或る教え子へ――極私的通信
――私にはあなたの爲に其淋しさを根本から引き拔いて上げる丈の力がないことを悔しく思ひます。然しまた何うかして、もう一度あの若草山であなたが私のための酒を買ひに馳せ下つて行く若々しい姿に見とれてゐたあの時の、あゝいふ生れたままの姿に立ち歸つて生きて見たいといふ心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知つてゐる私は塵に汚れた後の私です。きたなくなつた年數の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でせう。然しせめて私達の青春の手本であつたこの作品を今一度二人して讀み返すことで何かをつらまへてみることが出來ようかとも思ふのです。あなたは眞面目です。そして若い。だから必ず道は開けるものと思つて下さい。――
« 『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月28日(火曜日)掲載 夏目漱石作「心」第九回 | トップページ | 『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月29日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十回 »