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« 杉山君へ――極私的通信 | トップページ | 耳嚢 巻之二 猫の人に化し事 及び 猫人に付し事 »

2010/03/25

耳嚢 巻之二 異變に臨み熟計の事

「耳嚢 巻之二」に「異變に臨み熟計の事」を収載した。

 異變に臨み熟計の事

 名は障りなれば洩しぬ。近き頃の事とや、さる小身旗本の母は家の女にて別に隱居家もなく居間續きの部屋に住居せしが、密に密通の男ありて右部屋へ通ひけるを、其子はしらざりしに、或夜母の居間にて物音高く何か爭ふ聲聞へければ、全く盜賊と思ひ刀を追取りて立向ひしに、逃出る者有りし故切倒し、同く駈出る者をも殺害に及びけるが、火を燈し見れば、最初に殺したるは實母なる故大に驚き、同じく切倒しけるものを見れば見覺へざる男也。實母を殺し、助るべきやうあらざれば自滅せんと刀を取直しけるが、此趣を我のみ知りては彌々惡名を重ねなん、幸ひ隣家に相番の者ありし故、呼寄て此樣子を語り、頭支配へ屆給はれ、我は自害いたし候と申ければ、彼相番(あひばん)聞て、自害は遲き事あるべからず、我等が歸り來る迄いくへにも待給へと制し、取あへず組頭の方へ至り、始よりの次第を用人を以て申出しければ、右組頭さるものにやありけん。尚又用人を以申出しけるは、誰殿方へ盜賊忍入て母を切害せし故、誰殿事右盜賊を打留め給ひしと申口上と相聞へぬ。家來の承り方不分明故、押附可懸御目。今日も不快にて只今療治いたし居候、暫く待給へとて、料理など出し漸二時(ふたとき)程も得せてやうくに出立で、不慮の事にて盜賊忍入御母儀を切害せし事是非もなき仕合也。然し其盜賊其席にて直に討とめ給ひしは、遖れの手柄、責てもの事と申けるにぞ、右相番も始て其趣意をさとり立歸りて當人へも申聞、其趣の屆書認め、頭へも申立、事なく濟しと也。右組頭、相番を待せ置てひそかに頭の宅へ至り、初中後の相談をなしてかく取計ひける由。右組頭あしく取計なば、其者の家を斷絶せんは是非もなけれど、御旗本の身分にて間違て親を害し候などゝいはんは、世の聞所も如何ならん。虚實はしらず、面白き取計と思し故爰に記しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。しかし、人が二人死に、母子の過失の尊属殺という一見救いのない事件に対して、関わった人物たちが誰もが皆、如何にも粋な計らいをするという話柄――何やらん、「北の国から」見たような、ほっとするいい話である。そうして、こうした感覚が後の名南町奉行根岸根岸鎭衞その人を生んだのだと言ってよい。

・「小身旗本」一般には3000石未満の家禄の低い旗本で、旗本は江戸城警備・将軍本人の警護を行う大番(番方)・役方(文官相当)の町奉行・勘定奉行・大目付・目付等に就任することが出来たが、無役の旗本の場合、3000石以上の者は寄合席、それ以下は小普請組に編入されていた。実際には旗本の9割は500石以下であったらしいから、殆んどがこの「小身旗本」であったといってよい。主に参考にしたウィキの「旗本」によれば、『100石から200石程度の小禄の旗本は、小十人の番士、納戸、勘定、代官、広敷、祐筆、同朋頭、甲府勤番支配頭、火之番組頭、学問所勤番組頭、徒(徒士)目付の組頭、数寄屋頭、賄頭、蔵奉行、金奉行、林奉行、普請方下奉行、畳奉行、材木石奉行、具足奉行、弓矢槍奉行、吹上奉行、膳奉行、書物奉行、鉄砲玉薬奉行、寺社奉行吟味物調役、勘定吟味改役、川船改役をはじめとする諸役職についた』とあるが、本話柄の「頭支配」というのは、恐らくこうした役職上の「頭支配」ではなく、彼が属していた小普請組の「頭支配」という意味であろう。また、一般に下位の御家人との違いとして『徳川将軍家直属の家臣団のうち、石高が1万石未満で儀式などで将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格をもつものの総称』とされるが、『小禄や無役の旗本は将軍に拝謁の資格があったものの、実際に拝謁できたのは家督相続・跡式相続のときのみであった』とある。

・「家の女」この母は武家の一人娘で、婿をもらい、主人公の男子をもうけ、婿の主人は既に逝去しているということである。住み馴れた自家であったから、隠居所を設けて居所を移すわけでもなく(同一敷地内に別な隠居所を建てることもなく、ということであろう)、家督及び屋敷を継いだ息子と、同じ屋敷内の同一建物内、同じ居間続きの部屋に住んでいたということである。

・「密に密通の男ありて右部屋へ通ひけるを、其子はしらざりしに」どうもここが分からない。まず、「密通」をそのままの「不義密通」の意味でとるには無理がある。彼は既に家督を継いでおり、文脈上、父は既に逝去しているとしか思われない。未亡人であれば、男性と交際することは江戸時代であっても「不義密通」とは言わないし、表立ってはいなくても許されていたし、再嫁もあった。とすれば、これは、母親が子に対して内心忸怩たるものを感じていたから内密にしていたか、或いはこの恋人が息子と変わらぬほど、もしくは息子よりも若い男性でもあったからか、もしくは身分の低い町人や凶状持ちでもあったのか、はたまた、この男に妻子でもあったのか(だとしても「不義密通」とは言わないと思われる)といった書かれていない条件を仮定する必要がある。――更に言えば実は冒頭で『何やらん、「北の国から」見たような、ほっとするいい話である』と言ったのであるが――その口が乾ぬ間に――そこには一抹の不審への皮肉もあるのである。――前注で言った通り、母と息子は同じ屋敷内の同一建物内、同じ居間続きの部屋に住んでいたとあるのであるから、この息子がそれを知らないでいたというのは、如何にも嘘臭い気がするのである。夜半のアヘアヘに気付かない程の呆けた馬鹿息子が、この晩に限って、物音に気付き、誤認で一方は女とはいえ、二人の人間を鮮やかに斬り殺して、果ては覚悟一決自害せん――というのは芥川龍之介の「藪の中」の三証言のように、私にはとても解し兼ねる事実なのである。もしかすると、この話柄には実は隠された真相があったのではないか……という展開は折角の「北の国から」見たような、ほっとするいい話を汚すことになれば……これはこれで、信ずることと致しやしょう……

・「相番の者」小普請組の中で同じ頭支配(小普請支配)下の同僚という意味であろう。

・「頭支配」小普請支配という主人公の組頭の上に、更にその組頭を支配する組頭支配がいる、という意味の注が岩波版の長谷川氏の注にある。以下の叙述から正式な文書の届け出は、小普請支配組頭→頭支配のルートを辿ったもので、頭支配の裁可を必要としたものと考えられる。

・「用人」主人の用向きを家中に伝達、庶務を司ることを職務とした上級の家臣であって、単なる使用人格ではない。この話柄のような旗本にあっては、家中に家老・年寄を置くことは通常は出来なかったため、用人は諸藩の家老と同じ職権を持つ重臣、家中最高の役職名であった。例えば500石級の旗本では用人の定数は1名が一般的であった(以上はウィキの「用人」を参照した)。

・「二時」約四時間。

■やぶちゃん現代語訳

 危機的状況にあっての熟慮肝要の事

 人物の名は差し障りがあるので、総て控えることとする。どうも最近の出来事であるらしい。

 さる小身の旗本、入り婿であった父亡き後、家督屋敷も継いで御座ったが、母が住み馴れた家内なれば、別に隠居所を設けるということもせず、母屋の居間続きの部屋に住んで御座った。

 この母には密かに関係を持っている男がおり、この母の私室に、夜毎、こっそりと通って来ておったのじゃが――息子はそれを知らないでいたのじゃった――。

 ――ある夜更け、隣の母の居室で大きな物音がして、何か争うような鋭い声が聞こえてきた。うとうととしかけていた息子は、てっきり盗賊が入ったものと思い、押っ取り刀で駆けつけると母居室の真っ向に立って迎えんとしたところ、真っ暗な中、矢庭に部屋から逃げ出して来た者がいたため、すわ、盗人、と有無を言わさず斬り捨て、続いて走り出して参った同賊と思しい者をも是非に及ばず切り倒した。

 さて、己が息の静まるを待って、

「母者、ご無事かッ!」

と灯した火を持って部屋にいれば――誰もおらぬ――廊下に出ずれば――成敗したと思って御座った最初にの一人は――何と母御前(ごぜ)で御座った……

「……!……」

今一人の者は、これ、見覚えなき男にて御座ったが――実母に斬りつけ、最早、命終の体(てい)にて御座れば、

「――自害せん!――」

と、母御前斬りしその刀を逆手に構えて切腹致さんとせしが――刃を腹に突き立てんとする間際――ふと、思い至った――。

「……かくなる事態に至った趣、これ、我のみ知る……それにては、なおのこと、我の乱心ならん、との誤解を以って、世に悪名を残すことにもならん……」

 さても幸いなことに、隣家に同じ小普請組の同僚が御座ったので、夜更けなれど内密に呼び寄せ、

「……かくかくの次第にて、我らが頭支配にお届け下されい。拙者はこれにて自害致し候えばこそ――」

と告げたところ、その同輩は慌てて、

「待たれい! 自害のこと、後にても遅きこと、これあらず!――お主の、支配への言上の願い、確かに承った――さればこそ、拙者がここ元へ帰り来る迄、重々、待たれいッ!――」

ときつく自害を制し納得させた上、取り敢えず彼らの組頭の屋敷へと走った。

 組頭の屋敷に付くと、起きて来た用人に一部始終を語った上、直ちに組頭様に御面会、御判断を仰ぎたき旨、申し上げた。

 ところが、この組頭は――なかなかに深慮ある者にて御座ったらしく――用人から話を聴くや、再び、この用人に応対させ、この同輩なる男に以下のように命じた。

「――○○殿方へ盗賊押入り、その母を殺害(せつがい)致いた故、○○殿こと、盗賊討ち果たし給う――との物謂いなる口上と相承った。事件仔細に付、家来の承り方及び言上、これ、不十分にて御座れば――追っ付け御目に掛かって委細伺はんものと存ずる。――なれど只今、体調、これ、優れざるによりて、床にて療治なんど致いて御座ればこそ、暫く待ち給え――。」

 そうしてこの男には、夜食なんどが振る舞われ、二時(ふたとき)ばかりも待たされた上、漸く暁近くなってから組頭が御出座、男に向かって、

「――不慮のことにて盗賊忍び入り、御母儀を殺害(せつがい)せしこと、如何ともし難き出来事にて、我ら言葉もない。――然れども、その仇敵盗賊を、その場にて直ちに美事討ち果たされ給いしは、これ、天晴れの手柄、せめてもの慰みなり――。」

と徐ろに告げた上、凝っと部下である、この男を見つめたまま、黙って御座った。

 その瞬間、この同輩なる男も組頭の真意を悟って御座った。

 急ぎ、立ち帰ると、約束を守って自害致さず、まんじりともせずに彼の帰りを待って御座った当人のもとへ駆けつけ、当人へもこの万事委細を語り伝えて諭した上、組頭の言葉通りの趣きを以って届書を認め、組頭より頭支配に申し立てを行ったところ、何事もなく済んだという。

 この時、この組頭は、当の同輩なる男を待たせている間に、実は密かに組頭自身の上司であった、その頭支配の屋敷へ赴いて、本件に付、善後策を協議致いて、かく取り計らったということで御座った。 本件の場合、組頭が悪く――杓子定規に――取り計らったとすれば、これはもう、法に照らしても尊属殺人にして、その者の御家断絶は免れないものである――また、誤認による過失致死や重過失致死が認定され、執行猶予やお構いなしとなったと致いたとしても、御旗本という高貴な武家にありながら、『間違って親を殺害致いた』なんどと言うは、世の噂として如何なものかは、想像に余りあるというものであろう。

 この話、本当か嘘か、定かではない――なれど、面白くも適切なる取り計らい方と思えばこそ、ここに記しおくものである。

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