で栄え、商人や芸者衆の厚い信仰を受けた。……さて、私にとっても……江の島は青春と秘やかな思い出の地である――尾崎放哉にとってそうであったのと同じように――34年前、弁天橋から、富士の夕景――

・「川井何某」はまさに筆頭与力であったか。

・「辰巳」は日時ではなく南東の方位しか言わないから、これは干支の誤り。弁才天の縁日は己巳(つちのとみ)であるから、それを書き誤ったものと考えられる。また弁才天と龍神、龍神は宇賀神(蛇神)とそれぞれ密接に関連(というか一体に習合)するので、その思い込みから辰と巳を組み合わせてしまったものとも思われる。いや! もしかするとこれは洒落かも? 山中殿、この日は丁度、江戸の辰巳の深川遊廓にくり出した日だったのかも!?(辰巳芸者でお分かりの通り、「辰巳」は深川遊廓を指す隠語でもある)……いや、遊里――芸者――弁天――江の島弁天たぁ、こりゃ、美事にすっぽり、ずっぽりと繋がる、じゃあ、ござんせんか?!……

・「最初より少しも能と存る事」聞いた初めから、完全によく成就するという内容の予言、という意味であろう。

■やぶちゃん現代語訳

 信心に奇特がある事

 私のもとによく訪ねて参る山中某という者は、御抱席の与力から、後には代官にまで昇進した人物であるが、未だ与力であった昇進大願の発願始めの頃には、あれこれ、上司の思惑を測りかね、上手く立ち回ることも出来申さず、どうにもこうにも思うように行かずにおったという。

 さても、彼は日頃から弁才天を深く信仰して御座って、これまでも昇進祈願のために、弁才天の請願成就の修法(ずほう)なんどを特別にとり行って貰ったりなんど致いておったのだが、ある時、相模国江の島の弁才天、霊験著しき由聞き、早速三日断食致いて精進潔斎の上、代拝の者を江の島に遣わした。

 この代拝の者、島に泊ったその晩、摩訶不思議なる霊夢を見た。

――夢の中で、何者か分からぬ誰かが、

「……山中が願望……今の上司たる川井××殿の手にては叶わぬ……されど……その川井殿後任の者並びに関係有力者の○○○○殿がこのことについて理解を示してくれることになっており……畢竟、成就致すこと間違いなし……」

と言うのが聞こえた――というのである。

 この代拝に遣わした男は、川井××の名は勿論、山中が少しばかり知って御座った権勢家○○○○殿の姓名なんど、詳しく知るはずもない者で御座ったれば、川井は如何にも不思議なことと思ったけれども、当時の上司川井某は如何にも健やかに勤めて御座ったれば、強いて夢のことは、心に留めずにおいた。

 ところが、ほどなく川井某は急逝、後役が就任するや、直ぐに川井の昇進が叶ったとのこと――。

「……その代拝の者に全き祈願成就のお告げの御座ったは……多分……弁才天の縁日の己巳(つちのとみ)の日で御座った……」

と語った。

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