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2010/05/02

『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月2日(土曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十三回

Kokoro12_4   先生の遺書

   (十三)

 我々は群集の中にゐた。群集はいづれも嬉しさうな顏をしてゐた。其處を通り拔けて、花も人も見えない森の中へ來る迄は、同じ問題を口にする機會がなかつた。

 「戀は罪惡ですか」と私(わたし)が其時突然聞いた。

 「罪惡です。たしかに」と答へた時の先生の語氣は前と同じ樣に強かつた。

 「何故ですか」

 「何故だか今に解ります。今にぢやない、もう解つてゐる筈です。あなたの心はとつくの昔から既に戀で動いてゐるぢやありませんか」

 私は一應自分の胸の中(なか)を調(しらべ)て見た。けれども其處は案外に空虚であつた。思ひ中(あた)る樣なものは何にもなかつた。

 「私(わたくし)の胸の中(なか)に是といふ目的物は一つもありません。私(わたくし)は先生に何も隱してはゐない積です」

 「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだらうと思つて動きたくなるのです」

 「今それ程動いちやゐません」

 「あなたは物足りない結果私(わたし)の所に動いて來たぢやありませんか」

 「それは左右かも知れません。然しそれは戀とは違ひます」

 「戀に上る階段なんです。異性と抱き合ふ順序として、まづ同性の私(わたし)の所へ動いて來たのです」

 「私(わたくし)には二つのものが全く性質を異にしてゐるやうに思はれます」

 「いや同じです。私(わたし)は男として何うしてもあなたに滿足を與へられない人間なのです。それから、ある特別の事情があつて、猶更あなたに滿足を與へられないでゐるのです。私は實際御氣の毒に思つてゐます。あなたが私から餘所へ動いて行(い)くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望してゐるのです。然し‥‥」

 私(わたし)は變に悲しくなつた。

 「私(わたくし)は先生から離れて行くやうに御思ひになれば仕方がありませんが、私(わたくし)にそんな氣の起つた事はまだありません」

 先生は私(わたし)の言葉に耳を貸さなかつた。

 「然し氣を付けないと不可ない。戀は罪惡なんだから。私(わたし)の所では滿足が得られない代りに危險もないが、―君、黑い長い髪で縛られた時の心持を知つてゐますか」

 私(わたし)は想像で知つてゐた。然し事實としては知らなかつた。いづれにしても先生のいふ罪惡といふ意味は朦朧としてよく解らなかつた。其上私は少し不愉快になつた。

 「先生、罪惡といふ意味をもつと判然(はつきり)云つて聞かして下さい。それでなければ此問題を此處で切り上げて下さい。私(わたくし)自身に罪惡といふ意味が判然解る迄」

 「惡い事をした。私(わたし)はあなたに眞實(まこと)を話してゐる氣でゐた。所が實際は、あなたを焦慮(じら)してゐたのだ。私は惡い事をした」

 先生と私とは博物館の裏から鶯溪(うぐゐすだに)の方角に靜かな步調で步いて行つた。垣(かき)の隙間から廣い庭の一部に茂る熊笹が幽邃(いうすゐ)に見えた。

 「君は私(わたし)が何故每月雜司ケ谷の墓地に埋つてゐる友人の墓へ參るのか知つてゐますか」

 先生の此問は全く突然であつた。しかも先生は私が此問に對して答へられないといふ事も能く承知してゐた。私はしばらく返事をしなかつた。すると先生は始めて氣が付いたやうに斯う云つた。

 「又惡い事を云つた。焦慮せるのが惡いと思つて、説明しやうとすると、其說明が又あなたを焦慮せるやうな結果になる。何うも仕方がない。此問題はこれで止めませう。とにかく戀は罪惡ですよ、よござんすか。さうして神聖なものですよ」

 私には先生の話が益(ます/\)解らなくなつた。然し先生はそれぎり戀を口にしなかつた。Line_9

 

やぶちゃんの摑み:

 

「私(わたくし)の胸の中に是といふ目的物は一つもありません。私(わたくし)は先生に何も隱してはゐない積です」ここで「心」の冒頭から初めて「私(わたくし)」という読みが現われる。これは本章の「私」の台詞のみに限定して用いられており、意識的な確信犯的使用である(読みを振らなかった地の文や先生の台詞の中の「私」は「わたし」なのである)。なおかつ、これはこの章だけに限定的に見られる極めて特異な現象である。

 

「戀に上る階段なんです。異性と抱き合ふ順序として、まづ同性の私の所へ動いて來たのです」私は22歳の時に読んだ昭和291954)年新潮社刊の福永武彦「草の花」に現われる『春日さん』の台詞で、“asexuel”→“bisexual”→“homosexuel”で『そうして大人になるんだ』という下りを、まるで「心」のこの部分の注釈であるかのように――少なくとも僕にとって素直に目から鱗と感じられたのを――今も、鮮やかに思い出す――。

 

「君、黑い長い髪で縛られた時の心持を知つてゐますか」ここで男の「私」に対して、「氣を付けないと不可ない」と言い、「戀は罪惡」と断定、「私の所では滿足が得られない代りに危險もない」と保障した上で、「私」が女を知らないことなど分かりきっている癖に、敢えて「君、黑い長い髪で縛られた時の心持を知つてゐますか」と駄目押しの禁忌を提示するのである。更にこの文脈では、「罪惡」としての「戀」は女によって発動され、ある種の「滿足」を与えてはくれるものの、「氣を付け」ねばならぬ極めて「危險」な「罪惡」なのであると言うのだ。「黑い長い髪」は能動的に蛇のように男を雁字搦めにし、男は「縛られ」るがままに「罪惡」へと陥る――私には、ここには「女」を、男を諸悪の根源へと能動的に誘い込もうとする存在である、というような偏頗なる蔑視思想(しかしそれは「パイドロス」の昔から語られてきた伝統的な根強いものではある)が垣間見えるように思われる。また、ここに漱石の女性観の限界が露呈しているとも私は読むものである。

 

「私は男として何うしてもあなたに滿足を與へられない人間なのです。それから、ある特別の事情があつて、猶更あなたに滿足を與へられないでゐるのです。私は實際御氣の毒に思つてゐます。あなたが私から餘所へ動いて行くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望してゐるのです。然し‥‥」この4点リーダ部分を仮想して見よ。このアンビバレントな心性に着目せよ。先生は『本來の私自身が、大して「あなたに滿足を與へられない」性質(たち)の「人間なので」す。しかし、それに加えて「ある特別の事情があつて、猶更あなたに滿足を與へられないでゐる」――本當は何とかして少しでも滿足を與へて上げ度いが――「與へられないでゐるのです。私は實際」、さうしたディレンマを抱へ乍ら、片やあなたに「御氣の毒に思つてゐます。」その結果として「あなたが私から餘所へ動いて行くのは仕方がない。」いや、「私は寧ろ」あなたに滿足を與へられぬのなら、いつそ「あなたが私から餘所へ動いて行く」のを「希望してゐる」と己れに信じ込ませたいとさへ思ふ「のです。然し‥‥」に続く、先生の震える心性の復元作業が、「心」を読み解く上で必須である。しかしここに限らず、先生の「‥‥」の復元は極めて難関である。容易に我々に解答を与えてくれない。その作業過程だけでも、恐らく長大な論文が一本書ける。

 

「幽邃」景色や絵が奥深く、物静かなさま。

 

「戀は罪惡ですよ、よござんすか。さうして神聖なものですよ」このパラドクス、アンビバレントな思想にこそ先生が引き裂かれたものが垣間見える。いや、このような――恣意的な恋愛の弁別と乖離――こそが先生を『生き地獄』へ導いたのだとも言えるのではあるまいか?]

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