『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月1日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十二回
(十二)
奧さんは東京の人であつた。それは曾て先生からも奧さん自身からも聞いて知つてゐた。奧さんは「本當いふと合の子なんですよ」と云つた。奧さんの父親はたしか鳥取か何處かの出であるのに、御母さんの方はまだ江戶といつた時分の市ケ谷で生れた女なので、奧さんは冗談半分さう云つたのである。所が先生は全く方角違ひの新潟縣人であつた。だから奧さんがもし先生の書生時代を知つてゐるとすれば、鄕里の關係からでない事は明(あきら)かであつた。然し薄赤い顏をした奧さんはそれより以上の話をしたくない樣だつたので、私の方でも深くは聞かずに置いた。
先生と知合になつてから先生の亡くなる迄に、私は隨分色々の問題で先生の思想や情操に觸れて見たが、結婚當時の狀況に就いては、殆んど何ものも聞き得なかつた。私は時によると、それを善意に解釋しても見た。年輩の先生の事だから、艶(なま)めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと愼(つつし)しんでゐるのだらうと思つた。時によると、又それを惡くも取つた。先生に限らず、奧さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人した爲めに、さういふ艶(つや)つぽい問題になると、正直に自分を開放する丈の勇氣がないのだらうと考へた。尤も何方(どちら)も推測に過ぎなかつた。さうして何方の推測の裏にも、二人の結婚の奧に橫たはる花やかなロマンスの存在を假定してゐた。
私の假定は果して誤らなかつた。けれども私はたゞ戀の半面丈を想像に描(えが)き得たに過ぎなかつた。先生は美くしい戀愛の裏(うち)に、恐ろしい悲劇を持つてゐた。さうして其悲劇の何んなに先生に取つて見慘(みじめ)なものであるかは相手の奧さんに丸で知れてゐなかつた。奧さんは今でもそれを知らずにゐる。先生はそれを奧さんに隱して死んだ。先生は奧さんの幸福を破壞する前に、先づ自分の生命を破壞して仕舞つた。
私は今此悲劇に就いて何事も語らない。其悲劇のために寧ろ生れ出たともいへる二人の戀愛に就いては、先刻云つた通りであつた。二人とも私には殆んど何も話して吳れなかつた。奧さんは愼みのために、先生は又それ以上の深い理由のために。
たゞ一つ私の記憶に殘つてゐる事がある。或時花時分に私は先生と一所に上野へ行つた。さうして其處で美くしい一對の男女を見た。彼等は睦まじさうに寄添つて花の下を步いてゐた。場所が場所なので、花よりも其方(そちら)を向いて眼を峙(そば)だてゝゐる人が澤山あつた。
「新婚の夫婦のやうだね」と先生が云つた。
「仲が好ささうですね」と私が答へた。
先生は苦笑さへしなかつた。二人の男女(なんによ)を視線の外(ほか)に置くやうな方角へ足を向けた。それから私に斯う聞いた。
「君は戀をした事がありますか」
私はないと答へた。
「戀をしたくはありませんか」
私は答へなかつた。
「したくない事はないでせう」
「えゝ」
「君は今あの男と女を見て、冷評(ひやか)しましたね。あの冷評のうちには君が戀を求めながら相手を得られないといふ不快の聲が交つて居ませう」
『そんな風に聞こえましたか」
「聞こえました。戀の滿足を味はつてゐる人はもつと暖かい聲を出すものです。然し‥‥然し君、戀は罪惡ですよ。解つてゐますか」
私は急に驚ろかされた。何とも返事をしなかつた。
[♡やぶちゃんの摑み:先生が最早いないこと、自殺したことが初めて明らかにされると同時に、以下次の回まで、印象的な上野の花見時のシークエンスとなる。そこでは先生の不可解な論理(恋愛観)が突如、炸裂する。先生は「靜」の「黑い長い髮で縛られた時の心持」即ち「恋の滿足」を知っている――が、その「戀」の誘惑とエクスタシー、いや「戀」そのものが既にして「罪惡」なのだと「私」に警告する――そしてその会話に突如として投げ込まれた、唐突にして奇体な「君は私が何故毎月雜司ケ谷の墓地に埋つてゐる友人の墓へ參るのか知つてゐますか」(十三)という、「私」には全く解答不能不可解場違いな質問――フラッシュのように強烈な伏線が縦横に走るこの異様な画面は、一読、忘れ難い。そのホリゾントには……あの桜の花が散りばめられるのだ……。なお、画像で示した通り、この回で冒頭の表題「心」の装飾的背景画が変わっている。上記の通り、この回には最後に飾罫がない。
♡「先生と知合になつてから先生の亡くなる迄」私の年譜的研究では、それは実にたった4年間でしかなかったのである(当時の大学就学期間は3年間であった)。
♡「奧さんは今でもそれを知らずにゐる。先生はそれを奧さんに隱して死んだ」これは飽くまで現在形である。靜(以下、特別な場合を除き、「靜」という括弧書きは省略する)は現在も知らないのである。そうして、靜は今後も知らずに生き、そして死ぬ、と私は確信している。「私」が先生の遺書の最後の禁則を破って先生の過去の事実を靜に告白することは、私には100%あり得ないこととして認識されている。これは絶対に譲れぬ私の覚悟を持った『節』である――そうでないことが立証できるなら私は永遠にこの作品を捨てる覚悟があるということである――。況や、――この手記を以って世間に公表、それによって同時に靜にも告知がなされることになる――なんどという解釈は、秦恒平の靜と「私」を結婚させるというのと同じく(これは性質が似ているだけでなく、その意識構造に於いても同一の腐った根っこを持っている)、とんでもなくえげつなく気持ちの悪い考え方である。それは「心」の心性総てを否定することに他ならない。最近流行りの、それこそ我儘やりたい放題の「自由と獨立と己れとに充ちた現代に生れた」テクスト論に遊び過ぎた軽薄者の戯言(ざれごと)である。――そして残念なことに、それが今の「こゝろ」研究を――触れなば爛れんおぞましき瘴気に満たしている――と言えるのである。
♡「先生は奧さんの幸福を破壞する前に、先づ自分の生命を破壞して仕舞つた」先生の自死が初めてここに明示される。文言に着目している研究者が一人もいないが、ここにはある恐るべき内容が示されていることに気づかねばならないのではないか? 「前に」と「先づ」である。お判りであろう、学生は「先生」の死後に於いて――「奥さんの幸福」もまた――徐ろに緩やかに――「破壞」されて「仕舞つた」或いはされつつある、という学生の筆記時制に於ける学生から見た客観的事実が引き出されるようになっているのである。
♡「或時花時分に私は先生と一所に上野へ行つた」桜の満開(若しくは八分咲きの頃)の上野の映像を想起せよ。ここに私は後年の梶井基次郎の作品から『一體どんな樹の花でも、所謂眞つ盛りといふ狀態に達すると、あたりの空氣のなかへ一種神祕な雰圍氣を撒き散らすものだ。それは、よく𢌞つた獨樂が完全な靜止に澄むやうに、また、音樂の上手な演奏がきまつてなにかの幻覺を伴ふやうに、灼熱した生殖の幻覺させる後光のやうなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。』(梶井基次郎「櫻の樹の下には」より)を私の注の代わりとして、引用しておきたい。]
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