大船鉄道機関大学文学部国語学科講義要綱1 車構内放送学演習Ⅰ 附小論文試験
最近は構内放送で「降り乗り」という言い方が当たり前になっている。馬鹿な日本人は現実に即して言い換えているのだから当然だと思っているらしい。では、なぜ「降乗」(こうじょう)と言わないのか? 僕は「乗降」という放送や「乗降口」という掲示は見たことはあるが、「降乗」とアナウンスする駅員や「降乗口」という指示板(鉄道の場合は滅多にないが)は見たことも聞いたこともない(車内放送で私は聞いたことがないと再限定しておく。そうアナウンスした人がいることを私は逆に光明のように祈る。その人は正しく現実を見ているからだ)。漢字は和語である訓よりも硬性なのだなんて僕でも言えそうな説得力のない説明では僕は全く肯んじない。関係ない。我々は日本人だ。漢字だろうが何だろうが、変えたらいいだろ!? 糞のように外来語を垂れ流して平気な俺達じゃないか? プラグマティックに「降乗口」で統一しろよ!――簡体字を受け入れ、ピン音を取り入れた中国だって、鉄道関係者だからといってこんなに安易に自分たちの日常の言葉を変えはしないと僕は思う。言葉とはそういう「節」を持ったものだと僕は思う。「降り乗り」が当たり前なのに「降乗」はおかしいという日本語は、逆に僕には「おかしい」ね。因みに、僕は今以って「降り乗り」という気持ちの悪い日本語は、口にしたことが、ない。あんたは、どうよ?
山岳部の鉄ちゃん――むすぶんやユーリ、カッシーよ、200字以内で論理的に僕を納得させ得たら、一杯、驕る!
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