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2010/04/14

耳嚢 巻之二 其家業に身命を失ひし事

「耳嚢 巻之二」に「其家業に身命を失ひし事」を収載した。

 其家業に身命を失ひし事

 いつ此の事にやありし。本因坊或日暮會に出て碁を圍みけるに、未微若(びじやく)の者に、至て碁力強き有りて、其席の者共壹人も彼に勝者なし。何卒本因坊と手合せん事を歎き、辭するに及ばず相手なしけるに、其手段中々いふべき樣なく、段々打交へみしに兎角本因坊一二目(もく)の負けと思ひぬ。本因坊も色々工夫しけれど、其身も一二目の負と思ひぬる故、暫く茶多葉粉(たばこ)抔呑て雪隱へぞ立にける。跡にて外の碁面など見て彼是評し咄しけるが、本因坊餘り雪隱長き故親しき友雪隠へ覗きしが、一心不亂に考へ居たる樣也しが、頓(やが)て席へ立歸りて碁を打しに、始一二目の負にも見へしが、打上て見れば本因坊一目の勝に成しが、扨々碁の知惠は凄じき小人哉と本因坊も稱歎せしが、よく/\心を勞しけるや、無程本因坊身まかりけるとなり。其職に心を盡し候事、かくも有べき事也。

□やぶちゃん注

○前項連関:岡田次助もこの本因坊もそれぞれのやり方で「其職に心を盡し」た人物として連関。

・「本因坊」『江戸時代、安井家・井上家・林家と並ぶ囲碁の家元四家のうちの一つ』。『織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えた日海(一世本因坊算砂)を開祖とする家系。「本因坊」の名は、算砂が住職を務めた寂光寺の塔頭の一つに由来する。「本因坊」はもとは上方風に「ほんにんぼう」と読んだが、囲碁の普及に伴って「ほんいんぼう」と読まれるようになった』。『以降5人の名人を含め多くの名棋士を輩出し、江戸期を通じて囲碁四家元、将棋方三家の中で絶えず筆頭の地位にあった』(以上はウィキの「本因坊」から引用した)。複数の囲碁のネット記載を総合すると、室町時代には早くも町に碁会所が作られていたとあり、また、上記家元制度は家康の指示によって始まったもので、家元各家代表が年一回将軍家の前で対局する「御城碁」(おしろご)では、対局が数日に及んでも外部との行き来が禁じられていたため、「碁打ちは親の死に目に会えぬ」とまで言われたらしい。

■やぶちゃん現代語訳

 その家業に生命を失った事

 何時頃のことで御座ったか、ある日のこと、本因坊が碁会に出でて碁を囲んで御座ったところ、未だ年若い者乍ら、至って碁力強き者がおり、その席に居合わせた者ども皆、悉く彼に勝てない。この若者、

「――何卒、本因坊様と手合せ、お願い申す――」

と切に懇願致すによって、その場の雰囲気からも断わり切れず、相手致すことと相成った。

 ところが、この若者、その力量、なかなかの巧者にて、だんだんに打ち交わしているうちに、相手の若者も周囲の御仁も――申すも何ながら――本因坊一二目の負けと見受けられた。本因坊もいろいろと工夫致いたけれども、なんと、本因坊自身も、

『これは……一、二目負けておる……』

と思った。

 そこで本因坊は席を外し、暫く茶や煙草なんどを飲んで、やおら雪隠へと立った。

 後に残った人々は、その盤面を囲んで、あれやこれや評して御座ったが、本因坊の帰りが余りに遅いので、親しい者が雪隠を覗いてみると、本因坊、雪隠詰で一心不乱に考え続けている様子で御座った――。

 やがて本因坊が席へ立ち帰り、碁が再開された。

 ――その始め、一、二目の負けと見えて御座ったが――打ち終わってみれば――本因坊の一目、勝ちであった。

 本因坊、

「さてさて! 碁の知、これ、凄まじき若者!」

と称嘆致いた。――

 ――されど――この本因坊、この折りの対局に、よくよく心血を注いでしもうたので御座ろう――程なく、身罷ったという。――

 その職――その本分に心尽したればこそ――斯くなる仕儀、決して不思議なることにては、御座らぬ。

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