『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月17日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第二十八回
(二十八)
「君のうちに財產があるなら、今のうちに能く始末をつけて貰つて置かないと不可(いけな)いと思ふがね、餘計な御世話だけれども。君の御父さんが達者なうちに、貰うものはちやんと貰つて置くやうにしたら何うですか。萬一の事があつたあとで、一番面倒の起るのは財產の問題だから」
「えゝ」
私は先生の言葉に大した注意を拂はなかつた。私の家庭でそんな心配をしてゐるものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じてゐた。其上先生のいふ事の、先生として、あまりに實際的なのに私は少し驚ろかされた。然し其處は年長者に對する平生の敬意が私を無口にした。
「あなたの御父さんが亡くなられるのを、今から豫想して掛るやうな言葉遣をするのが氣に觸つたら許して吳れ玉へ。然し人間は死ぬものだからね。何んなに達者なものでも、何時死ぬか分らないものだからね」
先生の口氣は珍らしく苦々しかつた。
「そんな事をちつとも氣に掛けちやゐません」と私は辯解した。
「君の兄妹(きやうだい)は何人でしたかね」と先生が聞いた。
先生は其上に私の家族の人數を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の樣子を問ひなどした。さうして最後に斯ういつた。
「みんな善(い)い人ですか」
「別に惡い人間といふ程のものもゐないやうです。大抵田舍者ですから」
「田舍者は何故惡くないんですか」
私は此追窮に苦しんだ。然し先生は私に返事を考へさせる餘裕さへ與へなかつた。
「田舍者は都會のものより却つて惡い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、是といつて、惡い人間はゐないやうだと云ひましたね。然し惡い人間といふ一種の人間が世の中にあると君は思つてゐるんですか。そんな鑄型(いかた)に入れたやうな惡人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざといふ間際(まきは)に、急に惡人に變るんだから恐ろしいのです。だから油斷が出來ないんです」
先生のいふ事は、此處で切れる樣子もなかつた。私は又此處で何か云はうとした。すると後(うしろ)の方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後(うしろ)を振り返つた。
緣臺の橫から後部へ掛けて植ゑ付けてある杉苗の傍(そば)に、熊笹が三坪程地を隱すやうに茂つて生えてゐた。犬はその顏と脊を熊笹の上に現はして、盛んに吠え立てた。そこへ十(とを)位(くらゐ)の小供が馳けて來て犬を叱り附けた。小供は徽章(きしやう)の着いた黑い帽子を被つたまゝ先生の前へ廻つて禮をした。
「叔父さん、這入つて來る時、家に誰もゐなかつたかい」と聞いた。
「誰もゐなかつたよ」
「姉さんやおつかさんが勝手の方に居たのに」
「さうか、居たのかい」
「あゝ。叔父さん、今日(こんち)はつて、斷つて這入つて來ると好かつたのに」
先生は苦笑した。懷中から蟇口を出して、五錢の白銅(はくどう)を小供の手に握らせた。
「おつかさんに左右云つとくれ。少し此處で休まして下さいつて」
小供は怜悧(りかう)さうな眼に笑ひを漲(みなぎ)らして、首肯(うなづ)いて見せた。
「今斥候(せつこう)長になつてる所なんだよ」
小供は斯う斷つて、躑躅(つゞじ)の間を下の方へ駈け下りて行つた。尤も尻尾を高く卷いて小供の後を追ひ掛けた。しばらくすると同じ位の年格好の小供(ことも)が二三人、是も斥候長の下りて行つた方へ駈けていつた。
[♡やぶちゃんの摑み:本章から(三十)まで、先生のトラウマである財産問題が語られる重要なシーンである。若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」には「達者なうちに、貰うものはちや んと」の注として、この頃の旧民法規定が詳細に解説されている。詳細はそちらを披見されたいが、要は戸主財産は長男の単独相続を原則規定としながら、実際には兄弟姉妹への財産配分分与が行われたとある。『その場合、相続人である長男には二分の一、残りの二分の一をその長男も含めた兄弟姉妹で均等分割する(姉妹の放棄はありうる)』とある。
♡「田舍者は何故惡くないんですか」ここからが朗読時の摑みである。次の台詞は「私」の呼吸を想定しながら、その息をも食うように、陰鬱なる昂奮と共に語り出すのである。
♡「三坪」「こゝろ」では数字にもルビがあり、「みつぼ」と読んでいる。
♡「田舍者は都會のものより却つて惡い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、是といつて、惡い人間はゐないやうだと云ひましたね。然し惡い人間といふ一種の人間が世の中にあると君は思つてゐるんですか。そんな鑄型に入れたやうな惡人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざといふ間際に、急に惡人に變るんだから恐ろしいのです。だから油斷が出來ないんです」「私」が田舎で感じた違和感に発した漱石の田舎蔑視の意識表明が先生の口を通して明白な憎悪となって流露する。田舎者⇔都会人=前近代的封建主義者⇔近代的知識人という二項対立に更に悪人⇔善人の対立構造をやや無理矢理に嵌め込み、トリプルで重層強化させる。ここを江藤淳を初め、何人もの研究者が荀子の性悪説と絡めて論じている。これは漱石が装丁を総て担当した「こゝろ」の単行本表紙に「康煕字典」の「心」の項の語義パートの一部を引き、その冒頭が「荀子」の「解蔽篇」であるのを根拠とするのであるが、私は見当違いも甚だしいと思う。そもそも単行本表紙の「康煕字典」の「心」の項は「荀子」の「解蔽篇」の引用だけではない。それに「禮大學疏」・「釋名」・「易復卦」(とその「註」)と続く。そこに示されていない「荀子」の思想を援用して解釈するなら、これら「禮大學疏」「釋名」「易復卦」総てを等価に用いて論ずるべきである。私はこれらを解釈の方途にすることに否定的なのではない。しっかり総てを使い切れと言いたいのだ。「荀子」だけを選択して自説に牽強付会しておいて、鬼の首を取ったかのような気になっているのがおかしいと言っているのである。そもそも先生の「平生はみんな善人なんです」の謂いの何処が性悪説なんだ?! この私と言う馬鹿に分かるように教えてくんな!
♡「すると後の方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後を振り返つた」本作ではこうした会話の中断がしばしば起こるが、これは新聞連載小説の作法としては極自然に思われる。精読するわけではない新聞小説には、こうしたインターミッションが不可欠であるし、第一、他の章に見られるようなやや造ったソクラテスの弁論みたようなソリッドな表明より、この方が私にはリアルでしっくりくる。
♡「小供は徽章の着いた黑い帽子を被つたまゝ先生の前へ廻つて禮をした」勘違いしてはいけない。この少年は西洋風の学帽(小学校指定のものではなく軍帽を真似たこの子のプライベートな帽子の可能性もある)を被っているが、服は当然、和服である。
♡「五錢の白銅」菊五銭白銅貨かそれに次ぐ稲五銭白銅貨の何れかである。直径20.6㎜。品位・銅750/ニッケル250。量目・4.67g。本邦初の日本人技術者のみによって鋳造された記念すべき硬貨であったが、簡単な図案であったために偽造が相次いだといわれる。年号側が製造年号(外円上部)下中央に大きく「五」その下外円に「大日本」(右から左で以下同じ)、反対側上部外円に「五錢」、中央に菊花、下外円にこれのみ左から右へ「5SEN」と記す。コレクターの記載を見ると明治22(1889)年から30(1897)年の銘までが存在するとあるので、この場面の時間だと既に鋳造停止から15年が経過している古い銅貨である。稲5銭白銅貨は同じく直径・品位・量目共に菊五銭白銅貨と同一。菊五銭白銅貨の偽造を防止するため、図案変更した白銅貨。年号側が外円に製造年号(右から左)・「大日本」(右から左)・「5SEN」(左から右)を配し、中央に複雑な光彩を放つ旭日が描かれ、反対は中央に縦書きで「五錢」、その左右に細密な稲穂を配す(稲穂は下部で結わかれている)。明治30(1897)年から38(1905)年銘までがあるという。少年が怪訝に思わないところを見ると稲五銭白銅貨であろう。
♡「斥候」“patrol”の訳語。「戦闘斥候」“combat patrol”とも。本隊移動に先行して前衛として配され、進行方面の偵察・索敵を任務とする任務とする隊の長。軍曹クラス。]