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2010/03/29

耳嚢 巻之二 好色者京都にて欺れし事

「耳嚢 巻之二」に「好色者京都にて欺れし事」を収載した。

 好色者京都にて欺れし事

 

 年々御茶壺の御用にて上京し侍る御數寄屋の者語けるは、或年江戸表より登りしゑせもの、京女郎はいかにも誮(やさ)しくあづまなる女とは違ひぬるといふ事なれば、哀れ京都にて傾城遊女はかたらふ事も安けれど、常の女と交りをなし家土産(いへづと)にせんものと、宿のあるじに語りけるに、あるじ答へて、少し入用だに懸け給はゞ大内(だいだい)の官女にも契りなんとある故、大に悦び頻りに心こがれて、何卒して官女に枕を並べ生涯の物語りにもせんと、ひたすらに亭主に賴ければ、何か其最寄に右樣の事に馴し者を賴み、一兩日過て、祇園にて望みを叶へんと、色々手入金など請取りて、其日にも成しかば晝より祇園へ同道して、茶屋によりて酒食など申付待居たりしに、暫く有て乘物にて來るものあり。一間(ひとま)奧成る座敷へ通りぬるに、年頃廿斗にて艷成婦人、其粧も氣高く見へしに、年老いたる局(つぼね)やうの女子も附添、年頃六十計なる撫付の侍も附添ぬ。いかにも御所の女臈(ぢよらふ)の物詣ふでせると見へしが、案内いたしたる者何か右老侍へ向ひて囁て、暫く有て歌學の事に付あの老人へ御逢の事申たれば、懸御目(おめにかかる)との事也とて引合けるにぞ、相應の挨拶なしければ、彼老人申けるは、兼て歌道執心の事主人も及承奇特に存られ、今日は御所よりの御代參にて參詣の序、下々の咄し御聞有らんも御慰みなれば、御内々御逢可被成事也とて、彼婦人に引合せけるが、誠にうや/\しき有樣故、膝行頓首して漸々其容色を望む計なり。歌執心の由聞及び悦入などの挨拶の上、右老侍も立出でければ、老女申けるは、かゝる御物參の御忍びなれば何かくるしからん、禮儀を止めて御酒を下され、打くつろぎて鄙の咄など御聞あらんも御慰みのひとつと酒抔進め、我等は祇園の境内其外今一應皆々を伴ひ見物致し度候と也ければ、其意に任せ候樣にとの事にて、右上臈と彼おのこ計殘し置出ぬ。跡にて何か立よりて、高龍雲雨の交りをなして、殘多(のこりおおく)も老人老女など立戻りし故立分れぬ。かの手引せし町人へ厚く禮式をなし宿へ歸りけるに、右老人老女への取入かた、茶屋の挨拶諸雜用、召連し六尺等の手當何か算用しぬれば、金子五六十金百金にもちかくかゝりしが、よしなき望にて無益の入用懸しと思ひしが、猶程過て聞ぬれば、彼上臈と聞へしは白人(はくじん)にて、右局老侍等も皆拵へ者にてありし。白人と假の情に夥しき金子を遣ひ捨し事のおかしさよとかたりぬ。

[やぶちゃん字注:「女臈」及び「上臈」の「臈」は底本では(くさかんむり)が全体に架かる字体であるが、これに代えた。]

 

□やぶちゃん注

○前項連関:公家という格に拘るばかりの愚昧なる名ばかりの「たかが公家」から、とんでもない「似非公家」へ連関。これ、わざわざ上京した「御數寄屋の者」を登場させて語らせる必要を感じない。さすれば、これは嘲笑している「御數寄屋の者」自身の、実は実体験ではなかったか? 直接体験過去の助動詞「き」を後半に多用するのは、そうしたニュアンスを根岸は微妙に感じ取り、それを本話柄の中にそれとなく伝えたかったのではあるまいか、というのが私の解釈である。最後はそのような感じで現代語訳してみた。

・「御茶壺の御用」宇治採茶使のことを言う。以下、ウィキの「宇治採茶使」よれば、これは『京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中と』呼んだもので、『起源は慶長18年(1613年)、江戸幕府が宇治茶の献上を命じる宇治採茶師を派遣したのが始まりで、元和年間、使番が使者に任命され宇治茶を運んでいた。徳川家光の時代の寛永9年に制度化され、寛永10年(1633年)から、幕末の慶応2年(1866年)まで続けられた』。『4月下旬から5月上旬に行われた。責任者たる徒歩頭(かちがしら)が輪番でその任を務め、茶道頭や茶道衆(茶坊主)のほか茶壷の警備の役人など、徳川吉宗の倹約令が出るまで膨れ上がり、多い時には1000人を超える大行列となった。道中の総責任者は、宇治の代官の上林家が代々務めた』。『100以上の将軍家伝来の茶壷に最高級の碾茶を詰めて、往路は東海道を復路は中山道・甲州街道を通った。甲州街道を通った行列は甲斐国谷村(現・都留市)の勝山城の茶壷蔵に納められ、富士山の冷気にあてて熟成してから、江戸に運んだ』。『この御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであるから自ずからたいへん権威があり、摂関家や門跡並で、御三家の行列であっても、駕籠から降りて、馬上の家臣はおりて、道を譲らねばならなかった』。『行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農繁期であっても田植えは禁止された。子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、葬式の列さえ禁止された。権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら、戸を閉めて閉じこも』り、万一、路上で『出くわしたら、土下座で行列を遣り過すしかなかった。茶壺の行列の様子は、現代でも童歌のずいずいずっころばしに良く表現されて歌い継がれている』とある。文中の「碾茶」(てんちゃ)とは蒸した緑茶のことで抹茶の原料。

・「御數寄屋の者」数寄屋坊主のこと。江戸幕府職名。若年寄の支配で、坊主頭3名の下に坊主組頭6~7名、その支配下の坊主約40名から構成されていた。将軍家身辺の茶道一般と雑務を掌った。因みに私の好きな芥川龍之介の養家芥川家は代々徳川家に仕えた御数寄屋坊主の家系であった。

・「ゑせもの」ママ。「似非者」であるが、ならば「えせもの」である。身分の低い者・軽薄者・下らない奴・馬鹿者などの意があるが、ここは「軽薄者」としておく。

・「誮(やさ)しく」ルビは底本のもの。優しく。

・「ひたすらに亭主に賴ければ、何か其最寄に右樣の事に馴し者を賴み、一兩日過て、祇園にて望みを叶へんと」の部分、やや分かり難いので、直接話法を用いた会話体に意訳してみた。

・「撫付の侍」深く額部を剃って、後頭の髪を撫で付け(バック)にして、後ろに垂らした髪型。武士階級では医師・剣術指南役及び浪人に見られたが、若者のかぶき者の中にはしばしば見られたようであるから、この老侍も実はそうした輩――ちょいわる親爺系の者であったか。

・「女臈」奥向きに仕える女性。但し、この語には女郎の意味もあり、「上臈」とせず、「女臈」と記したのは、最後のどんでん返しを意識してのことかも知れない。

・「物詣ふでせると見へしか」底本では「しか」であるが、おかしい。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「見へしが」とある。こちらで補正した。

・「祇園の境内」花街祇園に隣接する京都府京都市東山区祇園町の八坂神社のこと。当時は祇園社と呼んでいた。

・「高龍雲雨の交り」「雲雨の交り」は、楚の懐王が朝は雲となり夕には雨となると称した女に夢の中で出逢って契りを結んだという宋玉「高唐賦」の故事から生じた性交を示す有名な雅語。「高龍」は勃起した男根をも、龍の交尾の様としての「交龍」をもイメージさせもする。現代語訳はすっきりあっさり――あっさりで男は不満足であったのだが――『雲雨の交わり』とした。

・「六尺」当時のの乗用物であった駕籠の中でも、高級な公家・武家が乗るものは「乗物」と呼ばれ、一般の駕籠掻きの駕籠とこれを区別し、これを担ぐ者を「駕籠者」とか「六尺」(「陸尺」とも書く)と呼んだ。因みに、これは「力者」(りきしゃ)の転訛という。

・「白人」一般名詞の「素人」=「白人」を音読みしたものであるが、ここはもっと限定された固有名詞で、京都の祇園や大坂の曾根崎などにいた一見素人風に仕立てた私娼のことをいう。「しろうと」とか「はく」とか呼んだ。今なら、その手のAVビデオで素人を扱ったとキャッチ・コピーするところのものに出演している女優と全く同様である。現代のものもそうだが(見たことがあることをここに告解しておこう)、あの手のもので素人を演じるという事自体、そもそも千両役者の大化け物の雰囲気を醸し出していると言ってよかろう。底本の鈴木氏も、ここではぶっ飛んでいて、『素人の売色という点で遊客の好奇心をひこうとするのは、現代のアルバイトサロンとか、未亡人キャバレーの類と共通性がある』と記される(底本は1970年の発行であることに注意されたい)。

 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 好き者が京都にて欺かれた事

 

 毎年の御茶壺御用の宇治採茶使として上京する数寄屋坊主が、次のような話をしてくれた。

 

 ある年、江戸表から上洛致いた軽薄者、

「京のお女郎衆は如何にもやさしく、東国のそれとは大分違(ちご)うと聴いておるが……傾城・遊女衆と語らう、てえのは誰にだって出来ることでな……ここは一つ、全く素人の京女と、一夜を共に致いて……江戸への土産としたいもんだ……」

なんどと、宿屋の亭主に持ちかけたところ、主(あるじ)答えて、

「少しばかりの費用をかけさえすれば……禁中の官女と契るらんも……これ、無理な話や、あらしまへんで……」

とのこと故、男、狂喜乱舞し、

「……何としても!……これ、官女と枕を並べ、生涯の語り草にも致さん!」

とひたすら亭主に頼んだところ、

「よろしゅうおます。」

と請合(お)うた。亭主曰く、

「わての近しい者のうちに、こうした禁裏の内と通じる仕儀に手慣れた者がおりますよって、頼んでみまひょ。」

と言う。

 さても一両日過ぎて、その手配師が現われ、

「わてが、祇園にてお望み叶えまひょ。」

と、当座必要という世話料を男から受け取って、男の満願の日を告げると帰って行った。

 さても、その日と相成る。

 その日は晝から、その手配師同道の上、祇園へ行き、茶屋に寄ると、酒や食事を注文して待っているうち、暫くして、当茶屋前に乗物にて来駕した者がある。彼らのいる座敷より一間奥の座敷へと通るのを覗(うかご)うて見たところが、年の頃二十歳(はたち)ばかり、匂い立つような艶なる婦人――その粧いも気高げに見ゆる美女――、それに年老いたるお局(つぼね)風の女が附き添い、加えて、年の頃六十ばかりの、髪を撫で付けに致いた侍も附き添うて御座った。見るからに御所の上臈が物詣でにお忍びにて参った、といった風情であったが、ここに手配師、すっと立つと、最後に彼らの座敷の前の廊下を通り抜けんとする、その老いた侍へ向かって近寄り、何やらん、耳打ち致いた。暫く何かやりとりして席に戻ると、やおら、男にこう言った。

「今、御先方に歌学のことにつき、お話し申し上げたき旨、あの老人を通して申し入れましたところ、御先方はお逢い下さるとのことにて御座います。」

 先方の座敷の口にて、男は如何にも歯の浮くような嘘を並べた――これも手配師が抜かりなく用意致いた台本の文句なれば――それでも相応の挨拶を致いたところ、先の老人、

「……そなた、かねてより歌の道を究めておるとのこと、御主人様もお聴き及びになられ、また大層、そなたの歌学の話に興味を覚えられてあらっしゃいますれば、今日は御所よりの御代参として祇園社御参詣の序でにてはあらっしゃいますが、下々の話、お聴きになられるも御慰みになるとのことなれば、極内々にお逢い下さしゃるとのことにてあらっしゃいます。」

と答えて、その老人に導かれて中に入る。

 男の目の前にはさっきの美麗なる婦人が御着座――誠に気高き御有様にて、男は亀か蚯蚓の如、膝行頓首して、緊張でかちかちになったまま、漸くちらちらっと御姿を仰ぎ見るばかりであった。

「……歌を御精進の由、お聞き及び申し上げまして御座る……誠に恐悦至極に存じまする……」

てな、うろ覚えの台詞でご挨拶、と、先の老いた侍が座を退出する。するとすかさず、婦人のお傍に控えた老女が、

「まあまあ、今日はこのようなお忍びの御物詣であらっしゃいますから、……何も堅苦しい挨拶は抜きになさっしゃれ。……そんな礼儀は退(の)いて……さっさ、御酒(ごしゅ)をお召しになられ……どうぞ、ゆるりとうちくつろがれて。……姫さまも鄙(ひな)の話なんどお聴き遊ばされるも、お慰みの一つなればこそ……」

と、男に酒盃を勧めた上、

「……時に、妾(わらわ)は祇園社境内その外の社寺なんどを、今一度、お供の皆々を連れ、暫く見物致いたく存知ますればこそ……」

と言う。姫さまも、

「……よきにはからうがよい……」

との仰せ。

 さても、男とこの上臈の二人きりを残して出て行ってしもうた――。

 ――その後は……姫さまに寄り添い……雲雨の交わりをなして、名残り多くもあったのだが、例の老いた侍と老女なんどが、そのうち帰って来てしまったので、致し方なく別れを惜しんで宿へと立ち返った――。

 その際、かの手引きをした町人に求むるままに厚く謝礼を成して宿に帰ったのだが、老いた侍及び老女へのそれぞれ別個の取引料・茶屋への挨拶他飲食代金雑費諸々・姫様が召し連れていた乗物の駕籠者への手当なんど――流石に、男、駕籠者への手当というは少しばかりおかしいとは思ったものの――あれやこれやひっ包めて算盤を弾いてみたところが、何とまあ、金子五、六十両は言うに及ばず、百両近くかかった計算――。

『……あっという間の契り……何だか如何にも他愛のない望みのため……無駄金をかけちまったわい……』

と少しばっかり後悔した……。

……ところが……

……かけた金の手前、癪な気持ちもあって、仲間内にて、内裏上臈との契りのこと、如何にも面白可笑しゅう吹聴致いておったところが……暫くして、そうしたことに通じた者から、あの上臈と思い込んで御座った女、実はこれ、新手の素人風私娼の巧みなる芝居にて、あのお局や老成した侍みたような者どもも皆、一切合財何もかも、仕立て上げられた役者であったことを知ったのであった――。

 

「……ど素人の立ちんぼと……仮初めの情を交わすに……夥しき金子を使い捨てたとは……は、はっは! 全く以って……可笑しなことに……御座る……な!」

と、その数寄屋坊主、妙に口元を強張らせながら語って御座ったが、何故か印象に残って御座る。

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