北海道の一少年夢を盗みて右大臣に登る事
富良野の純が更正し、志木那島のDr,コトーになったと歓喜していたら、今度は「チックタック計画」の日本人時間航行士となって吉備真備になりおった――この皮肉は――しかし、概ね私の好きな吉岡君自身の罪ではない――そもそも一人の少年純の成長を「北の国から」というドラマとして擬似的に体験することによって、
純=俳優吉岡秀隆
という図式に加え、
純=俳優吉岡秀隆=擬似的実子
としての意識を付与させてしまい、視聴者自身が擬似的親と化し、不肖の息子を不肖のままに不良の大人にするか、内心失望するしかない愚息とするしかなかった実際の大多数の親が、自己の願望通りに成長した「純」だけを求めようとする――その欲求を知っているシナリオ・ライターやプロデューサーは、
純=俳優吉岡秀隆=擬似的実子=真心を持った医師としてし成長した「純」
という等式を意識的に設定し、等身大の俳優吉岡秀隆にそれを求めるというフィード・バックを行う。その構造には誰もが皆、気づいている――気づいていながら、その当然の予定調和によって得られる快感を我々は拒否出来ない。それほどに「北の国から」という擬似家族効果は絶大であったのだ。その連鎖は遂に、純を「チックタック計画」の日本人時間航行士とし、あのアリゾナ砂漠の地下深くに建設されたタイム・トンネルを抜けさせて、
純=俳優吉岡秀隆=擬似的実子=真心を持った医師としてし成長した「純」=誠心を以って民と国家を救った吉備真備としての「純」
という不可能を可能とした。現代の脆弱な少年が上古の宰相となる典型的な貴種流離譚がここに出来上がったのである。
俳優としての吉岡君が僕は好きだ。
擬似的兄としての僕側の意識も払拭は出来ない。
しかし、俳優としての彼にとって、僕は今の彼の仕事の状況を幾分かは不幸と思う。彼自身がそれを一番痛感しているであろう(その点、「蛍」の方は比較的早くそれを脱却し得た。が、それが俳優中嶋朋子が蛍としての印象で捉えられることを嫌がっている――素のインタビューでは実際にそうであったと感じられる印象が強い――というゴシップとして広がった分、彼女中嶋朋子の魅力は――私には――なくなったと言ってよい。これは「Dr,コトー診療所」の柴崎コウの与那国ロケ忌避のゴシップと全く同様である。あの一件によって僕は後埋めのキャラクターであった蒼井優が大好きになったのである。そこはこうした俳優たちの噂の宿命であり、恐さでもある。しかし、彼女(中嶋朋子)は俳優としては抜群にうまい部類に属す。向後の活躍を期待する)。
純は不純にならねばならぬ――
キビノマキビはやめてミチニマキビシでなくてはならぬ――
視聴者やプロデューサーの利己的な夢を買ってはならぬ――
今、富良野塾が解散するというのも、一つの啓示でもあるのかも知れぬ――
吉岡君よ、昨夜の夢に立ち戻って――
与那国島の美しい沿岸舗装道路ではなく、原生林に続く富良野の雪積もった山道を行く夢を――
もう一度敢えて選んでみるのも、君の俳優という人生行路の「健康」には必要なことであるように思われる――。