耳嚢 巻之二 日の御崎神事の事
「耳嚢 巻之二」に「日の御崎神事の事」を収載した。
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日の御崎神事の事
日の御崎神事の節は神人(じにん)海邊に出、波打際に立居ける事なるが、毎年日時を違へず沖の方より藻の上に小蛇とぐろして流れより侯を、神人兩手を以て受て、直(ぢき)に神前へ相備侯恆例也。右蛇は或は一日又は兩日程其儘にて動かずありて死しけると也。夫を直に干かため年々の蛇形を納め置て、信仰し乞候ものあれば附屬しける由。戸田因州公も去年右神主より差越し受納ありしと、寺社奉行勤の節物語也。尤白蛇とは唱候得共、全く白に無之、黑ずみ候蛇の由也。
□やぶちゃん注
○前項連関:大先輩、戸田因幡守忠寛(ただとお)絡みで、更に摩訶不思議なる神事でも連関。
・「日の御崎神事」島根県出雲市大社町日御碕、島根半島最西端にある、「出雲国風土記」「延喜式」に載る日御崎神社(祭神は天照大神と素戔嗚尊)の神事。旧暦10月11日の神迎祭に始まり、14日の龍神祭、17日の神等去出祭を以って終る。これは所謂「神在祭」で、全国から集まる八百万神招来の確認を意味している。そして、この時期に浜にやってくるウミヘビを、その神々の先導役とされる大国主の使者、竜蛇神として迎えた。このウミヘビは爬虫綱有鱗目ヘビ亜目コブラ科セグロウミヘビPelamis platura である。以下、ウィキの「セグロウミヘビ」によれば、『全長は60-90㎝。体形は側偏する。斜めに列になった胴体背面の鱗の数(体列鱗数)は46-68。名前の由来は、背が黒いことから。腹面は黄色や淡褐色。これは、主に沖合の海面付近に生息するために、外敵に見つかりにくい色になったためであり、サバやマグロなどの回遊魚と同様の進化である。本種は他のウミヘビ亜科の種と同様、卵胎生を獲得して産卵のための上陸が不必要となった完全な海洋生活者であり、その遊泳生活に応じて、他のヘビでは地上を進むのに使用されている腹面の鱗(腹板)は完全に退化し』、『頭部は小型で細長い』。『牙に毒を持つが、本種は肉にも毒があるので、食用にはならない。黄色と黒というその非常に特徴的な体色は肉が毒を持つことの警戒色の意味もあるのではないかと考えられている。ウミヘビの中では比較的性質が荒い種であり、動物園で飼育されていた本種は給水器に何度も噛み付くほど凶暴だったという』。『外洋に生息する。暖流に乗って北海道辺りまで北上することもある。完全水棲種で、腹板が退化しているため陸地に打ち上げられると全く身動きがとれずにそのまま死んでしまうことがある。反面遊泳力は強い』。『食性は動物食で、主に魚類を食べる』。『繁殖形態は卵胎生で、11月頃に海岸に近づき、海中で2-6頭の幼蛇を産む』。とあり、更にズバリ、本日御崎神社の神事の記載が以下のように現われる。『本種は日本の出雲地方では「龍蛇様」と呼ばれて敬われており、出雲大社や佐太神社、日御碕神社では旧暦10月に、海辺に打ち上げられた本種を神の使いとして奉納する神在祭という儀式がある。これは暖流に乗って回遊してきた本種が、ちょうど同時期に出雲地方の沖合に達することに由来する』。但し、近年、海洋汚染や護岸工事による潮流変化により、セグロウミヘビが浜に来ることは稀となり、祭事は龍蛇が奉納されたものとして行われるのみで、悲しいことに、根岸の綴るような神異を目の当たりにすることは最早、出来ない。日御崎神社の狩野・土佐両派の手になる天井画を持つ現社殿は、寛永21(1644)年に三代将軍家光の命を受けた松江藩により造営されたもので、国指定重要文化財に指定されている。旧暦1月5日にワカメを刈る和布刈神事(わかめかりしんじ)が行われるとある。この神事、私にとっては中学時代に読んだ松本清張の「時間の習俗」に登場する懐かしいものだ(但し、あれは福岡県北九州市門司区門司にある和布刈神社の同じ神事。あの小説も今の連中にはトリックが廃れた神事みたようなもんで訳が分からんだろうなあ)。「直に神前へ相備侯」という根岸の叙述が正確ならば、本文冒頭の神事は旧暦10月14日のことと考えられる。
・「神人」「じんにん」とも読む。室町以降、神社に隷属し雑役などを行った下級の神職。但し、ここでは単に神職(神主)を指しているように思われる。
・「附屬」古語の「付属」には、付き従こと、またはそのものという現代語と同様の意味の他に、宗教用語として、教義経文を信者や弟子に伝授する、という意がある。
・「戸田因州」戸田因幡守忠寛。前項注参照。彼が寺社奉行であったのは安永5(1776)年から天明2(1782)年9月の間であるから、この話は前話と異なり、「卷之二」の下限は天明6(1786)年までという期間に綺麗に入る。こうなると、前の話もこの話と同じ時期に採取されたとも考えられないではないが、そうなると、前の話の戸田の言「先領は右最寄故度々右社頭へも至りし」が理解出来なくなるという大きな問題点が発生するのである。
■やぶちゃん現代語訳
日御崎神社神事の事
日御碕神社神事の節は、神主が海辺に出、波打ち際に立つ――すると、毎年、その必ず日時を違えず、藻の上にとぐろを巻いた小蛇が、沖つ方より流れ寄って御座ったものを、神主が両手にて掬い受け、直ちに神前に供え申し上げることを恒例としておる。
この蛇、一日若しくは二日ほど凝っとして御座って、そのまま動くことなく死ぬという。それを干し固め、年々、とぐろの蛇形(じゃけい)の木乃伊(ミイラ)を拵え納め置いて御座れば、参詣する者の中で、信心深く神体を乞う者があれば授けるのだとのこと。
戸田因幡守忠寛(ただとお)公も、
「……そうそう、去年、その日御碕神社の神主より、かく製せられた奇品を受納致いたことが御座ったわ……」と物語られたのを、公が寺社奉行を勤めておられた折りに、お聞きしたのを覚えて御座る。
公のお話によれば、それは、
「……う~む、霊蛇にして白蛇(はくじゃ)と聞き及んで御座ったが……白いものにては御座なく、黒ずんで御座った蛇であったのう……。」との由。