夕顔へ――極私的通信
知人「夕顔」からのメール――
「こゝろ」でよそよそしい頭文字を意識的に「K」に使っているのはわかったんだけど、どの人物も私にはよそよそしく思えるの。「静」以外みんな…なんで静は「静」じゃなきゃいけなかったんだろう…
*
『――夕顔よ――分かり易く一言で君に答えることを、一つ、試みてみようじゃないか。――これは本作の核心に関わる問題なんだが――それは……』
「こゝろ」は、「靜」を除く総て――先生・K・奥さん(靜の母:これは説明の必要がない。夫が日清戦争で戦死したことに起因するものである。Kの自殺現場に於いて彼女が平然と振舞えたことは、例えば乃木の妻が長男の戦死の後、次男の戦死を平然と受け止めたこととも共通する。「平然としている」こと自体がPTSDである。フラッシュ・バックばかりがPTSDなのではない)・学生の「私」そして筆者夏目漱石――が大きなPTSD(心的外傷後ストレス障害)を受けているために他者と乖離しているからである。
■先生のPTSD:
父母の急逝を契機(この喪失の悲哀という心的外傷に彼の精神の変調契機がある)として叔父の背任・故郷喪失により精神に変調をきたす(当該章の[♡やぶちゃんの摑み]で詳述する予定であるが、その時点での先生は確実に最低でもノイローゼ――更には鬱病、筆者漱石のことを考えると統合失調症さえも考え得る――を発症していると僕は踏んでいる)→
奥さんへの猜疑や御嬢さんへの恋愛感情の内的葛藤により精神的な疲弊が増大→
信頼し『最も愛している』Kを、御嬢さんと自分との恋愛関係に介在させてしまうことことにより漸次増悪→
Kの自殺による心的外傷
が決定打となり、持続的で重篤な他者との乖離が始まる。
■KのPTSD:
父の勘当により生家・郷里・母から追放され故郷喪失者となることを契機として精神に変調をきたす(心的外傷としての病的悲哀である)→
現実的な急迫を払拭するために宗教・哲学・神秘主義等の精神世界へと逃避的に貫入することで順調に現実と乖離→
唯一信頼し『愛している』先生に促されて現実に帰還して御嬢さんへの愛に目覚めるが、自己の肉体を超絶した精神世界の至高を譲歩出来ず、加えて自分が『愛している』先生が御嬢さんをも愛していることに思い到らなかった不甲斐なさに今更ながら気づき、
ために絶対的葛藤状況に陥ってあらゆる他者との乖離が決定的となり自死する。
■学生の「私」のPTSD:
自己の性愛感情について他者と違うのではないかという漠然としたある違和感が「私」の心底には確実に存在する(「私」の同性愛感情が真正のものであるかそうでないかは判然としないが、私には本作は強い同性愛傾向によって貫かれていると考える。誤ってもらっては困るが同性愛感情及び同性愛を私は病的なものだとは考えていない。私はキリスト者ではないし、旧態然とした「異常心理学」――これは最早学術的にも死語である――の信望者でもない。但し、私自身は残念乍らそのような少なくとも「顕在的」な強い傾向は持ち合わせてはいないように思われる)→
その出逢いが超論理的運命的に定められた先生と出逢うことによって「私」の内なる同性愛感情が起動する(その同性愛感情にしかし「私」は自覚的でない)→
同性である『愛する』先生への急激な傾斜があるものの、異性である奥さん「靜」の存在が「私」の意識の中である種のバランスをとって、その時点では性愛成長を正常に促している(だからそこでは乖離的ではない)→
『――夕顔よ。もし先生の生前の「私」に「よそよそしさ」が見えるとすれば、それは純粋に青年のはにかみからである。貴女も私も19や20の頃はそんなものだったじゃあないかね? ひとなつこい奴は気をつけたがいい……』
そに父の病気の悪化・危篤、それに纏わる家督相続・遺産の問題が絡み始めて精神的に焦燥感が高まる(但し、この時点では未だ心的外傷は受けていない)→
父として愛しているに過ぎない危篤の父の放棄(決定的な現実との対決の象徴)VS真に『愛する』先生との決別(西欧的キリスト教世界では罪悪とされる顕在的同性愛感情の自律的発露表明と公的認知要求がここにはあると僕は思う)→
『――夕顔よ――そして先生の自殺――これを激しい心的外傷の受傷とい言わずして何と言う? それだけでも「私」が他者から乖離し、よそよそしくなるに十分ではないか?……』
いや、そればかりではない――その後「私」は、先生の遺書の秘密を知り、更にその秘密を何も知らない「靜」が生きている以上、自分限りの秘密としなければならないという禁則を、忠実に守り続けねばならないという強烈な禁忌的現実に生きねばならないのだ! この禁則現実そのものが強烈な現実の地獄――心的外傷なのだ。
なればこそ――
そうしたKそして先生から受け継いだ聖痕(スティグマ)を刻印された学生の「私」――
今現在、追想しながら「心」という手記を書いている「私」――
そうした「私」は当然、「よそよそしく」他者と乖離せざるを得ない心性にあるのである――。
そうして付け加えるならば、イギリス留学中に統合失調症に罹患した当の作者夏目漱石自身が、その後も後遺症として激しい関係妄想や一種の解離性認識障害を起こしていたことは、その後の漱石の幾つかの異様な行動事実や言説からも明白である(統合失調症罹患は微妙に留保する説もあることはある)。――そう、書いてる本人からして「よそよそしい」のだ――
『――夕顔よ――「漱石の幾つかの異様な行動事実や言説」というのは……いつか直に説明して上げよう。少し話が長くなるからね――』
そんな中で――靜だけは――確かに魅力的で、「よそよそしくない」ねぇ……漱石は女を描くのが下手だが、この靜、如何にも魅力的だ。(十七)で紅茶に入れる砂糖の数を訊かれた時の視線なんぞを食らった日にゃ……僕だってドキドキズキズキしちゃうよ……彼女は無原罪なのか……彼女にも責任はあるのにねぇ……
『なんで静は「静」じゃなきゃいけなかったんだろう…』
……そうだったね……君は僕の「こゝろ」の授業を受けていないのだね……これは確信犯だ……(九)の[♡やぶちゃんの摑み]で詳述する予定だが――乃木大将だ――彼の、一緒に自死した奥さんの名前なのだよ――