『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月27日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八回
(八)
幸にして先生の豫言は實現されずに濟んだ。經驗のない當時の私は、此豫言の中(うち)に含まれてゐる明白な意義さへ了解し得なかつた。私は依然として先生に會ひに行つた。其内いつの間にか先生の食卓で飯を食ふやうになつた。自然の結果奧さんとも口を利かなければならないやうになつた。
普通の人間として私は女に對して冷淡ではなかつた。けれども年の若い私の今迄經過して來た境遇からいつて、私は殆んど交際(かうさい)らしい交際を女に結んだ事がなかつた。それが原因か何うかは疑問だが、私の興味は往來で出合ふ知りもしない女に向つて多く働く丈であつた。先生の奧さんには其前玄關で會つた時、美くしいといふ印象を受けた。それから會ふたんびに同じ印象を受けない事はなかつた。然しそれ以外に私は是と云つてとくに奧さんに就いて語るべき何物も有たないやうな氣がした。
是は奧さんに特色がないと云ふよりも、特色を示す機會が來なかつたのだと解釋する方が正當かも知れない。然し私はいつでも先生に附屬した一部分の樣な心持で奧さんに對してゐた。奧さんも自分の夫の所へ來る書生だからといふ好意で、私を遇してゐたらしい。だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばら/\になつてゐた。それで始めて知り合になつた時の奧さんに就いては、たゞ美くしいといふ外に何の感じも殘つてゐない。
ある時私は先生の宅で酒を飮まされた。其時奧さんが出て來て傍(そば)で酌をして吳れた。先生はいつもより愉快さうに見えた。奧さんに「お前も一つ御上り」と云つて、自分の飮み干した盃(さかづき)を差した。奧さんは「私は‥‥」と辭退しかけた後(あと)、迷惑さうにそれを受取つた。奧さんは綺麗な眉を寄せて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持つて行つた。奧さんと先生の間に下(しも)のやうな會話が始まつた。
「珍らしい事。私に呑めと仰しやつた事は滅多にないのにね」
「御前は嫌ひだからさ。然し稀(たま)には飮むといゝよ。好(い)い心持になるよ」
「些(ちつ)ともならないわ。苦しいぎりで。でも貴夫(あなた)は大變御愉快(ごゆくわい)さうね、少し御酒(ごしゆ)を召上ると」
「時によると大變愉快になる。然し何時でもといふ譯には行かない」
「今夜は如何です」
「今夜は好(い)い心持だね」
「是から每晩少しづゝ召上(めしあが)ると宜ござんすよ」
「左右は行かない」
「召上(めしや)がつて下さいよ。其方が淋(さむ)しくなくつて好(い)いから」
先生の宅は夫婦と下女だけであつた。行(い)くたびに大抵はひそりとしてゐた。高い笑ひ聲などの聞こえ試(ためし)は丸(まる)るでなかつた。或時は宅の中にゐるものは先生と私だけのやうな氣がした。
「子供でもあると好いんですがね」と奧さんは私の方を向いて云つた。私は「左右ですな」と答へた。然し私の心には何の同情も起らなかつた。子供を持つた事のない其時の私は、子供をたゞ蒼蠅(うるさ)いものゝ樣に考へてゐた。
「一人貰つて遣らうか」と先生が云つた。
「貰ツ子ぢや、ねえあなた」と奧さんは又私の方を向いた。
「子供は何時迄經つたつて出來つこないよ」と先生が云つた。
奧さんは默つてゐた。「何故です」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」と云つて高く笑つた。
[♡やぶちゃんの摑み:
♡「幸にして先生の豫言は實現されずに濟んだ」前章注でも言ったが、この謂いは深い。既に先生が亡くなっている事実を知っている読者は、もし、先生が死なずに今も生きていたなら、可能性として予言通り、「私」は先生から遠ざかっているかも知れないことをも示唆するからである。
♡「私は殆んど交際らしい交際を女に結んだ事がなかつた」ここから、この時の「私」が童貞であることが決定的となる。「私」は女を買ったこともないと私は考える。
♡「是は奧さんに特色がないと云ふよりも、特色を示す機會が來なかつたのだと解釋する方が正當かも知れない。然し私はいつでも先生に附屬した一部分の樣な心持で奧さんに對してゐた。奧さんも自分の夫の所へ來る書生だからといふ好意で、私を遇してゐたらしい。だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばら/\になつてゐた。それで始めて知り合になつた時の奧さんに就いては、たゞ美くしいといふ外に何の感じも殘つてゐない。」秦恒平のおぞまし靜=学生結婚説は、この部分の叙述を素直に解析するだけでも誤りであることが分かる、自分の妻とした女性――かつて恋愛感情を抱く以前の存在――に対して、このような叙述をすることは、私には――少なくとも私には――絶対に考えられないことである。本作全体を無心に読んで、この「私」が将来、この「奥さん」と結婚すると考える奴は、僕にはとんでもねぇ、すっとこどっこいとしか思えない。その証拠? 簡単だよ! 過去13回私は「こゝろ」の感想や小論文を書かせて来たが、誰一人として自律的に靜と「私」が結婚するという結論に到った者はなかったと記憶する(秦説を知って――私は十数年程前から授業で紹介はするようになった――それを引用、それもある、ありかも知れないとする数人――それも1,800人近い生徒の内、数人に満たないのである。更にそれ以前にはそういう見解を示す生徒は皆無であったということを断言する)。如何にそのおぞましい考え方が現実に「あり得ない」ものであるかを――高校生の自由恋愛の自由発想なら、もっと確率的に出たって不思議じゃないのに――この数字が如実に示している。
♡「其方が淋しくなくつて好いから」靜は先生との夫婦生活に現在、強い「淋しさ」を感じていることを、ここにはっきりと表明した。この「淋しさ」の『謂い』は尋常陳腐なものではないことに気付くべし! 何故、靜は淋しいのかに!
♡「子供を持つた事のない其時の私は、子供をたゞ蒼蠅いものゝ樣に考へてゐた」一部の研究者は、これを英文小説の回想体小説に見られがちな表現法に過ぎず、ここから筆者の「私」が現在子供を持っているという事実を引き出すのは性急であるとする(若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」等)が、如何か? 素直に読むなら、この記載時に「私」は既に子供の親となっている、と少なくとも私は読むし、そう読むのが自然であると考える。それを阻む要素は何もない、と考える。「私」は結婚している。そして、子供がいるのだ。但し、その結婚相手は決して絶対金輪際、「靜」では、ない!
♡「天罰だからさ」痛恨の一打である。私は若き日、最初に「こゝろ」を読んだ際、このシークエンス、この台詞と高笑いで、例外的に、この愛する先生に対して激しい生理的嫌悪を感じたことを告白しておく。]
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