吉屋信子 生霊
去年の暮に読んだものながら、何となく記憶に残った一冊が、ちくま文庫の
「文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊」(東峰夫編)
である。この一冊総てが、奇妙な味わいの怪談である。僕は恐らくこの一群に相当するような怪談を他に殆んど知らない。
――断っておくが、それほど稀有の傑作だ、というのではない。神経症の症例や実話譚としてなら、このような内容はごまんと読んできた。しかし「小説」として構築されているという点、僕はこのようなテイストの「怪奇小説」を今まで殆んど知らない、という奇妙な褒め言葉なのである――
……小説全13篇(それ以外に随筆4篇を附す)何も起こらぬ……せいぜい「音」がしたかのような気がする……程度である……紫式部ではないが「心の鬼」の方が恐ろしいと言ってしまえば陳腐である……神経症的関係妄想の陳腐に堕さない程度に怪奇「小説」の香気がするのである……
特に冒頭を飾る「生霊」がいい。これは怪奇「小説」であるが、読者は一切の怪奇に遭遇しない。というより読者には怪奇でない理由が最初から暴かれている。にも拘らず、それが必ず陥るはずの滑稽に堕していない。
僕は作品の後半、高原のバンガローを去る「生霊」である主人公菊治が、世話になった爺さんのいる家の方に向かって『蔭ながら遠くから手を振る恰好をして急ぎ足に通り過ぎて――菊治はやがて朝霧の中にその姿を没した』というシーンで、思わず目頭が熱くさえなった――たいして深い感傷のシーンとは言えないないのに――我乍ら、何やらん、不思議な気がした――
騙されたと思って――御一読あれ。
言い忘れた。下の表紙絵は金井田英津子と言う方のもの――「生霊」のワン・シーンを彼女がインスパイアしたものだ――素晴らしい! 僕はこの絵で、確かに金井田さんのファンになった。
この文豪怪談傑作選シリーズは、昨今では手軽には読めなくなった掌編を渉猟してなかなか見逃せない(と言っても既に全巻刊行済であるが)。
僕が所持しない作品が含まれていることから、吉屋以外に「室生犀星集」「三島由紀夫集」「特別篇 百物語怪談会」「特別篇 文藝怪談実話」の四冊を求めたが、今まで読みたいと思いながら、読めなかった数篇をまるでオーダー・カットしてくれた生ハムように編集されている点、如何にも嬉しかった。東氏はかの『幻想文学』の編集者でもあったから、さもありなん、である。
但し、相対的に言えば、「特別篇 文藝怪談実話」の一篇は資料的価値として買い求めるもので、内容としては最も退屈であった(既に知っている話柄か、その変形譚が2/3を越えていたことも仇となったかも知れぬ)。これは編者の東氏のせいではない。
小説家の書いた「実録」怪談ぐらい、素材が思いの外陳腐で、セットされたクライマックスこれ見よがしで、クソ「小説」臭い――即ち「ありそうな作り物」臭い――従って意地悪く眉に唾する仕草を「如何にも」という感じで読み終わってからせざるを得ぬほど臭いものはない――という命題が真であることを実感させる作品群である。
但し、この中に川端康成の「香の樹(『海の火祭』より)」という作品が含まれている。澁澤龍彦が、物陰でせせら笑いそうな作品(但し、書かれたている「事実事例」は面白い)であるが――これ、どこが文藝怪談「実話」なのか、僕には分からない。元の「海の火祭」なる作品を知らないから如何とも言い難いが(これが「実話」であることを東氏には是非解説して欲しかった。私は読み始めたとたんに、東氏の解説にそうした一条を急いで探したほど、本篇の中にあって極めて奇異なる印象である)、それとも僕が馬鹿なのか?……これは逆立ちしても小説にしか見えないのだが?……あそれとも……この疑問そのものが怪談「実話」なのか?……