白金豚
最近、行きつけのイタリアン・レストランや豚カツ屋で「白金豚」(はっきんとん)という名をよく耳にし、食いもした。美味い。先日、イーハトーボを訪れた時、農家のおばちゃんたちの経営するスーパーで、白金豚のベーコンをたんまり土産に買って、家でカリカリに焼いて早池峰山麓の地ワインの肴にして食った。とんでもなく美味かった。ふと、そのパッケージを見て、二度、びっくりした。この商標「白金豚」とは……宮澤賢治の「フランドン農学校の豚」の冒頭から採ったネーミングだった!
皆さんは知ってましたか?
〔冒頭部原稿何枚か破棄〕
以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取して、脂肪若くは蛋白質となし、その体内に蓄積す。」
とこう書いてあったから、農学校の畜産の、助手や又小使などは金石でないものならばどんなものでも片っ端から、持って来てはふり出したのだ。
尤もこれは豚の方では、それが生れつきなのだし、充分によくなれていたから、けしていやだとも思わなかった。却ってある夕方などは、殊に豚は自分の幸福を、感じて、天上に向いて感謝していた。というわけはその晩方、化学を習った一年生の、生徒が、自分の前に来ていかにも不思議そうにして、豚のからだを眺めて居た。豚の方でも時々は、あの小さなそら豆形の怒ったような眼をあげて、そちらをちらちら見ていたのだ。その生徒が云った。
「ずいぶん豚というものは、奇体なことになっている。水やスリッパや藁をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機態では豚なのだ。考えれば考える位、これは変になることだ。」
豚はもちろん自分の名が、白金と並べられたのを聞いた。それから豚は、白金が、一匁三十円することを、よく知っていたものだから、自分のからだが二十貫で、いくらになるということも勘定がすぐ出来たのだ。豚はぴたっと耳を伏せ、眼を半分だけ閉じて、前肢をきくっと曲げながらその勘定をやったのだ。
20×1000×30=600000 実に六十万円だ。六十万円といったならそのころのフランドンあたりでは、まあ第一流の紳士なのだ。いまだってそうかも知れない。さあ第一流の紳士だもの、豚がすっかり幸福を感じ、あの頭のかげの方の鮫によく似た大きな口を、にやにや曲げてよろこんだのも、けして無理とは云われない。
ところが豚の幸福も、あまり永くは続かなかった。……
(以下は私の愛するHP「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」の「フランドン農学校の豚」をお読みあれ。引用も同所のものを使わさせて頂いた)