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2010/05/18

耳嚢 巻之二 國によりて其風俗かわる事

「耳嚢 巻之二」に「國によりて其風俗かわる事」を収載した。

 國によりて其風俗かわる事

 佐州に有し時、其土俗物さはがしくしどなき者を、むじな付のやう也といふ。いかなる事と尋しに東都其外にて狐付といへる事のよし。諺にいふ三郡に狐なしと傳へし通(とほり)、佐渡國には狐なきよし。しかし他國にてむじな狸の人に付し事を聞(きか)ざるが、佐州にてはむじなも人に付しやと尋しに、間々むじなの人に付事ありとかたりぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:貧乏神を祭祠する奇矯から、狢や狸が人に憑く奇矯へ連関。最初に狸憑きの総論としてやや長いがウィキの「狸憑き」を引用しておく(記号の一部を変更した)。タヌキが人に憑依するという民間伝承は『四国や佐渡島の他、青森県や岩手県などに伝えられている』。『タヌキに憑かれた際の症状は様々だが、よく言われるのは大食になるというもので』、『食べ物の栄養分がタヌキに奪われるのか、腹が膨れるのとは逆に本人は衰弱し、やがて命を落とす』とか、『原因不明の病気や、憂鬱状態や饒舌状態になったり、わけもなく暴力をふるったり性行動に走ったり、腐敗した物を食べるといった異常行動をとるようになるともいう』[やぶちゃん注:これらは毒キノコの中毒症状に似ているように思われる。]。『狸憑きの原因は、多くはタヌキが人間にいたずらをされたり、巣を荒らされたりしたためという。これは、山伏などの行者の祈祷よってタヌキが退治され、憑きものから逃れた者が後から語るためにわかることである』。『憑き物に特有の憑きもの筋(憑き物の憑いている家系)と呼ばれるものは狸憑きには少ないが、香川県高松市にはオヨツさん、岡山県にはトマコ狸という、家に憑くタヌキの霊もあ』り、『香川県では人が老いたタヌキに食べ物を与えて飼いならし、憎い相手に憑けて害を成すということもあるという』[やぶちゃん注:さすが四国、クダギツネ同様、いざなぎ流並みに呪詛がタヌキで行われる!]。『四国にはタヌキの祠が多いが、これはタヌキが神に昇格すると人に憑くことができなくなるため、タヌキを神として祀っているものとされる』。『幕末の書物「視聴草」には、死者にタヌキが憑いたとする話がある。文政11年(1828年)3月、やちという老婆が江戸の屋敷に仕えていたが、あるとき突然気絶した。数時間後に回復した後、四肢の自由は失われていたが、食欲が10倍ほどに増し、陽気に歌うようになった。不安がった屋敷の主が医者に見せると、やちの体には脈がなく、医者は奇病と言うしかなかった。やがて、やちの体は痩せ細り、体に穴があき、その中から毛の生えた何かが見えるようになった。秋が過ぎた頃、冬物を着せようと着物を脱がせると、着物には獣らしき体毛がおびただしく付着していた。枕元にはタヌキの姿が現れるようになり、ある夜からは枕元に柿や餅が山積みに置かれるようになった。やちが言うには、来客が持参した贈り物とのことだった。読み書きもできないはずのやちが、不自由のはずの手で和歌を紙にしたためることもあった。やちの食欲は次第に増し、毎食ごとに7膳から9膳もの飯、毎食後に団子数本ときんつば数十個を平らげた。やがて112日、やちの部屋に阿弥陀三尊の姿が現れ、やちを連れて行く姿が見えた。やちの体からは老いたタヌキが抜け出して去って行き、残されたやちの体は亡骸と化していた。やちの世話をしていた小女の夢にタヌキが現れ、世話になった礼を言い、小女が目覚めると礼の品として金杯が置かれていたという』。以下、明治きの浅草寺開拓によって住処を奪われた狸の憑依例や1979年に熊本県芦北郡芦北町で発生した狸憑きの俗信が原因の殺人事件の興味深い記載が続くが、本話柄の注としては大きく脱線するため省略する。しかし、面白い。リンク元でお読みあれ。

・「佐州に有し時」根岸の佐渡奉行在任は天明4(1784)年3月から天明7(1787)年7月迄の約3年強。この過去や完了の助動詞の用法は、鈴木棠三氏の「卷之二」の下限は天明6(1786)年までとする(確定的日付の分かる記事でという条件付ではある)説をやや疑いたくなってくる。佐渡在任中の記載ならば、このようには書かぬ。これは明らかに天明7(1787)年7月以降、勘定奉行に抜擢されて江戸に返り咲いてからの記載である。

・「しどなき」しっかりしていない、分別がないの意。

・「むじな付」「むじな」は一般に狭義には食肉目イタチ科アナグマ亜科アナグマ Meles meles を指すが、実際には本邦では古くから食肉目イヌ科タヌキ Nyctereutes procyonoides と混同して呼称していたし、佐渡ヶ島にはアナグマは生息していないと思われるため(少なくとも現在は棲息しない)、ここはタヌキと同定してよいであろう。因みに、佐渡ではタヌキはムジナとかトンチボとかとも呼称する。よく知られた二ッ岩の団三郎狸を始めとする佐渡のタヌキ憑き及び妖獣としてのタヌキについては、例えば佐渡在住のlllo氏の『佐渡ヶ島がっちゃへご「ガシマ」: 佐渡の伝説』が素晴らしい。読み易いくだけた表現を楽しみ写真なども見つつ、リンクをクリックしていると、あっと言う間に時間が経つ。それでいて生硬な学術的解説なんどより生き生きとした生(なま)の佐渡ヶ島が浮かび上がってくる。必見である。氏の記載に依れば、佐渡には元来、タヌキもキツネも棲息しなかったが、慶長6(1601)年に佐渡奉行となった大久保石見守が金山で使用する鞴(ふいご)の革素材にするためタヌキを移入したのが始まりとある。因みに、私は実は熱烈な佐渡ヶ島ファンである。

・「三郡に狐なし」佐渡国は雑太郡(さわたぐん)・羽茂郡(はもちぐん)・加茂郡(かもぐん)の三郡に分かれていた(現在は全島で佐渡市)。佐渡にキツネがいないことについては、術比べをして負けた方が島を出てゆくとし、キツネが負けたからと多くの記載に見られるのだが、その術比べの内容が記されておらず面白くない。lllo氏の『佐渡ヶ島がっちゃへご「ガシマ」: 佐渡の伝説』『佐渡ヶ島がっちゃへご「ガシマ」: 佐渡にキツネがいないワケ』からその伝承のlllo氏の名訳を引用しよう。佐渡には伝説のタヌキ「二ツ岩の団三郎」という妖狸の大親分がいたそうな……

   《引用開始》

キツネ「佐渡へ渡ってみたいのだけど、どう?」

団三郎「うん。でもキツネの姿では歓迎されないから、なにかに化けてもらわないと…」

キツネ「化けることなら自信あるよ」

団三郎「じゃあ、化けくらべしてみる?」

キツネ「いいよ」

団三郎「ぼくは大名行列に化けるから、きみは好きなものに化けて駕籠(かご)に乗ってきて」

キツネ「オッケー!」

 翌日、ゴージャスマダムに化けたキツネが大名行列に近づいて行ったところ「ぶれい者!」とお供の侍に斬られてしまった。

キツネ「えー!これ本物じゃーん!!」

 団三郎は、この日に大名行列があることを知っていて、キツネにいっぱいくわせたのだそうな。

団三郎「おれの目の黒いうちは、佐渡へキツネなんぞ入れるもんか」

   《引用終了》

・「しかし他國にてむじな狸の人に付し事を聞ざる」冒頭注で見たように、四国・九州及び青森県・岩手県などの一部にも見られる。

■やぶちゃん現代語訳

 国によってその風俗に変わりがある事

  佐渡奉行として佐渡ヶ島に赴任して御座った折りのこと、かの地にては、騒がしく落ち着きのない者のことを『狢憑(むじなつ)きのようだ』と言う。何のことかと尋ねたところ、江戸その他で『狐憑き』と言うところのものと同じいものの由。

 俗諺(ぞくげん)に『三郡に狐なし』と伝える通り、佐渡の国には狐がおらぬ。しかし、他国にて狢や狸が人に憑いたという話を聞かぬ故、

「……佐渡にては……その……狢も、人に憑くのか?」

と訊ねたところ、

「へえ、時々、狢め、人に憑くこと、これ、御座いまする。」

と当たり前のように語って御座ったよ。

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