『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月26日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七回
(七)
私は不思議に思つた。然し私は先生を硏究する氣で其(その)宅(うち)へ出入りをするのではなかつた。私はたゞ其儘にして打過ぎた。今考へると其時の私の態度は、私の生活のうちで寧ろ尊(たつと)むべきものゝ一つであつた。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際(つきあひ)が出來たのだと思ふ。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向つて、硏究的に働らき掛(かけ)たなら、二人の間を繫ぐ同情の糸は、何の容赦もなく其時ふつりと切れて仕舞つたらう。若い私は全く自分の態度を自覺してゐなかつた。それだから尊いのかも知れないが、もし間違へて裏へ出たとしたら、何んな結果が二人の仲に落ちて來たらう。私は想像してもぞつとする。先生はそれでなくても、冷たい眼(まなこ)で硏究されるのを絶えず恐れてゐたのである。
私は月に二度若くは三度づゝ必ず先生の宅へ行くやうになつた。私の足が段々繁くなつた時のある日、先生は突然私に向つて聞いた。
「あなたは何でさう度々私のやうなものの宅へ遣つて來るのですか」
「何でと云つて、そんな特別な意味はありません。――然し御邪魔なんですか」
「邪魔だとは云ひません」
成程迷惑といふ樣子は、先生の何處にも見えなかつた。私は先生の交際(かうさい)の範圍の極めて狹い事を知つてゐた。先生の元の同級生などで、其頃東京に居るものは殆んど二人(ふたり)か三人(さんにん)しかないといふ事も知つてゐた。先生と國鄕(こくきやう)の學生などには時たま座敷で同座する場合もあつたが、彼等のいづれもは皆(みん)な私程先生に親しみを有つてゐないやうに見受けられた。
「私は淋(さび)しい人間です」と先生が云つた。「だから貴方の來て下さる事を喜こんでゐます。だから何故さう度々(たびだび)來るのかと云つて聞いたのです」
「そりや又何故です」
私が斯う聞き返した時、先生は何とも答へなかつた。たゞ私の顏を見て「あなたは幾歲(いくつ)ですか」と云つた。
此問答(もんたふ)は私に取つて頗る不得要領のものであつたが、私は其時底迄押さずに歸つて仕舞つた。しかも夫から四日と經たないうちに又先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否や笑ひ出した。
「又來ましたね」と云つた。
「えゝ來ました」と云つて自分も笑つた。
私は外の人から斯う云はれたら屹度癪に觸つたらうと思ふ。然し先生に斯う云はれた時は、丸で反對であつた。癪に觸らない許りでなく却(かへつ)て愉快だつた。
「私は淋(さび)しい人間です」と先生は其晩又此間の言葉を繰り返した。「私は淋(さび)しい人間ですが、ことによると貴方も淋(さび)しい人間ぢやないですか、私は淋(さび)しくつても年を取つてゐるから、動かずにゐられるが、若いあなたは左右(さう)は行かないのでせう。動ける丈動きたいのでせう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでせう。‥‥」
「私はちつとも淋(さむ)しくはありません」
「若いうち程淋(さむ)しいものはありません。そんなら何故貴方はさう度々私の宅(うち)へ來るのですか」
此處でも此間の言葉が又先生の口から繰り返された。
「あなたは私に會つても恐らくまだ淋(さび)しい氣が何處かでしてゐるでせう。私にはあなたの爲に其淋(さび)しさを根本(ねもと)から引き拔いて上げる丈の力がないんだから。貴方は外(ほか)の方を向いて今に手を廣げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
先生は斯う云つて淋(さび)しい笑ひ方をした。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「二人の間を繋ぐ同情の糸」とある。先生と「私」は(少なくとも「私」の理解の上では)そのような「同情」によって結索されていたということを押えねばならぬ。ではそのような「同情」とは如何なる「同情」か? 「私」には如何なる同時的共時的心性が先生に働いていたのかを考えることは大切である。そうしてそれは巧妙に隠されている。そもそも生前の「私」の感じていた「同情の糸」は「私」には不分明であったはずである。それが、死後にこのように表現し得るようになったのであるが、それは実は生前の「私」の感じていた先生への「同情の糸」とは変質した「同情の糸」でなくてはならぬ。何故なら、あの驚愕の遺書を読んでいるか読んでいないかという線は画然たるものなのであり、あの遺書の世界を知ることは、「私」を全く異なった人生のステージ(次元)へと誘うものだからである――私はそれが「よりよい人生のステージ」であるかどうかは微妙に留保するものであるが……。
♡「何んな結果が二人の仲に落ちて來たらう。私は想像してもぞつとする」それは「何んな結果」であったのか? 「想像してもぞつとする」結果とは、如何なる結果か?
♡「冷たい眼で硏究される」これによって総ての漱石のこの「心(こゝろ)」に関わる研究書は、筆者漱石によって無効宣言がなされているのである。僕らは多かれ少なかれ「先生」を「冷たい眼で硏究」して来たし、これからも、する、のだ。さすれば僕らは永遠に「心」の闇から抜け出すことは出來ないのかも知れぬ――いや! しかし! 少なくとも一つの救いはある! 『熱い燃える眼で先生を見よ!』だ! そうすれば、自ずと「心」は見えてくる、と漱石は言っているのかも知れない――。
♡「私は淋しい人間です」本作最大のキーワード。この淋しさの意味を嚙みしめよ!
♡『「だから貴方の來て下さる事を喜こんでゐます。だから何故さう度々(たびだび)來るのかと云つて聞いたのです」/「そりや又何故です」』この「私」の反応は頗る共感出来る。先生の謂いはとんでもなく意味不明である。「私は淋しい人間」「だから貴方の來て下さる事を喜こんでゐ」る。「だから何故さう度々來るのかと云つて聞いた」というこの異様なアンビバレントな心性をつらまえねばならぬ! 淋しい人間は慕って人が来ることを素直に喜んで、「何故さう度々來るのか」なんて口が裂けたって訊かないよ!――しかし、こんな「淋しい」先生が僕にもミリキ的♡
♡「先生は斯う云つて淋しい笑ひ方をした」この「淋しい笑ひ方をした」のは何故かを考えよ! 先生は何故「淋しい」のかを!
♡「貴方は外の方を向いて今に手を廣げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」勿論、この先生の予言は外れる。しかし――何故、外れたかを考えてみたことがあるか? 先生が自死したから――これ以外には、ない――。]
« 僕と因縁のサイト 夢幻実験室 エスプレッソ横濱 The Unlimited Dream Laboratory | トップページ | 『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月27日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八回 »