耳嚢 巻之二 畜類又恩愛深き事
「耳嚢 巻之二」に「畜類又恩愛深き事」を収載した。
今日は、これより妻の増悪した変形股関節症の診断に付き添い、東京へ行く。
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畜類又恩愛深き事
天明五年の比(ころ)堺町にて猿を多く集め、右猿に或は立役或は女形の藝をいたさせ見物夥しき事あり。見物せし者に聞しに、能(よく)仕込しものにて、常時流行役者の意氣形(いきかた)を呑込、身振り抔をもしろき事の由かたりぬ。しかるに右猿の内子を産し有しが、其子盛長せしに、殊の外虱たかりてうるさがりし故、猿廻しの者湯を浴せ虱など取りて、毛の濡たるを干んため二階の物干に繋ぎ置けるを、鳶の見付て觜を以てつつき殺しぬるを、猿廻しも色々追ちらして介抱をせしが終に空しく成ける故、かの猿廻し親猿を呼て、さて/\汝が多年出精(しゆつせい)して我等が家業にもなりし、此程出産の小猿を愛する有樣、左こそ此度のわかれ悲しくも思ひなん、我等も鳶の來らんとは思ひもよらず、物干に置し無念さよと慰めけるに、彼猿涙に伏沈みし躰(てい)也しが、猿廻しの者其席を放れ兎角する内、彼母猿狂言道具の紐を棟にかけて縊(くびれ)て死しと也。哀れなる恩愛の情と人のかたりぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:あまり連関を感じさせないが、芝居絡みではある。母猿や育てていたメスが、死んで干からびミイラと成った小猿を抱いて放さない行動を映像で見たことがある。印象的な話柄である。しかし縊死は有り得ない。そのように懐疑的に見るならば、この話柄自体が人情と同じ「猿情」を売り物にした猿回しの、人寄せのためのえげつない都市伝説であった可能性が強い気もしないでもない。
・「天明五年」西暦1785年。
・「堺町」現在の日本橋人形町3丁目。岩波版長谷川氏注によれば江戸三座の一つであった中村座の他にも、人形浄瑠璃の芝居小屋や見世物小屋があったとある。
・「立役」歌舞伎芝居で主人公クラスの善人の男役をいう。
・「意氣形」名優・流行役者の、オリジナリティのある演技・仕草を指すものと思われる。
・「盛長」底本では右に『(成長)』と注する。
・「鳶」タカ目タカ科トビ Milvus migrans は、本来は動物の死骸・蛙・蜥蜴・魚類といった小動物を捕食する肉食性であるから、小猿を襲うことは十分考えられる(但し、近年のゴミを漁る習性を見るに雑食性という説もある)。最近でも、人の食べているものを狙って飛来し、子供などが怪我をするというニュースをしばしば耳にする。
・「恩愛」には広義の慈しみ・恵み・情け以外に、親子や夫婦の深い情愛を表わす語でもある。
■やぶちゃん現代語訳
畜生にもまた人と同じい深い愛情のある事
天明五年頃、堺町にて小屋掛けし、沢山の猿を集めて、この猿に歌舞伎の立役或いは女形の芸をさせて大人気を博した見世物があった。見物致いた者に聞いたところでは、大層よく仕込んでおり、当時評判であった流行役者の演じる形(かた)を驚くばかりに呑み込んでいて、その真似る仕草なんどもまことに面白いもので御座ったとのことであった。
ところが、その猿の内に子を産んだ猿がおり、その子猿もよう育っておったところが、その子猿ばかりに何故か殊の外、虱がたかり、頻りに痒がっておったれば、猿回し、子猿に湯を浴びさせ、粗方、虱を取ってやった。びしょ濡れになった小猿を干そうと、小屋の二階にあった物干しに繋ぎ留めておったところ、鳶がこれを見つけ、鋭い嘴で以って突き回した。小猿の悲鳴に気付いた猿回しは、急いで物干しに登ると竿なんどを持って振り回し、ようよう鳶を追い払って小猿を救い上げはしたものの、いろいろと介抱してやったれども、その甲斐もなく、遂に息を引き取ってしもうた。
畜生ながら不憫でもあり、猿回しは母猿を呼んで、猿芝居を仕込む折りと変わらずに、人にするように、
「……さてさて、汝が永年、精を出して芸を磨いて呉れたお蔭によって、儂の稼業も成り立って御座る……このほど生れ出でたる小猿を可愛がって御座った汝の様子を見るにつけ……さぞかし、この度の別れ……悲しく思うておることであろ……我らも、まさか鳶が襲うてくるとは思わなんだ……物干しに繋ぎおきにしたは誠(まっこと)無念じゃ……」
と心を込めて慰めの言葉をかけた。
……それを聞いて、かの母猿は涙を流し、俯いたままで御座った……
……居た堪れなくなった猿回しは、一時、母猿をその場に残して席を離れたが……
……暫く致いて戻ってみると……
……かの母猿は……猿芝居の狂言道具の紐を棟木に掛けて……自ら縊れて、死んで御座ったという――。
「……猿とは言え……何と親子の、深き情で御座ろう……」
とある人が語って御座った。