父へ――極私的通信
万葉集の、
あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
この歌についての、貴方の考古学の師であった酒詰仲男先生の、遠い日の旅の途次の言葉は――僕も大学の時に、貴方に聞かされて、今も忘れ得ぬ言葉です。
それをここにも書き記したく思います。
「藪野君――この歌を読む時は、奈良の平城京を建設するために集められた民を思い描きなさい――『咲く花』とは油を採るための菜種の花であって、昼夜を問わずその民たちが菜種油の灯火の採取のために働かされた情景でもあるのですよ――」
僕は思い出す――このことを話した先輩の国文の女子大生は鼻でせせら笑い、
「あり得ないわ。だって当時の歌語で『花』は梅ですもの。」
と言った。
この教条主義が人を盲目にするのだ――酒詰先生も父もそして僕も、そんなことは百も承知だ――酒詰先生は歌の歌学的解釈を言ったのでは毛頭ない――リアルな当時の、その映像から導かれる「現実の真」を先生は語られたのだ――と僕は内心思いながら、同時に――『この女を愛することは出来ないな』と思ったものだった――
父よ、今日は貴方のメールから、そんな30数年前の昔のことを、思い出しました。
ありがとう。