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2010/03/01

耳嚢 巻之二 兵庫屋彌兵衞松屋四郎兵衞起立の事

「耳嚢 巻之二」に「兵庫屋彌兵衞松屋四郎兵衞起立の事」を収載した。

 兵庫屋彌兵衞松屋四郎兵衞起立の事

 兵庫や彌兵衞松屋四郎兵衞とて、當時淺草花川戸にて相應に米商賣いたし、伊勢町小網町にも屋敷を持て有德の町人あり。右の者成立を聞に、借屋住居して始は舂米(つきまい)を買出して桶に入、荷ひて町方裏々へ商ひけるが、裏々にて其日過しの者は一升二升調ひ候事もならざる者あり、五合三合の米を米屋へ買ひに行兼るにより、壹合貳合づゝせり賣せしは右兩人より賣初めしと也。右兩人後には有德の米屋となりぬれ共、今以せり賣の者を右兩家よりは出しける。其譯は米商の儀は、相場をおもにいたし候者なれば、日々裏々を廻りて下賤租母婦女の事を耳に留め、或は上りを得んと思ふ時は、米を買入などする事米商ひの專一也。右手段には裏々の商ひなどよきはなしと或人の語り侍る。

□やぶちゃん注

○前項連関:武士の誠意から商人の誠意へ連関。但し、商人の誠意は、相応に儲けるための戦略でもあること。

・「淺草花川戸」現在の東京都台東区東部、浅草寺の東の隅田川西岸似位置する町の名。南部が雷門通りに、西部が馬道通りに、北部が言問通りに接する。町を東西に二天門通りが、南北に江戸通りが通る。古くは履物問屋街であった。

・「伊勢町」現在の中央区日本橋室町の一部及び本町の一部にあった町名。江戸橋北方で、堀留川から主に乾物穀類が荷揚げされる江戸商業の中心地。米問屋が多くあった。

・「小網町」同じく中央区日本橋小網町。日本橋川の江戸橋下流東岸の町名。奥州船積問屋・鍋釜問屋、商人宿が多くあった。

・「舂米」正しくは「しょうまい」と読む。米を臼で搗いて白く精米した米。つきよね。

・「せり賣」「競売」と書くが、所謂、競売・せりの意味ではなく、別義の、商品を持ち歩いて売ること、行商の謂い。

■やぶちゃん現代語訳

 兵庫屋弥兵衛及び松屋四郎兵衛事始めの事

 兵庫屋彌兵衞及び松屋四郎兵衞という、現在、浅草花川戸にて手広く米商いを致し、伊勢町や小網町にも屋敷を持っておる豪商がある。

 この者どもの仕事事始に付き、聞いた話。

 ――昔、彼らは借家住まいを致いており、当初は搗き米を仕入れ、それを桶に入れて担いでは、専ら裏町長屋を巡って売り歩いておった――今も変わらぬことなれど、裏長屋にあって、その日暮らしをする者どもの中には、一升・二升の米すら、買うもままならぬ者どもが大勢おる――また、かと言って、五合・三合のわずかな米を米屋に求めに参るも、これ、恥ずかしうて出来かねればこそ――そのような者どものために、一合・二合ずつ、量り売りを始めたは、この二人の米商人を嚆矢とする。

 後、今のように両人とも大店(おおだな)を構える豪商となったれど、実は、今以って、この量り売り行商を、両家は毎日、出だして御座るとのこと。

 その訳――米商いというもの、巷の相場を読むことが何より大事のことにて、日々裏町を廻っては、貧しい家計の婦女子の交わす世間話にも耳を留め、いろいろ聞き及んだことを合わせ鑑み、時には、この先、直ぐにでも物価が上らんとする気配やら、米相場で利益が得られるものと判断し得た折りには、即座に米の買い入れなんどをする――というのが米商いの摑みどころなので御座る。

「……このように、米相場の先行きを占うには、裏町にて商いをするに、若(し)くは御座らぬのじゃ。」

と、ある人が語って御座った。

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