耳嚢 巻之二 茶事物語の事
「耳嚢 巻之二」に「茶事物語の事」を収載した。
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茶事物語の事
數奇(すき)の者の作語ならんが、或日茶事の宗匠路次(ろし)を淸め、獨り茶をたてゝ樂しみける折から、表に非人躰(てい)の者暫く立て其樣子を伺ひ、庭のやうなどを稱しけるにぞ、彼宗匠立出で、汝は茶を好けるやと言ければ、我等幼少より茶を好翫(このみもてあそび)しが、今の身の上にも御身の茶事に染み樂み給ふを浦山敷(うらやましく)、思はず立留りぬと答へければ、不便にも又風雅に覺へて、ふるき茶碗に茶一服を與へければ、辱由(かたじけなきよし)をこたへ、恐れある申事なれど、來る幾日の朝そこくの並木松何本目のもとへ來り給へ、我等も茶を差上んと言て去りぬ。いか成事や不審(いぶかし)とは思ひしが、其朝かの松の元へ至りしに、其あたり塵を奇麗に拂て古き茶釜をかけ、松の古枝たるやうのものを其下に焚て、新ら敷(しき)淸水燒の茶碗茶入茶杓も、いづれも下料(げれう)にて出來る新しき物を並べ置、彼非人は其あたりに見へ侍らず。實も風雅なる心と、茶を獨樂て歸りけるが、いかなる者の身の果なるや、誮(やさ)しき事と右宗匠の語りけるとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:連関を感じさせない。岩波版長谷川氏注には明和7(1770)年京都で版行された永井堂亀友の浮世草子「風流茶人気質」(ふうりゅうちゃじんかたぎ)五の一の類話とし、これを元に作られた話かもしれない、とされる。早稲田大学の電子画像で当該書が読めるが、数寄の方はお読みあれ。……私は、尻をからげて退散致しまする。挿絵は如何にもな感じです……。
・「路次」は一般には路地や路上の意であるが、ここは茶室に至る庭(そこはまた戸外にも続いている)のことを言っているように思われる。岩波版長谷川氏注も『路地。茶室付属の庭園』とされている。
・「數奇」風流・風雅に心を寄せること。特に茶の湯や生け花などの風流・風雅の道に限定して用いることが多い。「好き」を語源とし、「数寄」「数奇」は当て字である。
・「非人躰の者」とあるが、かつて茶の嗜みを持っていた点、間違いなく身分刑として「非人手下(てか)」によって、非人の身分に落とされた者であると考えられる。以下、ウィキの「刑罰の一覧」に所載する「非人手下」から引用する。『被刑者を非人という身分に落とす刑。(1)姉妹伯母姪と密通した者、(2)男女心中(相対死)で、女が生き残った時はその女、また両人存命の場合は両人とも、(3)主人と下女の心中で、主人が生き残った場合の主人、(4)三笠附句拾い(博奕の一種)をした者、(5)取退無尽(とりのきむじん)札売の者、(6)15歳以下の無宿(子供)で小盗をした者などが科せられた。この非人という身分は、江戸時代、病気・困窮などにより年貢未納となった者が村の人別帳を離れて都市部に流入・流浪することにより発生したものと(野非人)、幕藩権力がこれを取り締まるために一定の区域に居住させ、野非人の排除や下級警察役等を担わせたもの(抱非人)に大別される。地域によってその役や他の賤民身分との関係には違いがあるが、特に江戸においては非常に賤しい身分とされ、穢多頭弾左衛門の支配をうけ、病死した牛馬の処理や、死刑執行の際の警護役を担わされた。市中引き回しの際に刺股(さすまた)や袖絡(そでがらみ)といった武器を持って囚人の周りを固めるのが彼ら非人の役割であった。当時の斬首刑を描いた図には、非人が斬首刑を受ける囚人を押さえつけ、首切り役の同心が腕まくりをして刀を振りかぶっているような図が見える』。『なお、従来の研究では、非人は「士農工商えたひにん」の最下位に位置づけられることから、非常に賤しい存在とされ、非人手下という刑の酷さが強調されてきたが、非人と平人とは人別帳の区分の違いであること、非人は平人に復することができたことなどから、極刑を軽減するためにとられた措置であるという見方もある』と記す。「取退無尽」の「無尽」は講(こう:町人の私的な互助組織。)を作っている者達が月々決められた金額を積み立てておき、その講中で時々に金が入用な者に対して、競り落とす形でその金を貸与するシステムで、「取退無尽」というのは当たり籤を引いたものが順々に抜けていく無尽を言う。割り戻し率が高いために賭博性が問題とされ、富籤同様、幕府から禁じられていた。この男の罪は何だったのか。話柄としては、(2)か(3)か(4)辺りで想像するのがイメージを壊さずに済みそうである。(6)は茶道への親しみと言う点では年齢的に微妙に無理がある気がしないでもないが、わざわざ「幼少より」と述べている点で、可能性がないとは言えぬ。一種の貴種流離譚であるならば、それもあり。
・「辱由(かたじけなきよし)」は底本のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
茶道物語の事
数寄(すき)の者の作り語(ごと)かも知れぬ話で御座る。
ある日、茶事の宗匠が茶室に至る小さなる路次(ろし)の庭をも綺麗に掃き清め、独り茶を点(た)てて楽しんで御座った。
すると、路次の外(と)に、一人の非人体(てい)の者が佇んでおり、こちらの様子を如何にも優しげなる面持ちにて伺っておるのと、眼が合(お)うた。
男は、
「……結構なる御庭にて御座る……」
と非人にも似ず、庭の様なんどを褒めたれば、宗匠、茶室より立ち出でて、
「……汝(なれ)は、茶を好まれるか……」
と声をかけた。男は、
「……はい……我ら、幼少の折りから茶道を好み親しんで御座いましたれど……今はかくなる身の上……なれども御身が茶事に馴染み且つ楽しんでおられる様、殊の外、うらやましゅう……思わず路次に佇んで御座居ました……」
と応えた。
宗匠、この男を不憫にも、また、風雅なるお人ならんとも思い、古寂びた茶碗にて茶を一服点てて与えたところ、
「忝(かたじけな)くも有難き幸せ……」
と礼を申して、加えて、
「……畏れ多いことにては御座居まするが……来(きた)る何日の朝方、何処其処の並木通りの、何本目の松の下(もと)へ、御来駕あれかし。我らも一服、茶を差し上げとう存知まする……」
と言い添えて去って行った。――
宗匠、
『……非人の身の上にて、一服茶を献ずるとは……如何にして茶事を致さんとするものか?……』
と如何にも不審に思っては御座った。――
さてもその約束の日の朝、予(か)ねての場所を訪れてみると……
――その松の辺り、数畳程が、すっかり塵が払われて、松が枝(え)の下、あたかも侘びたる茶室の如、松の根と苔の具合も、路次の庭の如……
――古侘びた茶釜をかけ、松の古枝のようなるものをその下に焚きて、湯は丁度、良き頃合いと沸いて御座る……
――新しき清水の茶碗・茶入れ・茶杓など、どれも安き値に求め得るところ乍ら、真新しくも、されど、あざとさのない愛すべき品々なんどが並べ置いて……
――されど、かの非人の姿、その辺りには見えませなんだ……。
宗匠、心に思うらく、
『……げにも風雅な心――』
と、そこで独り茶を点てて楽しみて帰った、という。――
「……さても……如何なる者の、身の果てじゃった者か……哀感風情に満ちた出来事で御座った……」
と、この宗匠が語ったということで御座る。
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