耳嚢 巻之二 畜類仇をなせし事
「耳嚢 巻之二」に「畜類仇をなせし事」を収載した。
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畜類仇をなせし事
豐田何某かたりけるは、或年御用に付大坂へ登りけるに、箱根にて駕(かご)を持し人足、右の手の指みな一ツになりて哀成有樣なれば、休みの折から如何なせしと尋ねければ、其身は笑ひ居しが傍成者語りけるは、彼者の親は百姓にて有しが、彼未だ生れて間もなき時、親成者畑へ出て狐の子を捕へて打殺し穴などふさぎ歸りしが、其夜小兒わつと一聲さけびしに起上りみれば、圍爐裏(いろり)の中に投入しが、仕合(しあはせ)に惣身(そうみ)を火の中へ入れざる故、早速に療治して命はたすかりけるが、あの如く片輪となりしと語りし由咄しぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:鯉から狐で生類絡みで軽く連関。
・「豐田何某」岩波版長谷川氏注は豊田友政に同定している。それによれば徒目付・材木石奉行などを勤めたが、彼が大阪に御用で出向いたという事実については未詳とする。
・「指みな一ツになりて」「手棒」(てんぼう:これは「手棒梨」を語源とするらしい。「手棒梨」は玄圃梨(けんぽなし)のことで、双子葉植物綱クロウメモドキ目クロウメモドキ科ケンポナシ属 Hovenia dulcis。その独特の実に由来。) と侮蔑された少年期の野口英世のケースと同じである。現在の治療法では癒合してしまった部分を剥離し、曲った指を伸ばし、皮膚の欠損している箇所に自身の腹部辺りから皮膚を採って移植を行うようである。
■やぶちゃん現代語訳
畜類が仇を討った事
知人豊田某が語ったことで御座る。
……ある年、御用に付、大阪へ上(のぼ)ったことが御座ったが、その途次、箱根の山越えで拙者の駕籠を担いでおった人足、右の手の指が悉く癒着してつるんとした拳固の一塊りになって、如何にも哀れな有様で御座ったれば、一休み致いた折りから、
「……お主、その手、如何致いたのか?」
と尋ねたところ、男は笑うてばかりいて一切答えずにおったのじゃが、傍におった駕籠の共担ぎの人足が代わって答えて言うことには、
「この者の親は百姓でごぜやしたが、こやつが生まれて、未だ間もねえ或る日のこと、親なる者が畑へ出たところが、逃げ損なった狐の子がおったを、捕まえて打ち殺し、巣にぶち込んで、穴の入り口をすっかり塞(ふせ)えで帰(けえ)りやした。――と――その晩のこと、皆、寝静まった頃、赤子が――ワァー!――と一声叫んだに吃驚りして、親が起きて見ると――どうやって母御前(ははごぜ)のそばから転がり出たもんか――囲炉裏の中に投げ入れたかの如、赤ん坊が落ちてごぜえやした。不幸中の幸い、全身を火の中に入れてはおらなんだで、早急(さっきゅう)に手当致いて命は取りとめましたが――あのような不具となったんでごぜえやす――。」
と語ったとの由、豊田某より聴いて御座る。
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