耳嚢 巻之二 妖術勇気に不勝事
「耳嚢 巻之二」に「妖術勇気に不勝事」を収載した。この話柄、好き!
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妖術勇気に不勝事 此一條鳩巣逸話を剽竊せる也
上州高崎の人、當時武陽にありて語りけるは、或時怪僧壹人高崎の城下に來りて、色々奇妙の事などいたし呪(まじなひ)をなしけるゆへ、町家の者共信仰なしけるが、家中の者共も右の出家を呼て尊崇する者あり。雨中の徒然なる儘に、若侍四五輩集りて錢又は域砲の玉などを握りて居候を、右出家差向ひて取之に、其防成がたし。彼出家申けるは、我等右の手の中の品を取候間、右の手に小刀を持て我等が取候處の手を突き申さるべしとて、幾度か其業なしけるに、出家の手を突く事はならずして、兎角に握りしものをとられぬ。然るに同家中にて年ぱい成者其席へ來りて、手の内の物を人にとらるゝといふ不埒の事やある。われらが握りし品を取可申迚、左の手にて握り、右の手に小刀を持差出しけるに、彼僧さらば取り候とて立向ひしが、何分御身の掌中の品はとり侯事成難しと答ふ。さも有べし、武士の掌中の物を人にとらるゝなどいふては濟ぬ事也。かゝる戲れはせざるものなりとて其座を立て歸りぬ。跡にて若き者ども、何故にあの者の掌中の品はとられざるやと尋ければ、出家答ていふ。各が我等がとらんとする手を小刀にて突んとし給ふ故とらるゝ事なれ。彼人は其身の握りし拳ともに突んとし給ふゆへとらるべきやうなしといひて、高崎を立さりぬと人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:神道の真実(まこと)の霊験に対して、怪僧の幻術で連関。前話の謂いを用いるならば、これこそ「神變不思議をかたり奇怪の事をなす」ものであり、根岸が「其怪妄を親しき兒女の戲れ」と断ずる類のものである。
・「妖術勇気に不勝事」の「気」はママ。
・「此一條鳩巣逸話を剽竊せる也」章題の下にポイント落ちで附されている。これは狩野本章題下に書き込まれた後人の附加文であって根岸の言葉ではない。「鳩巣逸話」は「鳩巣小説」の別名。「剽竊」は「剽窃」と同音同義。室鳩巣(むろきゅうそう 万治元(1658)年~享保19(1734)年) は新井白石と並び称せられる儒学者。京都で儒学者木下順庵(元和7(1621)年~元禄11(1699)年:金沢藩主前田利常に仕え、後に幕府儒官・徳川綱吉侍講となる。)に師事し、同門の新井白石の推挙によって幕府儒官となった。合理的な人材登用制度である足高の制を設けるなど、享保の改革のブレーンとなった。後、吉宗及び家重二代に渡って侍講となった。赤穂事件の際には「義人録」を著して、主従の義を重んじた浪士を讃えたことでも知られる。底本鈴木氏注によれば、本話柄は室鳩巣が著わした随筆「鳩巣小説」(続史籍収覧所収)の三巻の下巻に、大久保彦左衛門の逸話として記されるという。『狐つきの老婆が侍たちの手巾を握らせ、取れと声をかけさせる拍子に、目に見えぬうちに抜取って見せるので大評判となったが、彦左衛門に対してはこの老婆も最初から手が出なかった。それは手拭を取ろうとすれば腕を斬落そうという勢だったからとてもできなかったと、老婆は後で語ったとある』とする。但し、鈴木氏も「剽竊うんぬんの語は当たらない」と付言されているように、私も根岸が確信犯で剽窃したものではないと考える。このような話柄が所と人を変えて、都市伝説として蘇えったものと考えるべきものであろう。根岸が「鳩巣小説」を読んでいなかった、読んでいたが内容が同一であったことを失念していた――いや、それこそこれは「鳩巣小説」の話柄の剽窃であることを十分承知していながら、その話柄の面白さから敢えて再生都市伝説としてここに採用したのではないかとさえ私は思うのである。何故なら、「耳嚢」の「ここ」に挿入する話柄として、これは如何にももってこいのものであり、更に武人譚としても極めて魅力的な話柄――根岸好みである。「鳩巣小説」の原文を読んでいないので明確には言えないが、鈴木氏の梗概と比して、こちらの方がシチュエーションとしてはよく出来ている感触さえ受ける――だからである。私は「鳩巣小説」は所持しない。何時か、「剽窃」原話の採録をしたいとは思っている。なお、この一条は批評注であるから、現代語訳では省略した。
・「高崎の城下」高崎藩。大河内長沢松平家。譜代大名8万2000石。本話柄前後の時系列から天明年間であったとすれば、藩主は第5代松平輝和(てるやす 寛延3(1750)年~寛政12年(1800)年)。天明元(1781)年に家督を相続している。先代ならば父輝高(享保10(1725)年~天明元(1781)年)。
■やぶちゃん現代語訳
妖術は勇気に勝てぬという事
上州高崎の人が、江戸に出て来た折りに語った話で御座る。
ある時、一人の怪僧がぶらりと高崎の御城下に現われ、色々不思議なる幻術やら呪(まじな)いを致いて見せた故、あっという間に、町屋の者ども雲霞の如く、この怪僧の足下に跪き、御家中の者の中にさえ、この出家を呼び迎えて軽率にも尊崇致す者が現われた。
そんなある雨の日のこと、宿直(とのい)の退屈なるにまかせて、若侍四、五人が集まった上、この僧を呼び出だいて、例の幻術の仕儀を乞うた。
その幻術なるもの――
――若侍どもが、銭又は鉄砲の弾丸(たま)等を片手にぎゅっと握り締めておるのを、差し向かいに座って御座るこの僧が、その掌中の物を奪い取るという単純な技であった――。
……ところが、誰一人として、奪い取られるのを防ぐことが出来ぬ――
……何やらん、しゅるるっと、僧の手が触れたかと思うと――一瞬にして銭や弾丸は彼らの面前に広げられた僧の掌上に――
――ちょこんと、鎮座しておる――
更にその僧、
「……さても次は、握られた同じ手に、一緒に小刀(さすが)をお持ちになれれよ……そう、そのように……さても、では今度は、拙僧が貴殿らの右手に握って御座る銭や鉄砲の弾を掠め取らんとする際、その同じく一緒に握って御座る小刀を以って、奪わんとする拙僧の手を手加減なく突いてご覧になるがよい。」
と言うので、試してみる――
……と……
……同じように銭や弾丸は彼らの面前に広げられた僧の掌上に――
――ちょこんと、鎮座しておる――
……この若侍ども、余りのことに、武士なれば流石に、真剣になって何度も試してみたのじゃが――
……僧の手に一創の掠り傷を与えることも出来ずに、やはり――
――銭弾丸は僧の手に――
――ちょこんと、鎮座致いておる――
しかるに、そこへ偶々家中の者の中でも相当に年輩の、一人の侍がやって来て、
「掌中の玉を人に取らるるなんどという不埒なること、あってはならぬことじゃ――御坊――一つ、拙者が握った品を取ってみらるるがよい――」
そう言うと、その侍、
――左の手に品を握り、右手に小刀を執って、左手を徐ろに差し出した――
かの僧曰く、
「……さらば、戴きまするぞ……」
と言って差し向かいに座った――
――ところが――
――僧、何時までたっても手を出さぬ――
――いや、それどころか、全身を堅くこわばらせた儘、微動だにせぬ――
……暫く致いて、
「……いや……どうも……何分、御身の掌中の物……これ、取ること、叶いませぬ……」
と俯いたまま呟いた。
すると侍は穏やかに、
「そうで御座ろう。当然のことじゃ。武士の掌中のもの、これを他人に取られたとあっては、ただでは済まぬことじゃて。このような戯れ、やってはならぬ部類のこと、じゃの――。」
と言って、その場を立つ去った。
後に残った若侍どもが、
「どうして……彼の掌中の品、取れなんだのじゃ?」
と訊ねたところ、僧は聊か恥じ入った様子で答えた。
「……方々は……我らが取らんとする、その拙僧が手を、小刀で突こうとせられた……故、拙僧に玉を取られて御座ったのじゃ……なれど、あの御仁は……その御自身の拳諸共に、拙者の手を串刺しにせんとの御覚悟……とても取るべき手だてなんど、ない……」
と告げて、そのまま高崎を後に致いたという――ある人の、確かに語って御座った話。