耳嚢 巻之二 事に望みてはいかにも靜に考べき事
「耳嚢 巻之二」に「事に望みてはいかにも靜に考べき事」を収載した。
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事に望みてはいかにも靜に考べき事
安藤霜臺のかたりけるは、紀州にての事の由。少しはゆかりありし人にもありしや。其親朝椽端出て讀經なしけるに、家來の内亂心をなして、右親の後ろに刀をふり上げ立居たり。其子見て南無三寶と思ひしが、まて暫し若(もし)後より抱留(かかへとめ)ば、いづれ振上し刀ゆへ父に疵を付可申と、つか/\と寄りて向ふへ突倒しけるに、父の上を越して向ふへ延ける故に父には無恙、親子して彼亂心者を取押へける。頓智成事と語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:子の母の恥辱を雪ぐ事から子の父の命を救う事で連関。
・「事に望みては」の「望」の横に底本では『(臨)』とある。勿論、それで採る。
・「安藤霜臺」(正徳4(1714)年~寛政4(1792)年)安藤郷右衛門(ごうえもん)惟要(これとし)。作事奉行・田安家家老・勘定奉行・大目付等を歴任している。「霜臺」とは弾正台の中国名で、本来は律令下の監察・警察機構を言ったが、戦国時代以降、多くの武家が武勇を示すその呼称を好み、自ら弾正家を呼称した。惟要は弾正少弼を称していたために、後輩友人である筆者は敬意を込めてこう称しているものと思われる。「耳嚢」お馴染みの情報源の一人。紀州藩出身。
・「事に望みては」底本では「望」の右に『(臨)』と注する。
■やぶちゃん現代語訳
急なる一大事に臨んでは却って心静かに熟考すべき事
安藤霜台殿の語ったところによると、紀州での出来事との由。はっきりとはおしゃられなかったものの、どうも霜台殿所縁(ゆかり)の方の話であったか。
――ある人の親、朝方、いつもの如く縁端にて読経なんどし勤行致いておったところ、家来のある者、俄かに乱心致いて、何も知らぬその親の背後に立ち、ずい! と刀を振り上げ立ちすくんで御座った――。
それに気づいた息子、
『南無三!』
と思い、即座に摑みかからんとしたが――
『……待て!……暫し!……もし、ここで後ろから抱きとめたとしたら……所詮、振り上げた刀なれば……自然、振り下ろされて父に傷をつくるは必定……』
と、平時と変わらぬ落ち着きのままにつかつかとその背後に歩み寄るなり、その乱心者の背を――ぽーん!――と真っ直ぐ前へ突き飛ばした。
すると――乱心者の体(からだ)は、刀を振り上げた姿勢のままに着座致いて御座った父の頭上を美事すうっと通り越し――向ふへ、ぺたん、と延びてしもうた――。
されば父には恙のう――また、親子二人して、かの乱心者を取押えられたという。
「……これぞ正真の機知と申すもの……」
と語って御座った。